第7話 雨

 俺を転がした人間は、俺の首元へと刀の剣先を添える。

 ヒッ、と悲鳴が漏らしかける。


「やめてくれ!!その人は何もしていないだろ!」


 帝国兵たちに囲まれているゴブリンの一人が立ち上がって抗議する。


「黙れ、立つな」

「あぐ」


 ライフル銃のストックで殴られた彼は、額から血を流して蹲る。

 俺の背中に足を乗せる男は、反抗した彼の方を指さして声を荒げる。


「ほらな!!お前らは野蛮だ!!血を求める生き物だ!!そして、自分より富む俺達から命も自由も奪うんだよ!生かしておけない!!この、強欲な化け物がっ!!」

「ふ、ぐ」


 強く踏まれて息が吐き出される。



 俺は人だ。

 人を殺したいとは思わない。

 おそらく、殺そうとしても培った倫理観がその手を止めるだろう。

 そうでなくとも俺は人間というものを尊い生き物だと思う。

 物を作り、よく考え、共感し、誰かのために泣くことができる。


 ならば、俺のために立ち上がったは、人と化け物、どちらだろうか。


 魔物を恐れながらも戦い、死を恐れながらも同族を励ますこの生き物たちが持つ、納得し難い矛盾は、尊いものではないだろうか。


 俺はゆっくりと、瞼を上げる。



 帝国兵たちの間に金髪の女が立っている。

 彼女はサーベルの柄を指先でコツコツと叩いている。

 苛立っているのだろう。


 すまないが、俺もゴトーと同じくゴブリンの味方をすることになりそうだ。



 俺は手錠を引き千切る。

 そうして背中を踏む足を跳ね除けると、ゆっくりと立ち上がった。


「!?」

「あぁ、すまない。手が滑ったみたいだ。手錠はもう一つあるか?」


「く、このっ」


 足を跳ね除けられたことでたたらを踏んだ軍人は、顔を赤くして刀を横に薙ぐ。


「……すまない」


 この程度の速度なら『止まった時間』を使わなくとも対処できる。

 大きく後ろに避けて刀の鋒をやり過ごしてから、急加速して軍人に詰め寄る。


「は、なれ」


 思わず首を引いた男の両手首を掴むと、浮いた足先を刈り取る。

 柔道でこんな技があった気がするが、殆ど力で持ち上げただけだったので柔道選手だったらブーイングものだろう。


 周囲でこちらを観察していた兵士が、剣呑な雰囲気に包まれる。

 俺は軍服の襟を正しながら、彼らを睨む。


 どうやらゴトーの技を使わなくとも、身体能力のゴリ押しでこの程度はできる。


 完全に俺が自由となったところで、まるでタイミングを測ったように白髪の男が現れる。



「おやおや、これは部下が粗相をしてしまったようですね」


 悠々と歩いて来た彼はそのまま俺と人質となっているゴブリン達との間に立って見せる。

 その手には、いつの間にか細身の直剣が握られている。


 ニコニコと笑みを浮かべた彼は顔をこちらに向けながら、背後の兵士達に問いかける。


「丁重に扱うように私は言った筈ですが?」

「し、しかし。そのゴブリンが抵抗して……っ」


 俺を蹴り倒した人間が、事実とは異なる報告をしようとした瞬間、彼は白髪の男から綺麗にラリアットを喰らい、後頭部から地面に強く叩きつけられる。


「オイ、糞虫。オマエはその言い訳に命を賭けますか?」

「す、すみません。自分の独断で拷問を加えようとしました!!があああああああ!!」


 彼が白状した途端に白髪の男は、切先で掌を貫いた。

 痛々しげな悲鳴が上がり、俺は思わず眉をしかめる。


「まぁ、そういう訳です。気に入らなければ、もう片方の手にも穴を開けられますが、それだと自分のケツすら拭けなくなりますが、どうします?」

「いや……良い」


 部下相手に躊躇なくそこまでの行為ができる彼に対して、俺は少し引いていた。

 いや、これに関しては俺の感覚があまりにもヌルすぎるのだろう。

 彼らと俺達の国は、戦争状態にある。もっと惨いことなど数えられないくらいに存在する。


 おそらく、彼が直ぐに部下を罰したのは、俺がある程度の力を持っていることを察しているからだろう。

 だからこそ、部下が反撃された時点で現れたし、俺の目の前で罰して敢えて残酷に振る舞うことで俺が彼に報復をしないように振る舞った。


 俺がその気なら一息で彼を殺せるから。


「その男は、そちらに任せる。その代わり、これ以上の狼藉は許さない。意味は分かるよな」


 俺はゴブリンとして、彼らに相対する。

