第3話 呪術ってなにぞ

 休日をもらった日、俺は朝早くに流し場で顔を洗う。

 まだ太陽も登っていない時間帯であるためか、その場には俺以外に誰も居ない。

 早い時間に起きたのは、単純に目が覚めたのもあるが、化け物ゴブリン達と顔を合わせるのが面倒だったからだ。


 俺は剃刀で髭を剃った。

 仙人のような立派な髭が落ちた後には、他のゴブリンと同じようにツルリとした顎が現れた。



「……っ」


 そして再び顔に張り付いた髭を洗い流してから顔を上げると、鏡の中で俺の背後に一人の女が映っていた。


「誰だ、あんた?……人間!?」


 問いかけた後で、その女がゴブリンではなく人間であることに気づいた。


 慌てて振り返るが、背後には誰も居らず、改めて鏡を見てもやっぱり俺の後ろには女が居た。


『……』


 月のような金の髪に、気怠げな目元には不思議と妖艶さを感じる。

 前世で見たならば、思わず目を惹かれたに違いない。

 しかし、血のような赤い虹彩が彼女が異質な存在であることをこれ以上なく明瞭に叩きつけて来る。


 きっとこれはゴトーの記憶だ。


 見れば彼女の手には、黒に金の筋が入った美しい刀が握られている。

 ゴトーは聞いただけでも多くの人間を殺したらしい。


 この女もその一人だろうか。

 理由も無く湧き上がる罪悪感と怒りがそれを肯定する。


「申し訳ないが、あんたの復讐相手は、俺じゃない」


『……』


 彼女はジッと俺を見ている。まるで、罪を忘れるなと言わんばかりの表情で。

 彼女の表情からは感情が読み取れない。


 怨んでいるようにも、怒っているようにも、はたまた哀しんでいるようにさえ見える。


「はぁ」


 この事象に対して俺は、ただ面倒臭いとだけ思った。

 前のゴトーのせいで俺が変な呪いに囚われている、という他人事のような感想を持った。同時に謎の女に対しても、綺麗なのに勿体無い、という哀れみだけを持った。

 変に罪悪感を掻き立てられるのも、煩わしい。


『……』




 ◆




「呪術?」


 呪い、というタイムリーな単語に対して俺は思わず反応してしまう。


「うむ。某は呪術を専門に扱う紫呪兵ヴァイオレットなれば、この修練もまた我が魂をより黒く染め上げるためのものである」


 癖の強い口調に加えて新しい単語があってさらに聞き取りが難しい。


 砦の内側で二人の兵士が禍々しい雰囲気を発していたので聞いたみたところ、二人の内の片方が俺の声に反応する。

 小さな骸骨のようなものを首に掛け、勾玉のようなものを身体中から吊り下げている姿は確かに呪いを操るシャーマンのような見た目だ。


 彼が言うには、二人で互いに呪術をかけあって呪術の練習をしていたらしい。


 呪術が何かと問えば、これまた小難しい返答が帰って来る。


「呪術とは魔力による感情の発露なり。感情無くして呪術は成らず、魔力なくして呪術は届かぬ。そして修練なくして魂を呪い染める事はできぬのだ」


 魔力という言葉から、それがファンタジーで言う『魔法』にあたるものだろうかと想像する。しかし、魔力が彼らの厨二病的な語彙によるもので、マジックなパワーでない可能性もある。


「百聞は一見に及ばぬ。体感すれば尚更だ。その身にて我が深淵をご覧じろ」


 その兵士が俺に手を向ける。


「……む」


 小さく声を漏らすが、直ぐに集中しなおすと、先ほどのように彼の全身が禍々しい雰囲気を纏い、俺の視界にモヤが掛かる。


「『視霞ヘイズ』」


 酷く濃い霧が掛かったように、俺の視界は白く染まっていく。

 近くにいる彼らの姿は見えるものの、少し離れただけで影しか見えないほどに視界が悪い。


 しかし、呪術という割には、地味だな。


 前世の軍隊には閃光手榴弾フラッシュバンが存在するぐらいだから、視界を制限する手段は酷く効果的だ。どうやら俺以外に呪術の影響が出ていないのも考えると、フラッシュバンよりも優秀かもしれない。


 しかし、地味だ。


 傍目には俺が急に目を擦って驚きの声を上げているようにしか見えないだろう。


 ……地味だ。


「では汝も挑戦するが良い」


 偉そうにどかりと座り込む厨二病の紫呪兵ヴァイオレット

 出来るのならやってみろとばかりの態度に、俺は少しムッとしながら意識を集中させる。魔力とはおそらく、あの禍々しい気配の事だ。

 それを纏っている自分を想像しながら、身体中のエネルギーを外に押し出すように……。


 すると、禍々しい気配がどことも表現できない一点に流れ込むのがわかった。


「ぉお!?」


 目の前の兵士から驚きの声が上がり、俺は目を開けて掌を見下ろす。


「剣……?」


 掌から下向きに刃が生えている。

 俺は透明で透き通ったその結晶を見て、氷柱でも水晶でもなく、不思議と剣を連想した。俺の中で剣とは、柄があって鍔があって刃のある金属の棒である筈だ。


 なのに刃の部分しか見えないそれを見て、剣と……。


「っ……」


 脳裏に赤目の女の姿がチラつく。

 ……なるほど、これもまたゴトーのらしい。


「はぁ」


 俺は剣の結晶を握り潰す。

 キラキラとした破片が地面に落ちて散らばった。


「……どうだ?」

「むむ、これはまるで魔法のような」


 呪術とは別に、魔法も存在しているのか?

 見たところ呪術はデバフのような効果だったのでおそらく炎を出したり氷を出したりするのが魔法といったところだろう。しかし、この驚きようを見るに魔法を持つ存在というのはゴブリンから見ると異質らしい。


 俺は『そう見えるだろう?』と笑って誤魔化すと、地面に落ちた結晶を足で崩して念入りに証拠を隠滅する。


 どうやら、俺に呪術は使えないらしい。




 ◆




 その日の夜から、荒野に雨が降り始めた。初めは小雨だったが止まる事なくその勢いは強くなっていく。

 本来この辺りの気候で雨が降る事は珍しいため、直ぐに収まるだろうと兵士達はタカを括っていた。

 しかし予想を超えて、雨は一日、二日と続いて遂には一週間近く降り続けた。


「おい!バケツを回せ!水を外に運べ!」

「先に土嚢で塞がねぇと、水が入るだろ馬鹿!!」

「やべえ、一人流された!」

「急げ急げ!!」


 荒野とはなんなのかと問いかけたくなる程に雨は続き、砦の中まで浸水している。

 水捌けよく作られていないこの砦は一度水が入ってしまうとなかなか自然に抜けない。


 兵士達は初めての事態に右往左往しながら、水を排していく。

 膝下まで浸水しているために、慣れない者は転けて、水を飲み込んで咽せる。

 膝下とはいえ、冷たい水に浸かり続けることで彼らの体温が奪われる。


 ゴトーの武術も水害に発動する事は無く、俺もひたすらに彼らを手伝ってバケツで水を外に運ぶ。

 役に立つのはこの有り余る体力だけ。

 この状況では力があっても彼等と同じくらいに無力だった。



 バケツを渡そうとしたゴブリンが、目の前で水の流れに足をとられて転んだ。


「バ、ブッ!?」

「おい」


 俺はバケツを片手に持ち替えて彼の腕を引っ張り上げる。彼は口から水を噴き出しながら起き上がると俺に頭を下げる。


「ありが……っぺっぺ。なんだこれ」


 吐き出した水の味を確かめるように、彼はもう一度水を掬い上げて口にする。


「おい、やめろ。汚いぞ」

「いや、ペッペ。なんかこれ、酸っぱい」


「酸っぱい?」


 俺も彼と同じく、一度水を口に含んでから吐き出す。

 これは酸味というよりも。


「塩の味」


 記憶にある海水の味と同じ。

 改めて匂いを嗅ぐと濃い磯の匂いが漂う。


「が、アアアァ」


 思考を切り裂くように、近くで悲鳴が上がる。

 兵士の一人の腕に細長い生き物が噛み付いている。


「へ、蛇だあああ」


 派手な縞模様に、尻尾の先に小さなヒレ。

 蛇は蛇でも、海蛇。


「気をつけろ!水の中に魔物が紛れ込んでいる!!」


 俺は大声で彼らに知らせる。


 俺は何者か。

 それを確かめるよりも先に、砦を海が襲った。

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