第3話 結婚

 俺は昨日の出来事でA子との別れを決めていた。猫だらけの環境には住めないと俺は思ったからだ。


 彼女から翌日の朝に連絡があった時、「昨日大丈夫だった?」と聞かれたから、俺は調子がいいから「大丈夫」と答えてしまった。

「今度は、江田君の家に行ってみたいな」

「俺んちは普通の1Kだよ。狭くて貧乏くさいところだし」

「でも、行ってみたいの。ダメ?」彼女は甘えたような声で言った。

「まあいいけど」

 彼女としては交際相手である俺をもっと知りたかったようだ。それで、その日のうちに彼女はやって来た。彼女の中では俺たちは恋人同士。確かに俺にとっても特別な存在だったのは確かで、決してセフレとは思っていなかった。

 でも、結婚を考えられるような相手じゃなかった。彼女が年上過ぎたからだ。10個上のキャリアウーマンが奥さんなんて人に紹介できない。尻に敷かれているのが見え見えだからだ。


 俺は彼女との電話を切った後に、必死になって掃除をした。俺はあまりきれい好きじゃないから、取り敢えず床に散らばっている物をゴミ袋に入れて、クローゼットにぶち込んだ。2時間後くらいに彼女は家にやって来た。一緒に飲めるような飲み物と、食べ物を買って来てくれいて、やっぱり気が利くいいおんなだと思った。


 彼女は俺の部屋に来たけど、馬鹿にしたような感じは全然なくて「こういう部屋好き」と言ってくれた。

「今の家に越すまで、一人暮らししたことがなくて・・・こういう所に一人で住んでみたいなぁ」

「あんなに広い家に住んでるのに?」

「でも、ほとんど猫に占領されてるから」

「じゃあ、ここに泊まれば?」

 俺は言いながら『失敗した』と思った。昨日別れを決めたばかりなのに、何を言ってるんだろう。A子はいい人なんだ。それは間違いない。

 でも・・・結婚は絶対ない。

「猫といるより、人と一緒にいる方がいいなぁって最近思うの」

「猫多過ぎだもんね」

「うん。でも・・・癒されるの。猫がいると」

「俺は猫以上にはなれない?」

 俺は笑った。

「ううん。それ以上」

 あ、なんか俺気に入られてる。学校の先生に褒められてるみたいで嬉しい。昔の恋愛映画なんかになるパターンを思い出す。学生が年上の先生には憧れるけど、最後結ばれることはないってやつだ。


「親に会ってくれない?」

「いいよ」俺は言ってしまった。

 彼女の実家は港区の白金にあった。めっちゃ金持ち。実家に行ってから、実は誰もが知ってる大企業の社長令嬢だということを初めて知った。彼女は男から付け込まれたくなくて黙っていたらしい。彼女と結婚したら、俺はその一族と親戚になると目がくらんだ。彼女が金の生る木に見えた。


 ソファーでお茶を飲みながら、俺たちは談笑していた。まるでベルサイユ宮殿かと思うような豪華な部屋だった。そこには、5匹くらいのペルシャ猫が侍っていた。種類はわからないけど白と茶色いやつ。全部高そうだったけど、兄弟だったらしい。

「あなたたち、いつ結婚するの?」 

 彼女の母親が尋ねた。

 俺たちの間に結婚の話が出たことはなかったが、俺は今決めなくてはいけないよううな気がしてしまった。彼女は黙っている。きっと俺がYesの返事をすることを期待しているとわかっていた。彼女は年上過ぎる。それに、家柄が釣り合っていない。本心では断りたかった。

 でも、俺は深く物事を考えないたちだから「彼女がよければ」と答えてしまった。

「もう、若くないんだから、早く籍入れちゃいなさい」母親は言った。

その後、彼女の部屋に行った時、彼女はしおらしく尋ねた。


「本当に私でいいの?10個も上なのに」

「もちろん」

 俺は答えてしまった。何故だろうか?彼女をがっかりさせたくなかったんだろうか。自分でもわからない。彼女のことは好きだった。

 でも、彼女はだった。気を遣う相手。

 彼女はうれし泣きしていた。もう、後戻りはできなかった。


 俺はA子の婿としてはかなり見劣りしたと思う。中小に勤めてる男と結婚なんてありえなかったろう。見合いを何回もしたらしいけど、A子は全部断ったらしい。そんな人に選んでもらえることも嬉しかった。 

