第19話 骨の剣
「オークがこちらを攻撃する事は無いと聞いてはいましたが、未だに信じ難い」
「えぇ。少なくとも、その腕に魔力を通している間はこちらを味方と認識します」
青年の言葉に、白衣の女は自信に満ちた顔で答える。
「恥ずかしながらこのような年まで戦事の経験は無いんですよ。10年前の『大氾濫』のときも聖都に住んでいたので、詳しくは知らないんです」
「今回の件が終われば、立派な帰還者となるでしょう、ロドニエル司教」
「司教は止めてください。司教補佐、ですよ。……それにしてもこの腕輪は、全てのオークの効果が有るのでしょうか」
「上位種には通じませんが、キングは彼が力によって支配下に置いています。賢い魔物は自身の立場を弁える分、扱い易いです。……ただ、一人にだけ負担が偏るのは少し心苦しいですが」
「僕が考えた計画だから、僕が楽する訳には行かないよ」
二人の会話に割り込んできたのは、黒い短髪の冒険者。
教会において確かな立場をもつ二人に対してこのような対応をすれば、普通の冒険者ならば裸で街頭に吊るされてもおかしくはない。
そうならないのは、彼が確かな力を持ち、その力を存分に発揮して彼らに協力しているからだ。
「こうやって、二人が寛げるように露払いをするのも、重要な仕事だろう?」
ふぅ、と態とらしく疲れを見せながら、対面する二人の間の椅子に座り、三人で円いテーブルを囲む。
手元には『
彼らは目に見える距離でオーク達が行軍を続ける様子を、少し上の丘から眺めていた。
戻ってきたばかりの彼に、ロドニエルと呼ばれた男が問いかける。
「計画に変更は?」
「無いね、事前の情報とは魔物の分布が少し違うようだったけれど、誤差の範囲だよ。ゴブリンも、魔物も想定外は居ない」
「私としては、敵よりも味方の方が気がかりです。余りにも後詰の戦力が弱すぎる」
「閣下殿は僕が信用ならないんだろうね。ぽっと出の男の指示で軍を動かせ、となれば良い思いはしないよ」
それに、と首を振る。
「おそらく閣下殿は、占領はしても侵攻するつもりは無い。攻めは守りよりも兵の消耗が激しい。そもそも
「でしょうね」
男は眼鏡をクイと上げる。白衣の女も賛同する。
「……という訳で僕たちの仕事は、ここで寛いでおくこ……っ『
男は突然、手元から何かを投げ放った。
ロドニエルと白衣の女がそれに気づいたのは、空中を浮かぶナイフが、その切っ先に鳩を貫いたまま戻ってきたのを見たからだ。
「どうかされましたか?」
ロドニエルが問いかける。
わざわざ彼がアーティファクトを使う何かが起こったのだ。
「見られた」
「もしかして……使い魔ですか」
ただの鳥にしか見えないが、そのように偽装したのだろうか。
男はナイフを近寄らせて、鳩の死体を見聞する。
「……いや、違う。これは鳩だよ、間違いなくね」
「なら本当に鳩に見られただけでは?」
「それだけなら、良いんだけど……嫌な予感がする。予定を早めよう」
キングをせっつきに行くよ、そう言って彼は席を立った。
◆
「……攻勢が激しくなったか」
戦場を歩き回りながら、オークの群れを解体してきたバルアは剣に染み付いた血液を拭き取りながら呟いた。
「貴方は自分が指揮官であることを分かっていない」
側に立つ彼の副官がこめかみを押さえながら苦言を呈する。
「もう一度、レグオンが偵察を飛ばしている。場所が確定すれば私も出るつもりだ」
だからこそ、今の内に敵の戦力を削いでおきたい。バルアが戦場に出ていたのはその気遣いからだった。
「それで下手に消耗して、オークキングが狩れなければどちらも共倒れです。緑都へ援軍も要請していますし、持ち堪えるくらいならば自分の指揮で十分です。今は休んでください」
「……む」
確かに、バルア自身がアーティファクトを使用した通信によって首都に報告を出している。
本来であれば、主要な街同士の通信でのみ持たされるそれは、初のスタンピードとあって、対処するバルアに渡されていた。
おそらく首都から、近隣の街へ出撃要請が出ることだろうが、少数精鋭だけを動かしても一日は掛かる。
「そういえば、貴方は自分に盤上遊戯で勝ったことがあるのでしょうか?」
「……任せる」
「えぇ、承りましたとも」
重々しく頷いたバルアに、副官は慇懃に肯定した。
◆
一刻の後、レグオンの元に偵察の鳥が戻ってきた。
「やっぱり、人間達はオークキングに付き添って進んでるな。多分オークの群れを裏で動かしているのはこいつらだろ」
バルアもそれに同意したように頷く。
彼は前回の偵察の情報と合わせて、彼らの速度を計算する。
「移動に一刻かかるとして……このあたりか」
「鳥をやって誘導はするつもりなんだが、期待はすんなよ。何匹か撃ち落とされたせいで怯えちまってる」
「見当違いの方向に誘導されなければ、良い」
どちらにせよ、そこまで来ればオークキングの方は見つけることができるだろう。
オーク達に隠れて進んでいるのだ、少なくとも軍を蹴散らす程では無いだろう。
「側面から回り込む。動ける奴を上から選んで連れていく」
「数は?」
「小隊規模だ」
「わかりました。すぐに集めます」
「あぁ、集まり次第、直ぐに出る」
◆
少数による、キングを狙った電撃戦。
これが質が数を上回る事の無い世界であったならば、明らかな悪手だが、この世界において少数精鋭が大軍を上回る事は往々にしてある。
まして、少数の精鋭が完璧な連携をするのならば、翻弄する事すら可能だ。
「……」
岩場の影に隠れたバルアは手信号を出して後続の動きを制する。
彼の出した信号を見とった兵士も彼に倣うようにして後ろに信号を回す。軍人として斥候の動きも身に付けている彼らは、部隊全体がまるで一つの生き物であるかのように振舞う。
やがてバルアの眼下には見張りのようにオーク達が並んでいる。
「……」
右の兵士に視線をやると、彼は忙しなく手信号でこちらに合図を送ってくる。
(右 敵あり 多)
左の兵士からも同様の手信号が送られてくる。
全方向が敵で塞がれていることを確認すると、掌を頭の高さまで上げて、部隊全員の視線を集める。
そして勢いよく下ろす。
その動作の意味はごく端的。
(突撃)
「プギっ!?」
岩陰から躍り出た兵士達は相対した端から、オーク達を切り捨てていく。彼らが手足と等しくなるほどに、振り続けた剣はオークの頑丈な骨ごと、首を一刀両断する。
「フッ」
バルアは自身の身体能力の全てを活かすように、急制動を繰り返しながら電光のようにオーク達の間を駆け抜けながら、その急所を斬りつける。
彼の背後にはバラバラになったオークが転がる。
一分も経たない内にそこに駐屯していたオークは死体になる。
「……ふぅ。装備、経路の確認が終わり次第すぐに進む」
剣を水平に立てて歪みも刃溢れも無いのを確認したバルアは鞘に剣を収める。
(出発からもうそろそろで一刻。予想外に警備が厚く、予定よりも遅れたが万全の状態で辿りつけ——)
「まったく、動きが早すぎるよ」
「っ人間か!?」
バルアは初めて見たような態度を見せながら、後ろ目にハンドサインを送る。
(後援は?)
(四方 なし)
彼の所属する中央軍はどちらかというと国内の魔物を相手にすることが多い。他の方面軍と比べればあまり人間相手の戦闘経験には乏しかった。
目の前の男が一人で現れたのが、実力を弁えない無謀か、実力を伴った確かな自信によるものか、一瞬判断に迷った。
人間がこちらに向かって指を振り下ろす。
「
「っ散開ぃ!」
彼の周りで光が反射したかと思うと、空を裂いて雨の如く大量に飛来するナイフの群れ。数人が被弾するが、巧く急所を避ける。
「ナイフは誘導できる!気をつけろ」
視界の端でナイフの軌道が不自然に曲がったのを捉えたバルアは、叫びによって警告する。
タネが割れたと知った人間はもう一度指を振る。
すると、地面に刺さっていたナイフが浮き上がり、兵士たちをグルリと囲んで回る。
「ちぃっ」
彼は片手で構えた剣によって一本を受け流しながら、首を傾けてもう一本を避ける。
そして最後の一本を空いた左手で捕まえる。ナイフは彼の手の内で暴れるように右に左にと力が加わるがバルアは柄に手の跡が残りそうなほどに強く握りしめており、ピクリとも動かない。
見た目は鈍色の普通のナイフ。
しかしその柄尻には青色の宝石が嵌まっていた。
その宝石に自身の持つ剣の柄尻を叩き付けて割ると、ナイフは力を失ったように動きを止める。同時にアーティファクト特有の違和感も消え失せる。
「柄尻の宝石が弱点だ!私は先に行く!」
バルアはその情報を仲間達に共有しながら、魚群のように渦を巻くナイフの群れを突破していく。
自身の体に当たりそうなものを叩きおとし、受け流し、時には宝石を潰して破壊し、刃の牢獄を抜ける。
彼らは精鋭ながらもバルアに一歩劣る。
オークの進化種程度なら訳ないが、これだけ千本近いアーティファクトの中を抜けるのは難しかった。
辛うじて防御はできるようだったので、地道にナイフを減らしていけば時間は掛かるが生還する事はできる。バルアが積極的に加われば掛かる時間はさらに短くできる。
しかし、その先に倒すべき
群にして個、個にして群。目的のために四肢さえも切り捨てるのが神国の軍の在り方だ。
「辿り着いたぞ、ニンゲン」
「もう少し抜けてくると思ったんだけど……。簡単に終わりそうでよかった」
「部下には休憩を言い渡した。お前程度、私一人で十分だからな」
バルアはニヤリと笑う。
「そうかい。
男の背後から五本の剣が浮き上がる。
小騎士とは何なのかと思うような幅広のグレートソード。
男はそのうちの一本を持ち、儀式のように胸の前で縦に掲げると、残った剣が左右で二本ずつ並び、同じように切先を点に向けて整列する。
「ハハッ、剣比べなら負ける気がしない」
彼は
「『
口に手を突き込んだ。
手首の先ほどまで埋まった右腕は何かを引っ張り出した。
その剣は酷く見窄らしい見た目をしている。
持ち手から切っ先まで一本の骨を削り出したような剣は、全体が濁った白色をしていて、鍔さえ無い。
これまでに彼が振るっていた剣とは似ても似つかない野性的な剣。
「私が一度に振る剣は一本だけだ」
そう言ってこれまでに持っていた剣を地面に突き刺すと、骨剣を両手で構える。
「……なるほど。それは考えた事はあったけど、余りにも割りに合わない」
男はその骨の剣が何によって作られたものであるか、想像ができた。
彼が割に合わないと言ったのは、武器を作る過程で、バルアが切り捨てたもののことだ。
「合うとも。お前を殺せばな」
「自己犠牲か……まったく、理解し難いよ。お前達は」
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