第2話 汚染

 この小さな砦には幽鬼ガイストと呼ばれる一人のゴブリンがいる。


 普段の彼はまるで幽霊の如く虚な表情で砦内部を徘徊し、見つけたと思えば、どこか一点を焦点の合わぬ瞳で見つめている。


 そんな彼だが、砦のゴブリン達には一目置かれている。

 なぜかというと、強いからだ。


 ある時、虫魔物が大量発生したことがあった。

 それらの中で進化したものをリーダーに大移動を起こし、この砦の近くを通ることが分かった。

 その時には既に逃げ場なく、この砦で篭城をするしか彼らに選択肢は無かった。


 そして、魔物の群れがいざこの砦に現れたその日に、彼らは鬼神の如く魔物を蹴散らす彼の姿を目撃した。


 それまではすれ違いざまに肩をぶつけられたり、石を投げつけられることすらあった彼だが、その日を境に行為は一切行われなくなった。


 代わりに彼の実力をあてにして、彼を外に連れ出して、魔物の掃討を行わせるようになった。


 その時に、そもそも彼は何者なのだろうと調べられることとなったが、そこである事実が発覚した。


 彼はこの砦の兵士では無かったのだ。


 かと言って料理人でも、出入りの商人でも無い。

 それらは下手すれば兵士よりも確かな出自を要求されるからだ。

 ならばどうやってこの砦にやって来たかというと、それなりの立場を持った兵士が彼を連れて来て、そのまま置いて帰ったのが彼の来歴らしい。まるで姥捨山のような扱いだ。


 その事実に慌てた兵士達は、彼に新米兵士に相当する白従兵ホワイトの立場を与えた。

 大義名分を得たことによって、更に遠慮なく扱き使われるようになった幽鬼ガイスト……それが俺だった。




 ◆




 俺の名前は元井晴久。

 しかし現在はゴトーいう名前を持ったゴブリンの身体に憑依している。果たしてこれを転生と言うのか、悩みどころだ。


 ジジガンガから、元のゴトーの扱いを聞いた時にはその理不尽な扱いに辟易とした。ゴトーが魔物と戦うまではタダ飯食らいだったのは確かだが、魔物と戦うようになってからは普通の兵士よりも戦っていたはずだ。

 逆に砦の兵士の方は魔物と戦うことが減っていった。

 にも関わらず兵士が得る給料は変わらない。


 あまりにもゴトーが可愛そうだろう。

 俺は会話することもできない彼に同情した。


 彼らの生活の中で、ゴトーは道具だ。勝手に家の中を掃除する家電のように、魔物を掃除する、道具。感謝されることもなく、ただ利用されるだけの道具のような存在。


 元の彼がその事を気にするかは知らないが、今ゴトーである俺は何だか気に食わなかった。



「そういえば最近、すげえ新人が現れたらしいぜ。成人直後に一気に中品中生5位に昇格したらしい」

「うん?でも初めは誰でも白従兵ホワイトの筈じゃ無かったか?」


「だからすげぇんだろ。成人するまでは白従兵ホワイトで固定だからな、それまでに実績をあげりゃあ特進もあるが、それでも一気に4つも飛ばすには尋常じゃ無理だ。聞いた話じゃ、北東聖国方面でデカイ戦果を上げたらしい」

「ほえー。よほどニンゲンぶっ殺しまくったんだな」


 という物騒な会話をしていた彼らだが、俺が食堂へ踏み入った途端に彼らの会話の声は小さくなる。


「……幽鬼ガイストだ」

「本当に元に戻ったのか」


 戻りましたとも。そう声に出す訳にも行かず、声を出したゴブリンに視線を合わせると、彼らは顔を伏せる。仕事を押し付けていた自覚はあるらしい。


 俺はジジガンガの前にドスンと腰を下ろすと彼を睨み付ける。

 不機嫌を演出したのは交渉のためのパフォーマンスだが、ゴトーがこれまで仕留めて来た魔物の数を知っている彼は、それを見て苦笑いを浮かべてはいるが、額からは汗が噴き出ている。


「どうした、ゴトー。今日は不機嫌だな」


 白々しい言葉を並べるなよ、狸野郎め。


「……ここの砦の兵士の仕事ってなんなんだ?」

「そりゃあ、ここを守ることだ」


「ふぅん。ゴブリンってのは酔ってる方が戦えるんだな」

「あぁ?……アイツらは、休日なんだよ」


 俺は顔を赤らめて酒樽を煽っている兵士に視線をやりながら、嫌味を溢すとジジガンガは苛立たしげに返した。


「ふぅん」


 低い相槌が漏れる。


 俺、意識が戻ってから十日以上は働いてるが、休みなんて無かったけど?

