第14話 愛慾
「ふふ、緊張しているのかしら」
ジーン・ロロンと名乗った女ゴブリンは妖艶……多分妖艶に微笑むと、俺に向けて艶かしく歩み寄ってくる。
それに対して、俺は逃げるように少しずつ後ろに下がる。
脹脛がソファの横にぶつかり、俺は腰を落とす。
「あらあら、可愛らしい人ね」
彼女はペロリと唇を舐めると、俺の上に覆いかぶさってくる
もしかして本当にまぐわうことになるのか。
「……すみません。少し離れてください」
俺は彼女の肩を押して、体を押すと位置を入れ替えて扉側に背を向ける。
「遠慮しないで、ほんの少しだけよ」
「すみません」
ほんの少しまぐわうとは何なのか疑問に思いながらも、俺は手のひらを向けて彼女を制止する。
彼女がどの程度の立場か分からないので、俺には謝ることしか出来ない。きっとゴブリン基準ではとんでもない美女なのかもしれないが、俺の感覚だと普通にオスゴブリンと見分けが付かないのだ。
あと、さっきから視線が怖い。捕食されそうな圧迫感を感じる。
「……本当に効きが悪いですね」
穏やかな口調ながら、苛立ちの混じった言葉と共に彼女の体で魔力がグルリと回った。
なんか、不味い気が——
「『
紫色を帯びたオーラが俺を包み込んだ。
攻撃……ではないのか。なんか、甘くて良い匂いがする。
「こちらにきてください」
彼女の言葉によって、糸を引かれたように勝手に俺の足が前に動く。
声も凄く甘くて、脳が溶けそうだ。
「こっちを見て」
顎を持ち上げられて、彼女の顔が視界一杯に広がる。
あれ……なんか美人に見えてきた。それに、さっきから心臓がバクバク鳴ってる。見てるだけで甘いし、触れられたところも甘いし、声も甘いし匂いも甘いし、全部甘い。
甘すぎて視線を逸ら『甘い』すことも出来『甘い』ない。
もし『甘い』かし『甘い』て、心を『甘い』操作す『甘い』る呪『甘い』術か。
ゆっくりと顔を近づけてくる。
「わたくしのものになって?」
——胸焼けしそうなほどに、全ては甘い
◇
「龍殺しは初めて食べるから楽しみね」
ジーン・ロロンはゴトーに術が入ったのを確信する。
彼女の持つ固有呪術、『
似た効果のある呪術はあるものの、それらは肉体関係を結ぶことなどの厳しい条件が前提となる。
そのため、ただ近付くだけで魅了状態にできる彼女の呪術は強力な手札だった。
ジーンは棒立ちになっているゴトーの肩に手を掛けると薄く目を閉じて、唇を近付ける。
そうして、近付いて触れ合う——
——その直前……二人の唇の間に、ゴトーの手が挟まる。
「『それは、駄目』」
「……な、誰っ……あ"」
先程まではなされるがままだったにも関わらず、突然様子が変わったゴトーに対して、ジーンは疑問の声を上げる。
しかし、ゴトーの身体を借りた何者かは、ジーンが呪術の出力を上げようとしているのを察知して、彼女の手を捻り上げて、取り押さえた。
「『ゴトーに触れないで』」
その言葉と共にゴトーの手のひらから剣の結晶が伸びて、ジーンの身体を避けて、その衣服を地面に固定する。
身体能力が乏しいジーンはそれだけで動けなくなる。
「あなた!まさか、わたくしと同じなのっ!?」
「『違う』」
ゴトーに宿る亡霊はその質問に首を振って答える。この時にジーンはゴトーの身体を彼以外の何者かが動かしていることを確信した。
「ならっ、ゴトー様の身体を分けてくださいまし!わたくしとあなたで半分こいたしましょう?わたくしはできれば『はじめて』が欲しいんですの」
男でも女でも、ジーン・ロロンは誰とでもまぐわうことが出来ればどうでも良かった。そしてとりわけ、『はじめて』に対する執着が強かった。
ジーンの提案を聞いて、ゴトーの中に宿った何かは顔をしかめて不快感を露わにする。
「『分けない。私が決めて良いものじゃない』」
「ぁ、ぐ、ぅう」
うつ伏せになったまま、彼女の太腿を剣が貫いた。結晶に血の色が反射して全体が赤く染まる。
「『これ以上、ゴトーを巻き込まないで』」
「〜〜〜〜〜ッッ!?」
さらにもう一本、今度は脹脛を貫いた。
「『約束して。……ゴトーを戦争には巻き込まないこと。それと、近づかないこと』」
「うぅ”〜〜〜〜〜ッ」
太腿を貫いた結晶をゆっくりと捻るだけで簡単にジーンは涙を零して痛みに呻く。逃げようともがいてもさらに傷が広がるだけだった。
「『約束しなさい』」
ゴトーが目を大きく開く。そこにはジーンの命への興味など一切無かった。これ以上踏み込めば、自分は殺されるとジーンは理解した。
そうして、これからも好きに『まぐわい』を楽しむ生活を続けるために必要なことが何かを理解する。
「〜〜〜〜〜〜っわかりました、もう近づきませんわ!!」
「『そう、なら今すぐ出ていって』」
体を固定していた結晶が消えて、ジーンの体が自由になった。
彼女は首元のアーティファクトから同じくアーティファクトの回復薬を取り出して傷口にかけると、傷口の肉が盛り上がり、見る見るうちに体に出来上がった穴が埋まっていく。
「もうっ、貴重なものですのにっ!」
彼女はそう不機嫌に言い放つと、赤く染まった服を整えて部屋から出ていく。扉の外からことの顛末を見ていた兵士達は何も言わない。
彼らはジーンから与えられる『甘さ』に依存しているだけであり、ジーンの体に穴が開いたことにも、さらにいえば彼女の命が失われることに対しても何とも思わない。
色欲に侵された傀儡だった。
亡霊は
「『はぁ』」
亡霊はゴトーに体を明け渡そうとするものの、部屋の中に残り香がたまったままになっていることに気付いた。
ゴトーの肉体は龍の力を得て強靭なものではあるものの、精神は記憶が失われた影響で肉体と比べるまでもなく脆弱だ。
そのまま明け渡せば再びジーンを探して彷徨うことになる。
部屋からは出られず、窓もないため匂いはなかなか消えない。亡霊はしばらく体を借りたままにすることを選択する。
「『ふぅん』」
椅子に深く座り、その肘掛をコツコツと爪で叩く。
しばらくそうしていた亡霊だが、腰に何も下げていないのは落ち着かず、結晶で剣を作って腰に引っ掛けた。
重心のバランスに納得がいったところで、亡霊は足音が遠くから向かってくるのを把握する。
元々亡霊の力であった聴覚の鋭さはゴトーの肉体に引き継がれていることに気付いたが、考えることが苦手な亡霊はそこに疑問を持つことは無かった。
「通しなさい」
「しかし、現在は監視中で……」
「ジーンがここに来たでしょう?なぜ、そっちは良くて私は許可できないのはおかしいでしょう?」
扉越しに気配が膨らみ、亡霊は少し警戒する。
「しかし……ジーン殿は氏族長ですので」
「ハァ……本来は氏族長であっても手続きなしに軟禁対象に接触するのは許されていないのよ」
「そ、れは……」
鎌をかけられたことに気付いて、焦った声が聞こえる。
彼は『ジーンなど通していない』と答えるべきだったのだ。
「私は無事を確認するだけよ……それに中から血の臭いがしているのにも気付いていないの?」
「え?」
部屋の中にいた亡霊は地面にできた赤い染みを見下ろす。
「鼻も馬鹿になってるわよ。相当吸わされたようね」
「す、すみません」
「仕方ないわ。あなたが中を確認する。私は中の人物が逃げないようにその手伝いをする……そういう建前で納得しなさい」
チャリ、と貨幣が擦れる音がした。
「本当に何もしないんですね」
「えぇ」
そして、外から鍵を開ける音がした。
椅子に腰を下ろす亡霊と
「……」
「『……』」
数秒視線を交わした後、
「あなた……ゴトー、じゃないでしょう?」
「『……さぁ』」
瞬間、二人の間で光が炸裂した。
「ちょ、あ!?
彼女の行動を背後の兵士が咎める。
「落ち着きなさい。確かめたかっただけよ……本当に龍を討伐したのが誰か。あなたよね?」
「『ん』」
亡霊は小さく頷いた。亡霊の方も
「座るわよ」
亡霊は答えない。好きにしろ、ということだと捉えた
「話を聞かせてもらうわよ」
「『はぁ……好きにして』」
亡霊は呆れたように言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます