第22話 第九章リザルト:神国

 ゼル達がラグハングの街を発ってから二週間が経った。


 彼の連れ合いは二人。


 一人目はレイア。普段は物腰が柔らかい、穏やかな女性なのだが、時折ゼルにとっては理解しがたい言動をすることがある。


 自己蘇生の能力を持っているために、自分の命の価値に重きを置いていないように見えた。


 ゼルは彼女が愛とか喚き散らしている時はあまり近づかないようにしている。



 もう一人はゴトー。


 ゼルは爺さんと呼び慕っているが、レイアの娘であるリズ曰く、本当の歳は結構若いらしい。


 彼は基本的に痴呆なので、普段はどこかを見ているような、見ていないような曖昧な感じで宙を眺めている。


 ゼルは彼を武術の師匠だと思っているが、いまだに彼と言葉を交わしたことはない。



 神国を横断するように旅して来た彼らは現在、緑都への門を潜った所だった。


「うお〜〜〜、すげぇデカいぜ!!」

「ええ、初めて見ましたが、こんなに高いのですね」


 大口を呆けたように感嘆の声を漏らすゼルと、似たような状態ながらもかろうじて品を保っているレイア。


 彼らが見つめているのは、緑都の中心に聳え立つ巨塔——迷宮だ。

 ここは元々迷宮都市と呼ばれた場所だった。


 帝聖戦争の終わり際に起こされた大征伐において、ゴブリン達は聖国の南側を中心として侵攻を始めた。

 そして、聖国軍の帰路を断つようにして迷宮都市周辺を占領した。それによって聖国軍は孤立し、帝国軍は王国領似て蜂起した亜人連合によって抑えられる形となった。


 その際にゴブリン達は迷宮都市を首都として建国を宣言する。

 さらに領土を増やさんと神国軍は侵攻を続けたが、聖国の首都たる聖都にて『隔絶』の聖女によって押し留められる。


 反撃に移った聖女の手によって、聖国は領土の一部を奪還したが最終的に聖国は領土の半分程を失った。


 アーティファクトを唯一産出する迷宮を手に入れたゴブリンは、国が主導して迷宮探索を行い、多くのアーティファクトを兵装として配備し軍事力を増強した。

 神国は早々にその指針を侵略から領土の防衛に切り替えることで、現在まで聖国と帝国からの侵略を拒むことができて


 そのような経緯で建国された神国には、王というものは無く、国の意思決定は氏族の長と最高神官の参加する族長会議によって決まる。

 そこに参加する最高神官は宗教的な立場というよりも、依代の分配の権限を持つ立場からの意見を論ずる。

 奇しくも政教分離が行われているのが今の神国だった。



「では私達はリズと合流をします」

「合流、できるのか?この人の多さだぜ?」


 緑都は人に対して土地が足りず、その街壁の中から溢れて外縁にも住む者がいるくらいには人が詰まっている。

 住民同士が知り合っている村と違って、街行く人々に聞いて回ってたどり着けるようには見えなかった。


「……まぁ、日が暮れるまでには見つかるでしょう。無理なら宿を取りましょう」


 考えていなかったのかと、ゼルは少し呆れながら二人と別れる。

 もちろんその後の合流のために、ゼルが泊まる宿は二人に伝えていた。


 彼は空を衝く塔の方を目指す。

 聞いた話では軍の中枢も塔の側にあるらしい。

 彼の目的は開拓地を出た時から変わらない。軍人となることだ。

 今はその時とは違って、彼の師匠、ゴトーを元に戻すという目的がそこに加わっただけだ。


 中央を通る大きな通りを進んでいくと、やがてもう一つの関所にぶつかる。ここから先は軍の関係者か、氏族に所属するものでなければ通れない。


「おい、そこのお前。身分証を提示しろ」

「ん?」


 そのことを知らないゼルが通り過ぎようとするのを、厳しい顔をした門兵が呼び止める。


「身分証だ身分証。所属する氏族を示すものか軍の徽章を見せるんだ」

「あぁ」


 ゼルはそこでグニスから受け取った剣のことを思い出して、背中から取り外して見せる。


「……これで良いか」

「……なるほど、シジェ氏族からの推薦か。その年で随分と優秀なようだな。そうだな、俺が詰所まで案内してやろう」


 そう言ってもう一人の門兵に何かを頼んだ後、彼はゼルを先導して進む。外縁よりもいくらか上等に整備された街並みが広がる。

 そもそも、建築様式すら異なるように見える。

 おそらく、迷宮都市を占領してからさらに街を広げたのだろう。


 道には軍服を纏う者が行き交う姿が増えるようになった。

 そして外縁では結構見かけていた亜人の姿も、ここでは殆ど見なくなる。


 そして、人の行き交う区画を抜けると、ゴブリン数人分はある高さの柵に行き当たる。

 右を見ても左を見てもその端が見えない程に広い土地を囲っている。


 そこでは、多くの兵士が集団で走り、武器を振り、己を鍛えている。


「ここが」


 ゼルはこれが目的地であることを理解する。

 門兵に付き従って柵に沿って進むと、やがて柵が終わり、兵舎がゼルを出迎える。

 先ほどの柵に囲まれた大きな空白地帯は練兵場とでも言うべき場所なのだろう。


 門兵がその場で足を止めると、ゼルの背中を押す。

 振り返ったゼルに、門兵はニヤリと笑った。


「神国一の地獄へようこそ」


 なるほど、地獄と表現する程にここは過酷なのだろう。


「ハハ、上等だぜ」


 ならば、早くのし上がれば天国にでも行けるだろうか。


 ゼルは兵舎に向き直ると、駆け足で門を越えた。




 ◆




「では、肝心の人間は取り逃した、と?」


 長方形の三辺にはそれぞれ氏族の長達が座る。

 残る一辺には椅子は無く、代わりに三人の人物が腰の背後に手を組んで立っている。

 その内の一人は黒曜の徽章を身につけている。


 それぞれが今回の聖国の侵略の防衛に関わった者達だ。


 現在、会議の代表を務めている議長は攻めるような口調で彼らに問いかける。


「はい、仰る通りです」

「んな」


 端的に肯定した女兵士、『玲弓』の言葉に、面食らったような声を漏らす議長。


「あのスタンピードによって、聖国には我が国の領土を削り取られた。スタンピードの誘発を可能とした肝心の男は取り逃がし、何の申し開きもなしか」

「はい、私は全力を尽くしましたので。取り逃したことは反省していますが、謝罪は致しません。不手際を挙げるならその指示を出した、私よりも上の物でしょう」


 彼女に指示できる権限を持つのは、氏族長以外に無い。


「なんと、無礼な!」


 彼女の歯に衣着せぬ言動に、氏族長たちがいきり立つ。


「例え玄玉兵ブラックといえども、これ程の無礼。今すぐこの女の位を剥だ……」

「あらあら、随分と野蛮なこと」


 怒った氏族長の声を遮る女の声。

 それほど大声で放った訳でもないのに不思議とよく通る声だった。

 彼女の放った一言によって議場に沈黙が広がる。


「ふぅ。少し暑いかしらね」


 議長の隣に座る、その女は妖しい笑みを浮かべながら扇子を広げると自分を扇ぐ。

 議場に甘い匂いが広がる。


 すると、途端にこの場にいる男のゴブリン達は、瞳がとろけたようにうつろになる。


 女兵士は、既に息を止めているのにも関わらず脳に伝わってくるに顔を顰める。


「あなたも、本当に頑固ね」

「……」


 言葉とは裏腹に、彼女を嫌うような態度を見せる女兵士を愉しそうに見ている。


 彼女の名はジーン・ロロン。ロロン氏族の長という立場ではあるが、ジーンは氏族のため働くことは無い。


 ジーンは席を立ち上がって、『玲弓』の背後に回ると抱きすくめるように両腕を肩から胸元へ向かって這わせる。


「それで、何時になったらわたくしと褥を共にしてくれるのかしら」

「離しなさい、色情魔」


『玲弓』は口調を取り繕うこともせずに、その手を跳ね除ける。


「……本当に頑固。そんなに拒否されると、余計燃えてしまうわ」


 そう言いながら、彼女は纏っていた薄紫色の魔力を濃くする。


「私が目を瞑るのは、あなたの行動が国のためになる時だけよ」


 最終的に国のためになるならば、彼女が氏族長全てを呪術で操っていようと、彼女が魅了を振りまいて多くの兵士達を気まぐれにいようと構わない。

 それによって、この国の高官は汚職という発想を奪われ、喜んで国に奉仕する潔癖なゴブリンとなっている。


 そのお陰で、飢えは減り、国は発展することができた。


 しかし、その力を自分のためだけに使うようになったなら。


「約束を違えれば、その時は私が真っ先にあなたを討伐する」

「討伐するなんて物騒なこと、聞かれて大丈夫かしら?」


「どうせあなたの言葉しか聞いていないわ」

「ふふ」


 見抜かれたジーンは、口元を扇子で隠して曖昧に笑う。


「そろそろ、氏族長達を元に戻して」

「どうしてかしら?」


「報告しないと。侵略に来た人間が男なのに聖女の権能を使ったことを」

「ふぅん?」


 政治に興味のないジーンは適当に相槌を打つと、指を鳴らして呪術を解除した。

 その後の会議は、『玲弓』のもたらした報告によって再び騒然とした。


 神国軍によって『宝具使い』と名付けられた人間は最大限の警戒と共にその存在を記録された。

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