 それに、彼らが酒を飲んでいる姿を見るのは今回が初めてじゃない。


「休みが欲しいのか?」


 合点がいったように彼は問いかけて来る。

 武力を背景にした交渉で申し訳ないが、俺も命懸けなのだ。

 そもそも、体に染み付いた謎武術がどの程度の魔物まで通用するか分からない。


 俺はゴトーが強いと思っているが、それは前世の基準によるものだ。

 この世界には前世の法則など通用しない化け物が存在している。

 馬鹿デカいサソリに馬鹿デカいクモ、馬鹿デカいカマキリに馬鹿デカいアリ。


 今のところゴトー氏の武術はそれらの化け物に苦戦したことすら無い。


 それは、この世界においては『すごい』ことらしい。

 しかし、俺が倒した魔物を一息になぎ払う魔物や、そんな魔物を討伐する者がこの世界にはいる。果たして俺がそれに通じるのか、借り物の力しか持たない俺ではそれを予測することすらできない。それが怖いのだ。


 自分の身の丈以上の力を持って、調子に乗るよりも先に怯えることになるとは、自分の小心なところに嫌気が差す。


 俺は感情を読ませないように、ただ無表情で目の前のゴブリンを見つめる。


「……分かった。七日に一度休みを与えよう」

「あんた、キラーマンティスって知ってるか。昨日俺が戦った魔物なんだが、アレは四本の鎌を持ってるんだ。それに一つ一つが鋭い。死骸の鎌を振ってみたんだが、触れてもいない岩が真っ二つだ。すごいだろ、なぁ?」


「……脅すつもりか?誰のおかげで元に戻れたと思ってるんだ」

「いや」


 俺は心外だといった表情で首を振る。


『誰のおかげで元に戻れたと思ってるんだ』

 彼の言葉から、俺が宿っているとはいえ、ゴトーが外見上正常に戻っているのは意図した結果、ということか。

 しかしジジガンガの立場からするとゴトーは自失したままの方が都合が良いように思える。同じ機能を持つなら自我のあるロボットより自我の無いロボットの方が使いやすいだろう。


 俺はなんらかの情報が意図的に伏せられているのを感じながら、酒盛りをしているゴブリン達をもう一度見た。


 ふと、つい最近に友人の家で酒を持って集まったのを思い出した。


 コンビニで安い酒と、安っぽいツマミだけを買って、ほろ酔いしながら寝落ちするまでゲームをして、時々下品な話をして笑った。


 そんなしょうもない、だけど掛け替えの無い日常が、ファンタジーよりも遠い場所になってしまった。


 左手の指を擦り合わせる。滑り気のある感触がまだ残っている気がする。

 甲殻が擦れるような高い音が、頭にまだ響いている。

 一日8時間、十日で合わせてたった80時間の『お仕事』が、俺の心の生温い思い出を急速に劣化させている。

 彼らとの会話がどのようなものだったか、俺は思い出すのが難しくなっていた。


 きっと酒を飲んでいたから記憶が怪しいのだ。そうに違いない。


「……」


 気づけばジジガンガも俺と同じように彼らを見つめていた。


 歌う者、裸で踊る者、笑う者。

 緑の肌と酷く醜い容貌。それでも彼らは……いや、それは俺にとって認めがたい事だ。


「分かった!五日に一日の休養をやる。これは他の兵士と同じものだ。特別に今日も休みにしてやる。これ以上は、俺の権限じゃ無理だ。上に言え」


 上司は観念したように手を上げる。


 ……初めからそうしろ。




 ————————————————————



 元々の書き出しはこんな感じです↓。


 """

 俺の名前は元井晴久!大学生だ。

 ある日俺は大学の友達とサークルに行ってボードゲームで遊んでいた。

 一位を取るのに夢中になっていた俺は背後から近づいてくる酒を持った男に気づかなかった。

 俺はその男に酒を飲まされ、目が覚めたら……。


(ここから裏声)


 ……体がゴブリンになっていた!

 この中身が人間であるとゴブリン達にバレたら命を狙われ、魔物の餌にされてしまう。

 心の声の助言で記憶喪失を装うことにした俺は直属の上司の命令に従って魔物掃除を行ったのだった。


 たった一つの命大事に、見た目はゴブリン、中身は人間。

 その名は、新米兵士ゴトー!

 """


 ……っていう文言を思いついたけど、やめました。

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