第5話 猫の群れ
結局、マンションは売って財産を分割することになった。2/3は俺の物だけど、1/3を買い取ることも、維持することもできないからだ。彼女には、マンション以外にも円預金、外貨、株券、金、貴金属とか色々な財産があった。しかも、俺を受取人にして保険に入ってくれていた。保険金は1億円もあった。彼女が俺と結婚した時、自分がいなくなったら、俺が立ち行かなくなるとわかって保険に加入してくれていたんだ。彼女ほど愛情深い人がいるだろうか?ただ言えるのは、彼女ほど俺を愛してくれる人はこれからも絶対にいないということだけ。
彼女は遺言に、俺に猫の世話を頼むと書いていた。
でも、俺は猫アレルギーだから無理だった。それに、俺に全然懐いてない猫の世話なんかしたくない。だから、80万円のペルシャ猫以外は里子に出すことに決めていた。
白いペルシャ猫だけは売るんだ。きっと高く売れる。
でも、このアイディアは妻の実家から猛反発を受けた。結婚して1年で死別なんておかしい。それなのに、たった一つの遺言さえ果たさないんだから、あんたなんか訴えてやると言われた。それで、仕方なく猫たちと同居を継続することになった。
***
俺はタワマンを売るまでの期間、色々な女の子を部屋に呼んで自慢しまくっていた。女の子たちは俺をすごい金持ちと勘違いして、軒並み優しくなった。客が来るときは、猫たちを部屋に押し込んだ。餌を置いて、おびき寄せて、戸を閉めるだけ。そうやって、リビングでパーティーもやったし、高級デリヘル嬢を2人呼んで夜景を見ながら3Pをやったりもした。俺は我が世の春を謳歌していた。それに、妻が亡くなって早々に彼女ができた。読者モデルの子だった。年は23歳。とにかく顔がタイプ。初めて本気で好きになった子だった。
その頃には、俺は猫の世話はほとんどしなくなった。シッターを頼む金がもったいなくて、餌をあげるだけにしていた。気が付いたら、ペルシャ猫なんかは長い毛が絡まって、大きな毛玉ができたり、うんこの絡まったボールを尻の周りにくっつけながら歩いていた。面倒くさいから毛玉はバリカンでカットした。
でも、部屋を見に来る人がいる時は、リビングが汚いと安く買いたたかれてしまうと気が付いて、俺は猫をケージに入れて飼うようになった。掃除が面倒だったからだ。俺は働いてたし、仕事はかなり忙しかった。出張が多くて家に帰れないから、エアコンはつけっぱなしにしていた。餌と水は取り合えず人に頼んでいた。
でも、俺のマンションは最終的に買い手がついたから、みんなケージから出してやった。新しい家では猫は買えない。やっぱり里子に出すことにした。
俺は、次の住まいとして、千代田区に狭い1Kを買っていた。今後は仕事は適当にやって、早期退職するつもりでいた。もう贅沢するのはやめて、俺は節約して暮らすことを決めていた。
***
ある夜、俺はシャワーを浴びた後、腰にタオルを巻いて台所にお茶を取りに行った。冷蔵庫は1個しかないから、リビングという猫たちの檻に入って行かなくてはいけなかった。掃除をちゃんとしていないから、糞尿の匂いですごかった。トイレを片付けていないと、猫はいろんなところでおしっこをするようになる。
でも、引越すから掃除はしなかった。家具も全部捨てるんだし、もう、どうでもよかった。まさに多頭飼育崩壊。ゴミ屋敷だった。
俺が冷蔵庫のお茶を飲んでいると、猫が集まって来た。
腹が減っていたみたいだが、キャットフードをやっているから、何もやらなかった。
「うるぇーな!あっちいけよ!」
俺は怒鳴った。
すると、猫が俺の足に絡みついて来た。
「やめろよ!きたねーだろ」
猫がにゃーにゃ―泣いている。うるさいから蹴っ飛ばした。
すると、バリカンで刈られた不細工な毛並みの猫が俺の足に爪を立てた。
「痛てっ!」
素足だから痛かった。俺はかっとなって足を振り回した。バスタオルが床に落ちた。
「くっそー。洗い直さないといけないじゃねぇか!馬鹿野郎」