 でも、好きでもない相手から望まれる結婚に価値があるんだろうか?俺にはわからない。


 両親は俺を気に入っていなかったろうけど、彼女が年だから反対はされなかった。俺の兄が東大卒の官僚だったから承諾したのかもしれない。彼女のお兄さんはその会社の次期社長で、妹は外交官と結婚していた。つまり上流家庭のお嬢様だったんだ。


***


 俺と彼女は最初は上手く行っていたと思う。避妊するのをやめて、結婚前からいつ子どもができてもいいようにしていた。

 でも、すぐにはできなかった。彼女は基礎体温をつけるようになって、〇日あたりにしましょうという感じになってしまった。俺にはそれが苦痛だった。先生自体には何の問題もないし、素晴らしい人なんだけど、ブリーダーに指図されているみたいな気分になってしまった。俺は子どもを作るために連れて来られた、繁殖猫みたいな存在になっていた。


 俺たちは結婚したけど、披露宴はやらずに、親族だけの神前結婚式をやった。うちは母と兄だけが参加した。叔父さんは田舎で清掃会社を経営してるけど、これはあちらの家柄的には駄目だったろうと思う。父親がいないのも、あちらにとっては気に食わなかっただろう。親族での食事会も、義理の兄は俺にほとんど話しかけなくて、兄とばかり喋っていた。両親も決して俺を気に入ってはいなかったようだ。妹は海外赴任の旦那についていったから不参加。誰も祝福しない結婚だったが、彼女が優しいことだけが救いだった。


 彼女は湾岸エリアに3LDKのタワマンを買った。2億くらいしたかもしれない。一面に東京海が見渡せた。雲の中に住んでるみたいな夢のような暮らしだった。前からタワマン暮らしに憧れてたけど、俺は逆立ちしても、一生そんな所に住めるとは思っていなかった。猫たちも全員お引越し。俺たちの寝室は玄関の近くにして、廊下にゲートを立てて、猫たちが入って来られないようにした。俺は猫が見てるところでは無理だったし、アレルギーが出てしまったから、有難かった。


***


 1年後、彼女は39歳。俺は29歳になっていた。子どもはいない。


 俺は会計士のヒモ亭主と思われたくなくて、彼女に追いつくために転職を考えるようになった。それで手っ取り早く英語を勉強した。最初は格差婚でもよかったが、次第に彼女に負ていることが悔しくなってきて、彼女の言動に反発を覚えるようになっていたからだ。俺の方がいい大学を出てるのに、何でこんなに給料が安いんだと思うようになっていた。

 でも、俺は口だけの人間じゃない。起きてる間はひたすら英語を勉強して、TOEICのスコアを900点代に上げた。発音はボロボロだけど英会話も何とかこなして、外資系狙いで転職活動を始めた。そしたら、ダメもとで応募した有名会社にあれよあれよという間に受かってしまったんだ。年収は、最初に勤めていた大企業よりも150万くらい上がった。


 職場には、きれいな女の人がいっぱいいるし、合コンに行けばモテるしで、A子と結婚したことを後悔するようになっていた。相変わらず子どもはできないけど、作る気もなくなっていた。毎月「できるな、できるな」と心の中で祈っていた。

 しかし、彼女は40を目前にして増々子作りに焦るようになっていた。それで、不妊治療をしたいと言い出した。俺は精液検査を受けさせられた挙句、精子の運動が悪い無力精子症であることが判明してしまった。医者からは薬物療法と並行して体外受精・顕微授精を勧められた。彼女は優しくて「大丈夫」と言ってくれたけど、あちらの親たちが『何で子どもができないんだ。娘は何の問題もないのに』と、いちゃもんをつけられていた。妻は俺のせいだとは言っていないようだったが。

 でも、もし、俺の無力精子症を向こうの親に知られたら、俺は恥ずかしくて、自殺を考えたかもしれない。


 不妊治療は、俺にとっては大変なストレスになってしまった。もう、妻に対しては性欲が湧かなくなってしまい、性行為は排卵日前の義務みたいになっていた。普通の夫婦なら乗り越えられるのかもしれないけど、俺みたいに動機が不純な輩には到底耐えられなかった。


 俺は精神的に参ってしまい、合コンで知り合った子や職場の派遣さんと浮気をするようになっていた。彼女は気が付いていたかもしれない。

 でも、大人だから俺に文句を言うことは一切なかった。そう。彼女は何も悪くなくて、俺の方が幼稚でクズだったんだと思う。


 俺は女遊びが過ぎて、向こうの母親に注意されるようになっていた。帰りが遅いから、興信所を頼んで調べたみたいだった。彼女は絡んでないと思う。そういう裏切りや嫉妬とは無縁の人だったからだ。

 

 

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