第9話 亡霊

 海龍が纏った橙色の光は魔力を吸収し、砲弾に施された魔法を無効化した。残った砲弾は龍の肉体を貫通するほどの威力は持っておらず、簡単に弾かれる。


 隣を見るとシィルが憎らしいげな表情で海龍を睨んでいいる。

 かなり状況が悪い。


「不味いのか?」

「そうですね……これで砲兵と巫術師は置物になりました」


 巫術師はおそらく魔法を用意した者達だろう。

 もしかすると、白兵はあくまで足止めであり、砲兵達が攻撃の要だったのか。

 そうするとかなり不味い。

 どれだけここで粘っても無意味になる。


 絶望している間も、海龍は迫り、やがて浜辺にその首が乗った。


「白兵、戦闘準備!!」


 最早猶予は無く、シィルは前衛の彼らに号令を掛ける。


「『刀術・弐』!」

「『刀術・弐』!」「『刀術・弐』!」


 それぞれが呪文のようなものを叫ぶと、彼らの纏う雰囲気が重々しいものに変わっていく。

 それがスキルというものであることを俺は後に知った。

 スキルは魂に根差した力であり、帝国の人間は魔力を肉体全体に馴染ませることでスキルを呼び起こすことができるらしい。


 その身体能力の強化が常駐する聖国式のステータスと違って彼らのステータスシステムはこういった決戦において強さを発揮する。



 しかし、それは彼らに最低限の力がある場合の話。


 龍は首を上に向ける。

 すると、これまでは全身を薄らと覆っていた橙色の気がその口元に収束する。タメを作るようなその姿勢にシィルは目を見開いた。


「散開ィっ!!!」


 そうして、先頭に彼の言葉が届いた頃に、龍の首が大きく振り下ろされ、口を開いた。


 ガォオ” オ” ア” ア” ァ” アアア” ア” ア!!!


 その口元から橙色の竜巻が横向きに放たれる。


 隊列の中を直線に貫く巨大な橙色の濁流が兵士達を飲み込む。

 俺の直感が、これを真面に受けると不味いと言っている。


「ぐ、……『赫怒イラ』」


 俺は目前に迫ったそれを前に、暴走しないようにと祈りながら、あの赤いオーラを体に纏いながら、できるだけ中央から離れるように横に跳んだ。

 弾丸のように直線の軌道を描いて浜辺を囲む岩山へと飛んでいく。


 それでも光の濁流から完全に逃れることは出来ず、足首が一瞬、飲み込まれた。


「こ……れ、なんだっ。体が」


 深い虚脱感に襲われ、着地すら敵わずに地面を転がる。

 立ち上がることすら億劫な気持ちを無理やり怒りを燃やすことで抑えつけて、ゆっくりと立ち上がると眼下には数多くの兵士達が、無傷のまま死んでいた。


 死んでいると分かったのは、苦悶の表情のまま見開いている瞳の瞳孔が大きく開いているからだろう。

 十秒前とは打って変わって静寂に包まれた浜辺に俺が呼吸すら忘れていると、龍の視線がゆっくりとこちらを向いた。


「……ッ!!」


 残虐性を孕んだ黄色の瞳と目があった途端、俺の体は金縛りにあったように動かなくなる。

 これは魔法のような力によって拘束されたのでは無く、ただ純粋に、龍の持つ生物としての格の違いに、俺の本能が恐れを抱いているのだ。


 狼に噛み付かれたウサギが死を確信して抵抗を止めるのと同じように、龍に睨まれただけで俺の肉体は死を確信してしまったのだ。


 龍はまな板の鯉となった俺を眺めながら、悠然と再び口元に橙色のオーラを集中させる。

 さっき帝国軍に放ったブレスによってさらに多くの魔力を徴収した龍は、魔力をオーラへと変換したことで消耗はゼロに近い。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」


 海龍が口を大きく開く。

 それでも俺の体は動こうとしない。


 終わりを悟った瞬間、海龍の頭に一人の人物が立った。

 シィル・ハイレイン。帝国軍を率いていた男だ。


「『視覚封印』」


 先ほどまで感じていた圧迫感が消える。



 ヴォ”オ”オ オ” オオ”オ!!!!