すると、他の猫が俺の足にがぶりと噛みついて来た。あり得ない程、痛かった。
「この野郎!」
俺はその猫を足でけろうとすると、他の猫が俺の顔めがけてとびかかって来た。
そして、俺の眼球に爪をかけた。俺は悲鳴をあげて屈みこんだ。目から汁が出ている。その隙に、俺の背中に猫たちが飛び掛かる。首を噛まれ、別のには股間を噛まれた。俺は痛みで飛び上がった。俺は股間を噛んでいる猫を全力で殴った。しかし、外れなかった。結局、振り払った瞬間に、先端が裂けてしまった。気が狂うかと思うほど痛かった。俺は血だらけになって、悲鳴を上げながら、廊下に飛び出した。
「助けてください!救急車読んでください!」
全裸で逃げ回っている俺を見て、誰かが警察を呼んだ。救急車ではなかった。
その間も、廊下に猫が一斉に飛び出して来て、俺は悲鳴を上げながら逃げ回っていた。誰も助けてくれなかった。まるで喧嘩の時の猫のように、あまりに狂暴だったからだ。
「ギャー!」俺は逃げ惑った。
「ギャー!」
「助けて!!!」泣きながら叫んだ。
もう、俺ができるのは悲鳴をあげることしかなかった。
警察が来たのは10分後くらいだったのかもしれないが、永遠かと思うくらい長かった。廊下に血を垂らしながら俺は全裸で逃げ回っていたから、警察の人たちは、最初に俺を見て公然わいせつの事件だと思ったようだった。
でも、俺の出血に気が付いてすぐに119番通報してくれた。俺はパニックになっていたから、血だらけになっても止血するのを完全に忘れていた。警察の人が来ても、髪を振り乱しながら、「助けて!」と叫び続けていた。
***
俺は猫の襲撃を何度も夢に見た。もう、猫の姿を見るのも恐ろしかった。
それに、猫の被害で一番ショックだったのは、片目を失明してしまったことだ。もう片一方の目もわずかに輪郭が見えるくらいでしかない。両目をやられてしまったんだ。
俺は事故の後、仕事をやめた。正真正銘の障碍者になってしまったからだ。多額の保険金とマンションの売却代金を受け取って、今は一戸建ての平屋を購入して静かに暮らしている。リビングには彼女の位牌がある。金があっても、楽しみは音楽を聴いたり、TVを聴くくらいしかない。
俺を襲った猫たちは、すべて保健所に引き取ってもらったのだが、今でも家中に猫の気配がする。ソファーに座っていると、何もない場所が生暖かかったり、ふわふわした物が近くを歩いているのが、空気を通じて伝わって来る。
寝ていると、首の周りに猫の毛がまとわりついて、俺は悲鳴を上げる。
いきなり足に噛みつかれる。痛さで絶叫する。
俺は糖尿でもう両足がないのに。
俺はあの後、アル中になって、酷い糖尿病になってしまったんだ。目も見えない、仕事もできない、セックスもダメ、ただ生きているだけになって、精神的に病んでしまったからだ。外出するのは、透析の時だけだ。ヘルパーさんが送迎をしてくれる。
猫たちはトドメは刺さない。
俺がどんどん弱っていくのを楽しんでいるかのようだ。
違う。それを楽しんでいるのは、きっと妻なんだ。
俺はあまりに寂しくて耐えられないから、ヘルパーさんにデートを申し込んだ。50過ぎのおばさんだけど、それでも女の人に優しくしてほしかった。
「佐藤さんって独身?俺と食事にでもいかない?」
その人は笑った。
「奥さんがいるのに、何言ってるんですか?」
「俺の奥さん、もう死んじゃったよ」
「いいえ。目の前にいらっしゃいますよ」佐藤さんは俺が頭のおかしい人間だというような口調で言った。
俺ははっとした。
妻は俺とずっと一緒にいたらしい。
俺は一人暮らしじゃなかったんだ。
彼女はいつもどこに隠れているんだろう。
俺にはまったくわからない。
その日から俺は気が狂ってしまった。
猫の群れ 連喜 @toushikibu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます