第8話 獅子に鰭

 白髪の男の名前を

『シール・ハイレイン』

 から

『シィル・ハイレイン』

 へと変更しました。混乱させてしまい申し訳ありません。


 ————————————————————


「『赫怒イラ』」


 そう唱えると同時に、歯車が噛み合ったような感覚を得る。

 立ち上る赤いオーラを体に纏わせれば、これまでの何倍も速く動くようになる。

 剣に纏わせれば、魔物を斬る時の抵抗がゼロに近づく。


 まるで、破壊の神に力を与えられたかのような万能感が全身に漲る。


『止まった時間』の中でも俺だけは抵抗を感じることなく動くことが出来た。世界が俺だけのためにあるような感覚だ。


 一匹、魔物を斬り殺す度に、胸の内がスッとするような感覚に襲われる。しかし次の瞬間には破壊を駆り立てる抗い難い焦燥感が蘇る。


 焦燥感に駆り立てられるように、再び剣を振る。


 気付いた時には左手にも剣を握っていた。


 落ちてくる雨粒の形が分かるほどに引き伸ばされた時間で、落ちてくる海蛇を、地面に触れる前に切り刻んで行く。


 指揮棒を振るように軽く、斬る。

 肉体に染み付いた剣術が少しずつ精神に馴染んでいくのが分かる。


 次に自分の体がどのように動くか分かるようになってきて、体に引っ張られるように動いていたのが、俺の思考によって体を動かせるようになる。

 体の動きが思考でトレースできるようになれば、今度はさらに思考が先行していく。


 また、斬る。これもまた、気持ちが良い。


 指先に触れる空気の感覚さえ鮮明になってきたところで、次第に落ちてくる海蛇の数が減って来る。


「あァ」


 斬るものが減ったことで、自然と喉の奥から嘆きの声が漏れた。

 痒いものを掻くことができないような、くすぐったいのを我慢しているような、抗い難い感覚に突き動かされて、ふと下を見ると、海蛇とは違うが、腕があって足があって首があって、とても切り甲斐のある生き物が沢山あるのに気づいた。


「いイかな」


 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ切っても良いかな。

 切っちゃダメだけど、こんなに切りたくなる形をしてるのが悪い、よな?


「ひ」


 小さな悲鳴が、一瞬だけ俺を冷静にさせた。


 俺は右手に握った剣を握り潰す。


「アアアああ あ あ” あ” あ”っ!!!!」


 雄叫びと共に、破壊衝動の全てを剣に込めて、周囲の木を切り倒した。触れる全てを一息に切り裂いた剣先は振り切る頃には赤いオーラによって自壊した。

 全身に纏わり付いていた赤いオーラがやっと消える。


 透明な結晶が、俺の足元で伏せるゴブリン達へ降り注ぐ。


「ハァッ、ハァッ、ハァーー……」


 この数分も無い時間の間に剣を何千回振るったのだろう。

 伏せるゴブリンの背中には山となった海蛇の死骸が降り積もっている。


 ゴトーの肉体をもってしても、これだけの運動をすれば息が上がるんだな。


「フゥーー……。もう大丈夫だ」


 殺意を彼らに向けた罪悪感を紛らわすように、できるだけ優しい声で彼らを呼んだ。

 海蛇の雨が止んだのに気付いたものが、ゆっくりと顔を上げて、周囲を視界に入れる。

 彼らはまず安堵し、そして周囲の凄惨な景色を見て息を呑んだ。


 俺が助けることができたのは、たった十数人のゴブリンと、数人の帝国兵。

 助ける時にはゴブリンも人間も区別しなかったから、紛れ込んだのに気付かなかった。


 返り血が雨によって洗い流された頃に、彼らはやっと立ち上がった。


「お前たちはどうする」

「……隊長に指示を仰ぎます。おそらく生きているので」


 流石に助けてもらって突き放す真似はしないようだ。

 暴れ切って冷静になった俺は、帝国兵たちの目的に予想が付いた。


「龍を討伐するのか?」

「っ……」


 目を見開いた帝国兵は、反応を悟られないように視線を逸らした。

 帝国は神国と敵対しているにも関わらず、交戦を避けたがっているように見えた。

 それは単純に俺の力量を恐れてのことだと思った。

 しかし、力量に関係なく交戦を避けたのだとしたら、その理由は戦力が減るのを嫌ったからだろう。


 戦力が減ってしまっては果たせない目的があったから。


 その目的が、龍の討伐だ。


 そうだとすれば、組織だった一団が装備を整えてこの場に駐屯していたのも納得が行く。

 追い出すのではなく、ここにゴブリンを留め置いたのも、肉壁にするためか。それは許し難いことだった。同時にどんな手を使ってでも龍を留めたいという帝国の意図にも共感は出来てしまう。


 だからこそ、妥協案を提示する。


「なら、俺が討伐を手伝う。彼らを避難させろ。今度は盾としてでは無く、本当の意味でだ」


 彼らがここに居るという事は、既に龍がこの場へと近づいて来ているということだ。

 どの道投げられない。


「……わかりました。ならば本拠地まで案内しましょう」


 苦虫を噛み潰したような顔で答える。

 彼等もまた、猫の手も借りたい状況なのだった。




 ◆




 案内されたのは岩山だった。

 岸壁の所々には、空から落ちて来た海蛇が引っかかっている。

 その中でも海蛇が側面に空いた穴のような箇所に集っているが、ガラスのような壁が蛇を遮っている。

 ガラスの向こうでは、古めかしい装束に身を包んだ男達が、ガラスの壁に魔力を与えている。ガラスの壁は結界のような物だろうか。


 恐らくこの岩山全体が拠点となっていて、その入り口を彼らが守っていたのだろう。


 案内した人間が海蛇を仕留めると、結界を維持していた男達が、俺たちを見て険しい形相を見せる。


「何故ゴブリン共を連れて来た!」

「協力の代わりに拠点で非戦闘員を保護する取引を交わしました!」


 彼らは結界越しに言葉を交わし合う。


「取引だと!?貴様にそんな権限は無い」

「しかし、戦力が減った我らでは龍の討伐などとても……」


「そもそも、そのゴブリン共が何の役に立つというのか?」


 結界の中の男はこちらを見て訝しげに言う。

 災害に等しい脅威を相手に、十数人増えたところで意味があるのか。

 加えて現れたゴブリンの殆どは非戦闘員である。


「それは……っちょっと、待ってください。私が話して……」

「いや、俺が見せた方が早いだろう」

「貴様、何をするつもりだ」


 俺は結界の前に進み出ると、結界に触れる。

 触覚からこの結界の強度がなんとなく読み取れる。おそらくゴトーの経験によるものだ。


 ふむ、問題は無さそうだ。


「この結界、壊しても良いか」

「出来もしないこ……」


「ふんっ」


 しっかりと体重を乗せた正拳突きが、ガラスのように結界を砕いた。


「な!?」

「これで、最低限の力があることは示せたな?」


 どうやら結界の硬度には自信があったらしく、割れたことにショックを受けていた。

 俺は後ろのゴブリン達に拠点へと入るように指示を出した。




 ◆




 その僅か数分後、俺は浜辺から海に現れた影を睨んでいた。

 背後には多くの砲台と、結界を張っていた男達と同じ装束に身を包んだ集団が並んでいた。

 おそらく、彼らは魔法を使った砲兵のような存在なのだろう。

 俺の前方には白兵部隊と思われる、刀を手にした集団が物々しい雰囲気を放ち、緊張が高まっていた。


 俺の横には隊長と呼ばれていた白髪の男、シィルが立っている。


 俺も静かに緊張していると、シィルがニヤリと笑った。


「表情が硬いですねぇ」

「あぁ」


 普通に考えて、怖いに決まっている。

 自分の何十倍もデカい相手と戦うのだから。


「大丈夫ですよ。私、龍を討伐したことがあるんです」

「……そうなのか」


 その言葉には少し驚いた。


「えぇ、パーティを組んでいた当時の仲間達と一緒にね。こう見えて冒険者だったんです」

「へぇ」


 冒険者、という言葉に思わず心惹かれる。

『こう見えて』と言われても、彼が時折見せる素の態度はどう見ても堅気では無かったからそちらには反応しないことにした。


 会話をしたことで少しだけ緊張が解れた。

 シィルが口を引き結んで、前方へ顔を向ける。


「『爆雷砲』用意!!!!」


 大砲に入れられたのは、普通の砲弾では無く、その表面にびっしりと札が貼られた球体だった。

 魔法と科学を組み合わせて使っているのか。

 砲兵は大砲の角度を計算し、装束の兵士は砲弾に魔力を込めているようだ。ただ鉄の砲弾を飛ばすよりも着弾した時の威力が大きくなるようにしている。


 彼の剣が指す先は龍の頭。

 対する龍は無警戒に顔を出したまま、砲撃の射程圏内へと入って来る。おそらく、水深が浅すぎるために完全に潜ることが出来ないのだ。


「放てぇ!!!」


 間抜けに頭部を晒した龍へ向かって『爆雷砲』が炸裂した。

 着弾した瞬間に雷が落ちたような轟音と閃光を撒き散らす。



 ヴォオ” オ” ア” ア” ァ” アアア” ア” ア!!!


 龍が悲鳴らしき鳴き声を放ち、海面が揺れる。

 ダメージは大きそうだ。俺は小さく拳を握る。


「『爆雷砲』用意!!!!」


 もう一度、シィルが腕を振り上げる。砲弾はまだ腐るほどある。

 もしかして俺の出番はもう無いだろうかと、少し安堵していると、海龍が首を持ち上げてこちらを睨む。


 それを見た砲兵達は的が大きくなったと喜んで照準を修正した。


 しかし、俺はそれを見て嫌な感覚を覚える。

 そう思ったのは俺だけでは無かったらしく、すぐ横で剣が再び振り下ろされる。


「っ放てぇ!!!」


 先ほどよりも早く、シィルが砲撃の号令を発する。


 龍の発する気配が大きくなる。

 そして発射と同時に、巨大な体内でのがわかった。




 ■■■■■貪蝕



 海龍から橙色の光が溢れ出す。


 魔力を含んだ砲弾は、その光に触れた途端に魔力を奪われて普通の砲弾になって海龍の肉体に弾かれて、海に小さな飛沫を上げて落ちていった。



「龍のくせに固有呪術かよ、オイ」


 シィルが小さく吐き捨てた。

 状況が悪くなったという事だけは俺にも理解できた。



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