「おっと」


 海龍が首を振り乱しながら橙色の波動を撒き散らすが、シィルは軽い声を上げてその巨体の上から飛び降りる。

 海龍は視覚を失ったことで、口元に集中させていた橙色のオーラを全身に厚く纏う。


「……これだと近づけませんね」


 トン、と大きく跳躍したシィルが俺の隣に降り立つ。

 彼は俺の様子を見ると、首を回して下から俺の顔を睨み上げる。


「海龍の眼を封じました。今なら逃げられますよ。部隊は全滅してますから、追う事も出来ません」


 彼は俺の怯えを見透かしていた。


「……他のゴブリンは」


「死ぬに決まってるでしょうが」


 冷たく言い捨てる。

 聞いた俺も、彼らを移動させる時間があるとは思えなかった。

 シィルが態々俺にこんな問いかけをしたのは、先程俺の足が動かなかったからだろう。どれほど優れた爆弾でも、運ぶことができなければ自陣の不発弾だ。

 彼は俺が本当に使い物になるのか、問い直しているのだ。


「ふぅーーー」


 大きく息を吐く。

 確実に俺一人が生き残る方法と、全員が生き残れるが確率が限りなくゼロの方法、その選択肢が俺の前にあった。


「さっきは驚いただけだ、もう二度と足は止めない」


 言い訳をしながら自分に喝を入れ直す。

 俺の後ろにいるのは、俺が守ると決めた十数個分の命だ。


 そして今日の俺は人生最高に理想主義者ロマンチストだった。

 今、俺がこの力を持っているのはこの日の為だった気さえする。


 肉体が纏う赤い火に魔力を焚べる。


「それは……」


 シィルが何かを言い掛けて口を閉じる。


「一つ帝国軍で、私が一番好きな言葉を教えてあげましょう」


 龍が気配を頼りに首をこっちに向けた。


軍人われらの後ろで失われた命は、全て軍人われらがその手で殺した命だ」


 軍人は例えどれだけ遠くであっても、失われた命に責任を持たなければならない、という事だろう。

 この後に及んでプレッシャーを掛けてくる彼は酷く性格が悪い。


 龍が首を持ち上げて岸壁に立つ俺たちに視線を合わせる。


「——ふぅっ!」

「来る!!」


 俺たちは龍の左右に分かれて回り込む。

 遅れて、龍の頭がさっきまで俺たちが立っていた岸壁を噛み砕いた。


 俺は減った魔力をかき集めて結晶の剣を作り出すと、橙色のオーラに触れないようにその体表を切り裂く。


「死ねエエエエエエ!!!!」


 白線を引くように突き刺した剣で走りながらその肉体を切り裂く、が、パキンと剣の先が折れて体がつんのめる。


 結晶の剣は脆く、加えて龍の鱗は硬過ぎたせいで、剣が簡単に折れてしまった。


 ヴァアオオ" ⬛︎ オオオオ!!


 のたうつ龍の肉体を避けて、残った刀の先を見ると、橙色のオーラによって表面が削られていた。

 魔力由来の物質もオーラによる魔力の奪取の影響を受けるらしい。


 ひたすら剣を作り直して、チクチクと攻撃するか悩んでから、俺は自身を覆う赤いオーラに気付いた。

 何も考えず、怒りを意識すればこの力が使えると理解していたが、よくよく考えるとこの力は呪術だ。そして龍の橙のオーラについて、シィルは『固有呪術』だと呼んでいた。


「オーラにはオーラで対抗できるか……?」


 掌から伸ばすした剣が赤く染まっていく。


「ハァッ!!」


 切り付けた刃は驚く程軽い手応えで龍の肉体を切り裂いた。

 まるで豆腐を切るような手応えに、俺は口角を上げる。


 俺は腕が疲労を超えて痛みを感じる程に、剣を振り続ける。赤いオーラの影響で剣が自壊する度に作り直す必要があるが、橙のオーラによる侵食を受けていた時よりも圧倒的に効率が良い。


 ヴォオオオ" オオ" ウウ" ウウ"!?


 地上に出ている部分の全てがその血で赤く染まり、龍から戸惑うような悲鳴が上がる。


「うぉっ」


 壁のように聳え立つその胴体が大きく動き、声が漏れてしまった。



 そして、とぐろを巻いて小さく身体を畳んだ龍がこれまでにない程、橙色に輝く。


 思わず涙を流しそうなほど神秘的に輝いた龍は、照準を定めるようにその頭をこちらに向けた。

 その瞳は開いていないものの、確かに俺を意識しているのが分かる。


 そうして巨大な頭部が発射された。


「くそ」


 当たれば魔力を根こそぎ奪われて即死。さらに、その巨体のために避けることさえ出来ない。


 なら正面から迎え撃つしかない。


 最大まで剣を伸ばして、赤いオーラを纏わせた斬撃なら、もしかしたら……。



 その瞬間、俺の肉体の制御権が奪われた。


 まるで邪魔な衣服を脱ぎ捨てるように、赤いオーラを霧散させる。

 左肘と左足を前に出し、右の腰に短く伸ばした剣を構えた。


 居合を左右反転させた構え。


 海龍はゴブリンの気配が変化したのを感じながらも今更止まる事は出来ず、疑問を打ち消すように更に速度を上げる。



 ガア"ア "アア "アア" ア!!!


 眼前に迫った龍を前に俺の口は楽しそうに弧を描いた。まるで待望の瞬間が訪れたような歓喜の表情。俺の体を動かす誰かは、喜んでいるのだと分かった。


 髪の一本まで支配下にある鮮烈な感覚の中で、肺に空気を取り込んだ。



「——スゥ」



 七本の斬撃が螺旋の形に閃いた。

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