第十章 Reboot

第1話 復活


 俺の中に、ゆっくりと何かが積み重なっていく感覚。

 段々と意識が上に昇り、やがて曖昧だった五感が鮮明に定まっていく。

 まるで起きながらにして夢を見ていたようだった。


「……ん……ぁ」


 顔の前面には光と熱を感じる。


 同時に俺の体が、膝の高さほどの岩に腰掛けているのが分かった。


「ぉい!」


 誰かが意識を確認するように俺の目の前で手を左右に振っている。

 俺はフワフワとした意識のまま、曖昧に頷いた。


 その表情は焚き火の影になっていて読み取れない。


「——!」


 その男が何かを言いながら、俺に何かを食べさせる。

 味のしないそれを無理やり呑み込めば、頭の中に声が響く。


『こころ』


 こころ?と問いかける前に、俺は完全に覚醒した——。




 ◆




「あ、れ?」


 初めに出した声は自分でも驚くほど掠れていた。

 まるで何年も使ってなかったのかと思うくらいに声帯が衰えている。


 直ぐ前には小さな焚き火。パチパチと火花が弾けている。

 声を出した俺の肩を一人の人物が掴んで振り向かせる。


「おい!大丈夫か?意識はあるか?」

「あぁ、大丈……ぶ?」


 俺は反射的に彼の言葉に頷こうとして、その顔をマジマジと眺める。

 火の光によって色が分からなかったが、その肌の色は緑色で、さらには人間とは思えないほどに背筋が曲がっている。


 そして、酷く、醜い。

 ギョロギョロとした眼球が、こちらを覗いている。


「うぉオオオオオ!!化物オオオオオオオ」

「ちょ、おま」


 俺は人型の化け物に砂を浴びせてから、裸足であるのにも構わずに背中を向けて逃げ出す。化け物に背中を見せる危険すら、その時には頭に無かった。


 俺は、酷く暗い森の中を叫びながら走り回る。

 途中からは、声が漏れないように口を押さえながら走った。


「ふー……ふー……っ、ふー……」


 何なんだ、あれは?

 まるでゲームで見たゴブリンのようだ。


 何より、この場所は何だ。

 こんな森は家の近くにあっただろうか。

 俺の記憶では昨日まで俺は確かに大学生だった筈だ。

 登山部などの特別なサークルに参加していた訳でも無く、単なるボードゲームサークルに所属しているだけの、ただの大学生。


 それが何で、こんな……。


 上を見れば、左手の方に巨大な岩の砦が建っている。


 もしも、俺が誘拐されて海外に来たのでなければ、俺はこんな場所を知らない。


 化け物の足音が聞こえなくなるほど遠くまで走ったところで、息を落ち着けるように膝に手を置く。

 久しぶりに全力疾走したが、まだ体力には余裕がありそうだ。


「はぁ……まずは、人を見つけないと」



 俺は、目線の先に綺麗な湖を見つける。

 喉が乾いていたことを思い出して引き寄せられるように、その淵まで歩く。


「腹壊したり、しないよな?」


 俺はとりあえず土で汚れた手を洗い流そうと、水面を覗き込むと、月の光が入り込んで、顔が反射する。


「——は?」


 俺が驚きの声を漏らすと同時に、水鏡の向こうの化け物も驚いた表情を見せる。

 暗さのせいで色覚が曖昧だが、水面に映るその顔は緑色で皺に塗れていて、醜い。先ほど見た化け物との違いを上げるなら、こちらの方が顎から伸びる髭が長いと言う程度。


「な、んだこれ」


 俺は顔のシワを伸ばすように顔を触るが、その顔が人間のものに戻ることは無い。


「おい!……いきなり叫び出したけど、大丈夫かよ」


 呆気にとられてしまい、足音が近づいているのにすら気づけなかった。

 腫れ物に触るような言い方で近寄ってきた者の方を見れば、やはりファンタジーで見たゴブリンのような見た目をしていた。




 ◆




 結論から言えば、俺はこの世界においてゴブリンと呼ばれる種族となっていた。

 この世界、と言う言葉から想像するように、ここは地球とは異なる法則が働く世界らしい。つまりは異世界だ。


 そしてこの世界のゴブリンはファンタジーにあるような雑魚種族ではなく、一つの国家を形成している大きな勢力を持った存在であるらしい。

 何よりの凶報は、ゴブリンは人間と敵対しているらしい。

 それも不倶戴天と言えるレベルで、嫌われている。ゴキブリンだ。


 ……といった内容を俺が目覚めたあの時に、すぐそばにいたゴブリンに教えられた。

 彼はジジガンガという名前のゴブリンで、俺を含む多数のゴブリンを率いる小隊の長らしい。


 そして、この体の持ち主は今日まで魂の抜けたような状態だったらしい。彼は控えめに表現していたが、おそらく認知症の末期のような感じだったようだ。


 恐らく中身の抜けた体に俺の魂が憑依したという訳だろう。


 一回りは小さくなった体を見下ろして、ある可能性が頭に浮かぶ。

 もしかして俺、ずっとゴブリンのままなのだろうか?


