第10話 帰還

 手元から飛び出した七つの閃光は、目前に迫った龍を七つに開いた。


 自分が放ったにも関わらず、その原理が一切分からない。

 剣を伸ばすのに魔力を使っているものの、消費量は一本分だけ。

 にも関わらず実際に伸びた斬撃の数は7つ、しかもそれぞれが龍の呪術が及ぶよりも速く龍の尻尾まで走った。


 龍の断面に、遅れて血が滲み出す。


 俺の左右にズン、と地面に響く低音を立てて落ちた龍は、既に絶命していた。

 橙色の光はいつの間にか霧散していた。


「ふぅ」


 橙色の呪術によって半ばまで削られた剣を地面に刺す。

 いつの間にか身体の主導権は俺へと戻っていた。


 剣を振るあの瞬間、明らかに俺の体は俺の制御下を離れていた。

 これまでも命の危険が迫った時などは似た感覚に襲われることがあったが、今回は異質だと分かった。


 これまではゴトーの剣術によって俺の体が導かれる感覚だった。

 しかし今回は乗っ取られるような感触だった。


 剣を振る直前、俺の顔は俺以外の誰かが抱く感情によって笑顔を作っていた。


 もしかすると、本物の『ゴトー』は今もこの体の中に宿っているのか?それとも『ゴトー』以外の誰かがこの体に居るのか。


 俺は不安を覚えながら、自身の手を確かめるように握り締める。

 頭を振ってから、目の前の龍の死体に目を向ける。



「……大きいな」


 改めて見ると、先ほどまで動いていたのが信じられないほどに大きい。


 俺はウズウズと、とある衝動に駆られた。


 そして龍の死骸の上を登り、蹲み込んで鱗を確かめるように触る。


「うお、デカい」


 なんとなく剥がして目の前に掲げると、これ一枚でまな板の代わりになる位大きい。しかも石のように硬く、宝石のように綺麗だった。


「すげえ」


 ぺたぺたと触りながら感嘆の声を漏らす。

 この世界に来て初めての感動に浸りながら鱗の表面をノックしていると、側頭部に衝撃が走った。


「痛っ」


 ぶつかった礫が落ちる前にキャッチすると、パチンコ玉より一回り大きいサイズ。

 俺は射線を辿った方向を見ると、帝国兵の一人が銃を俺に向けていた。


 あぁ、俺は今、弾丸を撃たれたのか。

 撃たれたことも、それで傷の無いことにも、不思議と驚きは無い。


 引き金にかかる指は震えていた。

 彼は先ほど、俺に向かって親が死んだ恨みをぶつけて来た青年だった。


「死ね。ば、化け物」


 そんな目で俺を見るなよ。

 俺にお前を害するつもりは無いんだよ。


 俺がそちらに向き直ると、彼は眼前にナイフを突きつけられたように尻餅を着いた。体全体が震えている。


「……」


 この様子では俺の言い訳も届かないだろうという確信があった。

 分かり合えない、という確信があった。

 俺は諦めたように息を吐いて、彼らに背を向けたところで、足元が盛り上がった。


「!?」

「ぷは。熱ちいな」


 龍の死骸から上半身だけを生やしたのは白髪の男。

 男は赤く染まった髪をかきあげながら、悪態を吐く。


 俺の視線に気づいた男は、殆ど布切れとなった軍服を整えると、笑顔を取り繕った。


「おや、お前も無事で済んだようですね。もうすぐ帝国軍の処理部隊がやって来ますので、早く去ることをお勧めしますよ」


 上半身だけを生やしている状態に対して一切の感想を許さないというように、一方的に告げた彼はじっとこちらを見つめる。


「あぁ。そうだな」


 龍を倒した今、俺達との約束を守る必要性は薄れている。

 彼がその情報を教えたのは、きっと俺に対する慈悲だ。


 彼は龍の惨状を見回した後に、最後に俺に問いかけた。


「お前は、何者ですか?」

「……ゴトーだ」


 その答えに、今は自信を持てなかった。




 ◆




「おぉ!!これをアンタがやったのか!!」

「まぁな」


 帝国軍の拠点から連れて来たゴブリン達を連れて、俺は海岸に戻った。龍は大体俺達がやって来たのと同じ軌道を通ってここに来ていた。

 そのため帰るならばこの場所からの方が都合が良かったのだ。


「こんだけの魔物なら『恩恵』も凄いんだろうな」


 恩恵とは何だ?と俺が問いかけようとしたら、一人のゴブリンが懐から大きな赤色の宝石を取り出しながら、歩み出て来た。


「海蛇に襲われた後、これだけは同胞の死体から回収したんですよ。丁度良かったです」


 そう言って彼は宝石を掲げる。

 よく見るとその宝石は髑髏の形をしていた。


「『捧げよ、さすれば与えられん』」


「!?」


 龍の死体を覆うように巨大な暗闇が広がる。


 僅かにその奥に気配を感じると、その瞬間に暗闇が渦巻いて龍の死体を呑み込んで消えた。


 ギュポ、という軽い音がして気がつくと、呪文を唱えたゴブリンの掌に小さな肉の塊が乗っていた。


「本来は資格がないと依代を使っては行けないんですけど、今は非常時ですから」


 小さく苦笑いを浮かべた彼は、俺に向かってその肉塊を差し出した。

 角度によって紫に見えたり緑にテカって見えるそれを俺が受け取ると、彼らはニコニコと笑いながら何かを待っている。


「グイっといっちゃってください」


 え?食えってこと?これを?

 この、この……本当に何だこれ。

 名状し難い肉のような何かを俺は食わないといけないのか?


「ゴク」


 唾を飲む。断じて美味しそうだからでは無い。

 これは覚悟を決めているだけだ。


 うわ、なんかヌルヌルする。


 これ以上時間をかけると怪しまれる。

 俺は出来るだけ噛まずに済むように大きく口を開けた。


「あ、ング」


 そのまま、呑み込んだ。


 ……。


 不快な匂いも無く、不快な味もしない。

 噛まずともネッチョリとした食感が伝わってくる。

 後味には乾かした雑巾のような香りが漂って来た。


 うん。まっっずい。


 そして、謎肉が胃へと落ちた時に頭に声が響く。


『うで』


 うで、腕?という疑問よりも先に、聞き覚えのある声だという感想が浮かんだ。

 男か女かも分からないこの声をどこで聞いたのか、全く思い出せない。いわゆるデジャヴという奴だろうか。近いもの挙げるならノイズ混じりの機械音声だろう。


 謎肉の影響が何であるのか、俺は軽くなった腕の感覚から想像が付いた。加えて、心なしか体の底からも力が湧いてくる気がする。

 つまり、謎肉はゴブリンのパワーアップ方法なのだ。


 死体を肉にして食べることで、その相手の力の一部を手に入れることができる。

 端的に言って、地味な上に気持ちが悪いな。


 倒した魔物が光になって体に吸い込まれる、みたいな感じでは無いのか。ファンファーレも聞こえない。

 不味い肉を食って、力が強くなっている感じがするだけ。



 その後、俺達はひと回り小さくなった筏に乗り込んだ。

 来た時よりも小さめの筏だ。

 白髪の男から、礼として帰りの食料を受け取った。毒とか入っていないだろうか。


「なぁ」

「何でしょう?」


「人間も、あの肉を食べるのか?」

「恩恵の肉ですか?まさか。人間にはレベルアップで強くなるので不要ですよ」


 聞けば、魔物を殺すだけで自動的に強くなれるらしい。

 俺もそっちが良かった。

 こんな蛮族みたいな強化方法では無くて。



「……」


 俺は血で赤く染まった海岸を振り返った。

 俺以外の軍人はこの筏には乗っていない。

 それは全員が死んだということだ。俺の上官を名乗っていたジジガンガも死んだということ。彼は海蛇の雨によって食い散らかされて死んだ。


 彼はゴブリンだ。

 そして俺の心は人間だ。


 ゴブリンと人間がそんなに変わらない生き物であることを認めた俺だが、やはりゴブリンの命が失われたことについて涙を流せるほど彼らに心を開いてはいなかった。


 しかし、それでも



「……助けられなかった」


 安らかに眠れと、願う事くらいは許されるだろうか。




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 今回の戦果

 海龍の『うで』

 海龍血

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