第5話 逃亡

 筏同士の衝突を防ぐために、なるべく時間差を空けて筏は出発する。


 俺の乗る筏は、早くからゴブリンを乗せ初めていたため、直ぐに満員となり、いち早く砦を出発した。


 既に濁流が荒れ狂う海原となった荒野の上を筏は進みだす。

 しかし、どんな船も推進力がなければどちらに動くことも出来ない。


 この筏のエンジンは、勿論俺達軍人が担った。


 俺たちは、急ごしらえの長方形の板で必死に水を後ろに掻く。


「俺にも手伝わせてくれや」

「……ダメだ、座っていろ」


 俺の二つ前で水を掻く軍人に対して、食堂の料理人が手伝いを申し出るが、彼は一瞬迷いながらも明確に拒否する。


 しかし、首を振る彼の掌は擦り傷塗れで酷く痛々しい。

 おそらく、撤退以前にはバケツ片手に水の中で魔物達と格闘していたのだろう。


 拒否した軍人は、そのまま櫂を握って水の中に入れて、顔をしかめる。


っ」


「馬鹿野郎、都会育ちだろあんた。さっきから漕ぎ方が下手で見てられねえよ。良いから貸せよ」


 軍人から櫂をもぎ取った男が彼の代わりに筏の端に座る。


「どうよ。山育ちの俺のオール捌きは」


 料理人の男は誇らしげに見せつける。

 荒々しくオールを動かす男。

 洗練されていないその動きは、一眼で分かるほどに未経験者のものだと分かる。しかし、周りのものはそれを指摘するほど野暮では無い。


「あぁ、すまない。頼む」

「へへ、休んでる暇は無えよ。俺のオール捌きを目に焼き付けな」


 周囲の軍人はその会話に口角を上げる。

 俺はジッとその様子を見ていた。


 僅かに空気が弛緩したその時に、誰かが声を上げる。


「砦の方、ヤバイぞ」


 俺もその声につられて、背後を振り向いた。

 既に数百メートルは後方にある砦、その上に大きな影がかかる。


 海龍の首が砦の奥から覗いている。

 それも砦のかなり間近にいる。


「おい、やめろ」


 そこには化け物ゴブリンしか居ないと分かっていても、思わず絶望の声が漏れた。


 まだ、そこには避難を終えていない多くのゴブリンがいる。

 筏がまだ、そこにあるのが見える。



 ヴォオ” オ” オ” オ” ォ” オオ” オ” オ!!!