 彼らはゴブリン達を人質として、俺達を脅しているが、俺も同じように帝国人達を人質にしているようなものだ。


「……良いでしょう。今回はこちらが譲ります」


 引き際も恩着せがましい奴だな。

 白髪の男は監視の軍人の数を減らすと、再び天幕へと消えていった。



 俺は再び手枷を付けられると、今度は蹴られることは無くゴブリン達の端へと腰を下ろした。


「やるな、あんた。階級は?」


 俺の隣に座っていたゴブリンが俺を称賛する。

 階級か……確か、俺は元々兵士ではなかったから、一番下のものが与えられていたな。


白従兵ホワイト

白従兵ホワイト!そんなの、成人したばかりで入隊した奴の階級じゃないのか?」


「らしいな」


 初めて聞いたが、知ったかぶりをする。


「じゃあ、軍に入るまでは何処にいたんだあ?」

「……秘密だ」


 知らないからな。


 亡霊の女が、視界の端で咎めるようにこちらを見ている。

 幽霊は足が透けると言うが、彼女は生きている人間のように、それはもうハッキリと見えていた。


「じゃあ、当ててもいいか?う〜ん。奴隷商人?」

「そう……見えるのか?」


 軽く傷付く。

 俺のものでは無いとは言え、ゴブリン目線だとそこまでヤクザに見えるのか。哀れなゴトー。


 そもそも、奴隷が存在する世界なのか。

 金属の手枷を自力で破壊できる者がいる世界で、人を奴隷にできるものなのか。

 あるいは呪術や魔法?を使った拘束方法があるのかもな。



 じっと待っていると、雨足が強くなってくる。


 滴が地面を叩く音が大きくなり、天幕の間を行き来する帝国兵の足音が雨音に掻き消される。



 嫌な予感がして見上げると、視界の端に細長い影が横切る。


「———ガッ——ぁ——」


 雨の雑音の中で悲鳴が途切れながらも耳に届いた。

 悲鳴の方向に意識を向けると、帝国兵の首に何かが巻き付いている。


「なん、だこれは!」


 帝国兵が巻きついた物を、無理やり引き剥がすと、噛み付いていた部分の皮膚も一緒に引き千切られる。


 細長いそれを、地面に投げ捨てるとピチピチとその場で大きく跳ねた。


「くそっ」


 帝国兵は悪態と共にそれの頭部を踏み潰す。

 俺は見覚えのあるそれを見て、一言だけ漏らした。


「海蛇」


 俺は呆然としたようにもう一度、空を見上げた。


 灰色の雲の中に、点々と黒いものが現れるのが見えた。

 それらが、急速に大きくなる。

 そうして、雨粒と同じ数だけの海蛇の群れが地上に降って来た。


「っ、逃げろ!!」


 もう、その時にはゴブリン達も帝国兵達も夥しい数の海蛇が巻き付いていた。


「あああ”あ”あ”あ!!」


 俺は肉体を感覚に任せて、巻き付いてくる海蛇達を握り潰しながら、周囲のゴブリン達を助けようと手を伸ばす。


「誰か!!」


 助けを求める声に導かれるように、剣を伸ばす。

 肉体に染み付いた達人の剣術は、地面をのたうつ海蛇達を凄まじい速さで、そして最小限の手数で断っていく。


「あ、ありがとう」

「俺の近くで伏せていろ!!」


 剣の邪魔にならないように、その場で伏せるように指示する。


 しかし、例え力があっても全てを救える訳では無く、俺から遠い位置にいるゴブリン達は、身体中から少しずつ肉を剥ぎ取られて、口から中に入り込まれて、内臓から食われて、悲鳴すら上げられずに激痛の中、息絶える。


「くそ、くそ、くそ、クソォ!!!」


 もっと速く。

 心の中に渦巻くのは、強い焦燥と、足りない自分への怒りだ。


 俺がもっと、ゴトーの力を理解するように努めれば、向こうで食い散らかされているゴブリンも死ぬことは無かったに違いない。

 後悔するにはもう遅い。


 ひたすら魔物達への怒りを燃やす。

 斬る、潰す、殺す。


 そうすると、感情以上の力が引き出される。

 まるでそれがあるべき姿のように、俺の体は自然に赤い霧を纏い始める。

 これは不味い、とブレーキをかける事は出来ない。

 俺が動きを止めれば、足元の彼らは命を落とすことになる。


 ゆっくりと、充血したように腕が赤く染まっていく。

 肉体が書き換わる。



「——ァア」


 頭が燃えるように熱い。ただただ暴れたい気持ちに満たされる。


 ぐるり。腹の底で大きな力が渦巻いた。




「『赫怒イラ』」


 俺は無意識に、そう唱えた。

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