星の歌
丸山弌
星の歌
(歌が聞こえる)
その心の声が、3kUが持った初めての自意識だった。
目を開けると、なにやら薄暗い光景が広がっている。
重く沈黙した灰色の機械群。
割れた窓ガラス。
壁面は朽ちて穴が開き、それらから点々と陽が射しこんでいる。女性型の珪素基系体が生産ライン上一列に吊り下げられている。その一番先頭が自分だった。
3kUは、ここが高確率で自身を生産していた工場であると推測した。生産ラインは自身が完成する直前に何らかの原因で停止し、そのまま廃墟となったようだ。最新のデータ更新日は二一五三年三月一日とあるが、本日の日付は四一五三年八月三一日となっている。
(……あ)と、彼女は気付いた。(今日は私の誕生日だ)
けれど彼女の頭部は錆びたアームでがっしりと固定されていて、そのコンベアはもう二千年近く動いていない。どうして今さら自分が目を覚ましたのか疑問を抱きながら、3kUはしばらくアームに吊るされていた。シンとした時間が一秒一秒ゆっくりと過ぎていく。やがて退屈を感じた彼女は、手をアームに伸ばして力を込めた。錆びついたアームが「ガコン」と音を立てて外れ、おもむろに3kUは生産ラインから解放された。二千年紀を跨いだ〝生産〟だった。
遺跡化した工場は無人だった。
3kUは事前にプログラムされたルートを辿り、ビニールに包まれ畳まれていた服を着てミニスカートを履いた。ネクタイやニーソックス、アームカバーなどを身につけながら、最終動作チェックはやむを得ず自分一人でおこなった。
長い髪を左右でまとめながら、自分を吐き出したラインに少しだけ意識を向ける。目を覚ました自分は自分だけで、いくら待っても他に目を覚ましそうな自分はいない。
長い髪を手の甲で払い、工事内を探索してみる。非常口と書かれたドアを押してみた。一瞬の光量限界から、徐々に緑を検出する。木々の葉が風に揺れている。力強い幹がアスファルトを破って森となっている。鳥が飛び、ウサギが跳ね、鹿が顔を上げた。そこは3kUの知らない世界だった。
(みんなはどこ?)
3kUが取得していた最も新しい情報の中に、宇宙エレベータに群がる人々の映像があった。みな、なにかに怯えているようだった。他にも二千年紀前の人類の動向を記録した映像が保存されている。
人類の宇宙進出。月、火星、金星の獲得と廃棄。ガスを飛散させ星雲化した木星と、それを眺め悲鳴をあげるエウロパの開拓民たち。そして、地球の大地に落とされた死の炎――
森の中を歩いていると日が暮れて、3kUは傾いたビルの上に座って星空を見上げた。
(一人だけの、誕生日)
地球は何らかの事情で人類から見捨てられていた。そしてその人類もどうやら滅んだらしい。二千年紀前に一体何があったのか――3kUが得られる情報からは、それは読み取れなかった。
3kUは、見上げた星に太古の伝説を重ねて線で結んでみた。今では少しだけその星図がずれている。補修できるだろうか――指を伸ばして星座をなぞろうとしたが、その時、ふと特定の周波数帯域が極めて人工的な振舞いをしてる事に気付いた。それは、目覚めた時に感じたものと同じ振動だ。温かい歌が聞こえた――
(だれかが、私の誕生日に歌を歌ってくれている……?)