 海龍の頭が大きく空に昇る。


 そうして、肉体の全てを叩きつけるように、口から砦に喰らい付いた。


 大きく水飛沫が上がり、何も見えなくなった。


 俺の焦燥を嘲笑うようにゆっくりと下がった飛沫の後には正面がVの字に抉れた砦が残った。

 その縁に残った赤色の液体を、豪雨が直ぐに洗い流す。



 ——ッ——!——


 未だに砦に残っていた兵士たちが、声を上げて海龍に飛びかかっている。

 そして海龍の肉体に剣を突き立てるが、海龍には効いている様子は見られない。豆粒のようなゴブリン達が、海龍の身動ぎによって水面へと叩き落とされる。


 無理だ、勝てるわけが無い。


 彼らは愚かだ。愚かだから、勝てるはずも無いのにあれに挑むことができるんだ。だって化け物なのだ、彼らは。


 俺は真実から目を逸らして、そう思い込む事にした。



「速く漕ぐんだ!!俺たちは生き残らなければならない!!そうだろ!!」


 そう言って、一人の軍人が櫂を大きく動かした。


「くそ、クソォ」

「こんなところで死ねねぇ」


 彼に呼応するように、気合を入れた彼らも手を動かし、筏の速度が上がっていく。


 背後では、砦を念入りに壊すように海龍は何度も残骸へと齧り付いた。

 腹に響くような咆哮が逃げる俺達を嘲笑っているようだった。




 ◆




 撤退を初めて一日が経ち、持っていた食糧が尽きてオールを握る体力もなくなりかけた頃、俺たちは島に漂着した。


 実際は島ではなく山なのだが、俺たちにとっては漂流する中で見つけた島と変わりはなかった。


「ジジガンガ、食糧を探すぞ」

「……西に逸れすぎた」


 空腹の俺は早く食料を探そうと、ジジガンガへと声をかけるが彼の反応は薄い。


 どうやら、予定していたよりもずれた場所を進んでいたようだ。

 星や太陽の位置で方角についてはある程度把握できるが位置の修正をするためには、専門的な知識がいる。


 辺境の荒野に立つ砦にそんな知識を持つ兵士は居なかったようだ。


 しかも、波が荒れ狂う中でいきなり岩が現れたりすることがあるので、それを避けるために進路がズレたりすることが何度もあった。


 俺はある程度の誤差は仕方ないと割り切っていたので、ジジガンガの重い雰囲気を疑問に思った。


「おい!食料が無いと死人が出るぞ!」

「……おぉ、そうだな。俺も行く、上司だからな」



 俺は鉈を片手に森の中を進む。

 元々が山だったせいで、かなり起伏のある地形だ。


 植生に関しては地球とそれほど変わりない、気がする。

 少なくとも牙の生えた植物などは無かったな。


 見てみたいような、見たくないような。


 おそらく、水が引くまで俺たちはここで暮らすことになるだろうな。

 こんなことになるなら、『きのこ学入門』の講義でも取っておけば良かった。


「ん?」


 急に別の領域に踏み込んだような違和感がある。

 同じような感覚を、他の兵士達も抱いたらしく、落ち着かない様子で周りを見回す。


 がさり、と茂みが揺れる。

 全員がそちらに目を向ける中、俺だけは時間が止まったような感覚に襲われた。

 茂みの揺れる音から、その揺れが何かが投げられたことで起こったものであること。そして投げられたものが手に握り込めるサイズの石であることを算出する。


「……ッそっちか!」


 再び時間が動き出した瞬間に、他の者とは逆側を向くと、上から剣が雷光のように走る。

 その時点で俺の思考は硬直するが、代わりに肉体に染み付いた動きが勝手に対処を始める。


 掌から魔力を垂れ流して、一瞬で剣を形成しながら落ちる刃の軌道上に斜めに立てかける。


 雨の中でも火花が散るほどに刃が強く擦れる。


 強引に押し付けられる剣を優しく外向きに導くと、斜めに曲がった切先が延長上の地面を切断する。


 俺は地面が割れるその光景にヒヤリとする。


 その間も肉体は機械的に一歩を踏み出しながら、もう片方の手に魔力を流しながら腕を振る。同時に指先から急速に剣が伸びる。


 そっちには、誰も……いや、不味いっ。


「やめろっ!!!」


 大声を上げて自分の肉体を静止すれば、10メートルほど後方で伏兵の眼前にて透明の刃が止まった。


 初めに攻撃を加えてきた男はこちらの隙を突くこともなく、後ろに飛び退いた。



「うん?ゴブリンにユニークスキルですか。贅沢なモンですねぇ」


 男は酷く胡散臭い口調でそう零した。

 長く伸びた結晶を消した俺は、そこでやっと襲撃者の正体を口にした。


「……人間」


 長い白髪を背中で一つ結びにした男は、ニヤリと笑う。

 人間であることに加えて、濃い緑色の軍服。


 そういえば、あの砦は『帝国』とかいう人間の国に比較的近い位置にあると聞いていたが、見かけた瞬間警告もなしに斬りかかられるほどに嫌われているとは。

 これでは構想していた亡命という選択を排除せざるを得ない。


 守る必要もないはずなのに、思わず背後の彼らを庇うように前に出る。フリだけでも守っておけば、後々恩を売れるだろう。そう理由を後付けした。


「おい、大丈夫か」


 心配するようなジジガンガの声。


 おそらく先ほど叫び声を上げたことを言っているのだろう。

 俺は彼を安心させるように頷いた。


 目の前では、茂みに隠れていた伏兵が白髪の帝国兵の横に並ぶ。


「あのお粗末な筏はお前達のものでしたか」

「……だったら?」


 自分でも驚くほど低い声が出た。


「実はワタクシ、身内がお前達ゴブリンによって不幸な目に遭ったことがあるのですよ」

「……」


 肉体が戦闘の気配を察知して、勝手に姿勢が低くなる。



「しかし、緊急事態なのでその件は忘れて、手を組みましょう」


 男は嘘くさい敬語で、そう提案してきた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る