 ゴブリンが人間と敵対しているという事実が重くのしかかる。外見は明らかにゴブリンであり人間には排斥されるだろう。その上、もしも、中身が人間である事を知られればゴブリンに殺されることになる。

 そう思える程の確執を彼らの間に感じた。


 とにかく疑われないようにしなければ。


 俺は記憶を失っている設定で行くことにした。こうすれば僅かな違和感も見逃してもらえることだろう。これまでは記憶どころか自我がない状態だったらしいので怪しまれないだろう。


 目立たず、焦らず、波風立たせずの精神だ。


 そう思いながら次の日、上司たるジジガンガに連れられて外に行く。相変わらず彼らの顔の違いが分からない。


「よし、じゃあいつもみたいに外の掃除を頼んだぞ。ゴトー」

「あぁ、掃除だな」


 流石に昨日まで自我も怪しい状態だった人間、いやゴブリンを戦いに駆り出すようなことはしないよな。軽く頷いて了承する。

 ちなみに、この体の持ち主はゴトーと呼ばれていたらしい。


「今日はいつもより魔物が多いらしくてな。まあお前なら大丈夫だろ」

「——ん?」


 酷く不穏な単語が彼の口から発せられた。

 聞き間違いだと思ったその言葉は、目の前の光景によって直ぐに打ち消された。


 丁度荒野と森の間にあるこの砦からは、荒野に広がる化け物達の様子がしっかりと捉えることができた。

 サーベルを握る爬虫類のような人型や、時折地面を破って現れる巨大なミミズ、そして膝の高さはある毒虫達。


 上司ジジガンガはその中で最も大きな化け物を無邪気に指差す。


「ほら、あれ。デスストーカー」

「あぁ、あれ。デスストーカー」


 思わず馬鹿のように彼の言葉を反芻する。


 俺の身長と同じくらいの大きさのあるハサミに、胴体を貫通しても余りある長くて太い尻尾の針。それらを携えた巨大なサソリが大地を闊歩している。

 時折、尻尾の先から滴る液体が地面に落ちて、焼けるような音と共に白い煙が立ち上っている。


「じゃ、頼むわ」

「ちょっと待ってくれ。なんか、今日調子悪いみたいだ」


「ハハ」


 ハハ、じゃねえよ。こっちは命が掛かってるんだぞ。


「嘘言うなよ、今日は焦点も合ってるし、言葉も話せてるじゃないか」


 ということは、お前は昨日まで焦点も合ってない奴に魔物の駆除を押し付けてた畜生ってことになるが良いのか?


「調子悪いのは本当だ。……なぁ、あんたがやってくれないか?」

「俺ぇ?ムリムリ。だってあんなのと戦ったら死んじゃう」


 ぶっ殺すぞてめぇ。



「じゃあ、俺戻るわ。終わったら言えよ」

「待っ、え?嘘?本当?」


 軽い言葉と共にバタンと閉じた石の扉。

 俺は慌ててそれを開けようとするが、手元から何かが外れるような、不穏な音が鳴る。


 ゆっくりと視線を下げれば、取手が外れている。


 取手は手で取れるから『取手』と呼ばれているのだろうか。

 そんな筈は無い。



「ギチィ」


 俺の周囲が急に暗くなる。

 ゆっくりと後ろを向けば、デスストーカーが威嚇するように鋏をカチカチと打ち鳴らしている。


「ぁ」

「ギィイイイイ!!」


 バイクのような速度で鋏が迫る。



 瞬間、時間が止まる。


「——」


 いや、時間は動いている。ただし、限りなくゆっくりと。

 そして俺の思考もゆっくりと動いているのを感じる。


 しかし、もっと異様だったのは、この場からの逃走を願っていた俺の体がサソリへ向かって動き出したことだろう。

 俺の感覚では辿るべき道筋が見える。その道筋を辿るとどうなるかは分からないが、そんな疑問を挟む余地すら無く肉体はその上を走る。


 不思議な感覚だ。思考よりも先に体が正解を選び取っている。


 鋏の上を蹴って、サソリの眉間へと跳ぶ。


 空中にいる俺を狙って、尻尾の針を刺してくるが、俺の体は予期していたように、腕の側面を使ってそれを受け流す。


 そうして、左手を開いて指先を伸ばし、それをサソリの頭部に向かって突き出した。

 生身の指先が分厚い甲殻を貫いて、その奥の体液の粘り気のある感触が伝わってくる。

 それでも暴れるサソリに対して、突き込んだ左手で神経を引きずり出しながら飛び退いて回避する。


「ギュ、チィ」


 甲殻の擦れのような断末魔を上げながらサソリはその場に崩れ落ちる。

 左手についた体液を振り払うと、地面についた体液が煙を上げる。


 再び、自分の腕と、崩れ落ちたサソリの巨体を二度見する。



「——え?」


 もしかして俺、強い?




————————————————————

他人じぶんのふんどしで相撲をとる主人公。

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