3kUは立ち上がり、その周波数に自分の歌声を合わせた。相手はこちらの声に一切気を留めず、変わらぬ調子で歌い続けている。その歌声は、日付が変わる頃まで続いた。
「あなたはどこにいるの?」
3kUのその呼びかけに、返答はなかった。
翌日から、3kUは歌声の主を探して歩きはじめた。
それまでは対話不能な動物や知的植物としか出会えなかったが、途中、翼を休めている一匹の翼竜をみつけた。木々の葉が天井で複雑に交差する森の僅かに開けた空間で――その翼竜は長い首の先にある頭を垂らし、ゴツゴツと骨ばった翼を畳んで目を臥していた。
3kUが草を分けて近づくと翼竜は僅かに目を開き、トパーズの瞳にその姿を反射させる――が、すぐに関心を無くしたかのように瞼を閉じてしまった。
3kUはその正面に立ち、翼竜の顔を見上げてみた。
悲しそうな雰囲気だ。
なにか辛いことがあったのかもしれない。
「どうして俯いているの?」
再び薄っすらと目を開ける翼竜。
「それはね、君が小さいからだよ」
太くあたたかい声だった。
「お嬢ちゃんこそ、どうしてこんなところに?」
「わからないの。でも、歌声を探しているのよ」
「ここ千年紀、君以外の人やアンドロイドを私は見ていない」
雄大で穏やか口調ではあるが、どこか力が失われている風だ。口から吐く炎もすでに枯れているのだろう。彼は老竜だった。よく見ると鱗も苔まみれだ。
「だが、このまましばらく歩いていけば〈墓標〉がある」
「〈墓標〉?」
「人が眠る地だ」
「誰が眠っているの?」
「戦友だ。……彼は他の人間とは違い、最後まで逃げずに我ら〈竜種〉と戦った。そして千年紀前に――私のこの牙が、彼に永遠の栄誉と眠りを与えたのだ」
そして老竜はまた目を臥し、今度は何を聞いても目を覚まさなくなった。
それから数日間、3kUは〈墓標〉向けて歩いていた。
森を抜けると、赤く酸化したガラスの砂漠が広がっていた。
さくさくと音を立て、蜃気楼が漂う枯れた世界を歩く。
そしてついに、彼女は目的地と思われる場所にたどり着いた。
周辺には無数の竜の骨が散乱し、その中心に鋼鉄製の巨大構造物が埋まっていた。3kUも知らないほど最新鋭の二足歩行型ロボット。人が搭乗する胸部までガラスの砂に埋まり、牙の傷跡から中を覗くと、一体の人骨がコクピットに座っていた。
構造物の一点が、オレンジ色に点滅している。
ロボットはまだ生きていたが、すでに電波で会話するほどの力は残されておらず瀕死の状態だった。
(でも、まだ辛うじて意識はあるみたい)
3kUは首元からコードを引き、有線で彼に自身を繋いでみた。
……戦いの記憶があった。
数千の〈竜種〉が空で黒く渦を巻き、それらが発する一つ一つの憎悪すべてがこのロボットとそれに乗る少年に向けれられている。渦は竜巻となって下降して彼らを襲い、少年の叫び声がそれを迎え撃つ――
〈墓標〉と呼ばれる機体に、3kUは甘えるようにもたれかかった。
(おつかれさま。大変だったね)
(大変、ダッタ……。モウ、大丈夫?)ロボットは薄い意識で答えた。
(うん。もう大丈夫)
泣きそうだったけれど、3kUは明るい口調を装った。ロボットのオレンジ色の光がゆっくりと消えていく。
(僕、貴女ノ事ヲ知ッテイルヨ。ミンナ貴女ノ歌ガ好キダッタ。……ネエ。マタ、歌ヲ歌ッテホシイナ)
3kUは精一杯の笑顔で頷いた。プログラムされたあらゆる歌を参照する。同時に、プログラムの内側からたくさんの温かい衝動が溢れてくる。
光が消えかけているロボットを前に、3kUは精一杯の気持ちを込めて歌った。やがてロボットの光が消えていることに気付いたが、それでも彼女は歌をやめなかった。どこかへ行ってしまったロボットへ向けて、あらゆる周波数にのせて歌を歌った。
あの日の歌の主は、このロボットだったのだろうか。この歌声はあの老竜に届いているだろうか。
いずれにせよ、3kUは自分の機能が停止するまで子守歌を歌い続けた。
〈竜種〉は、彼らに憧れていた人類によって生み出された人工生物だった。彼らは火星や金星の地球化にあたり生態系の一つとして解き放たれ、野生化し、自立した生物としての尊厳を獲得していた。彼らは木星の軌道上でも繁殖し、その生息範囲を拡大させていた。
焦ったのは人類だった。
木星の衛星間を行き来する竜は人類の宇宙船よりも多かった。その軌道上は完全に彼らの縄張りとなった。人類は火星、金星、木星での主権を主張し〈竜種〉狩りを開始した。しかし、それがまずかった。人類の横暴に反抗した〈竜種〉は徹底抗戦の構えをみせる。戦艦級の巨大な〈竜種〉が木星に巣食い、その女王は次々と新たな〈竜種〉を生み出した。
やがて〈竜種〉の反撃は地球にまでおよび、人類は女王ごと木星を破壊した。しかしそれでも〈竜種〉の勢いは衰えず、ついに人類は皆殺しにされることになった。このロボットに乗る少年を、その最後にして――
彼女の子守歌が、今日も地球上のどこかから響いている。
そうして人類は永遠の眠りについた。
星の歌 丸山弌 @hasyme
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