第17話 強さ
ゼルの胸を一本の矢が貫いた。
「ぁ、くそ、ガァ」
向こうを見上げれば高台の上に、数多の弓兵オーク。
それらを構成するのは進化したオークアーチャー。
進化種だけで編成される集団はオークの群れにとっても贅沢で貴重だ。わざわざ一人を殺すためだけに移動するわけにはいかなかった。
指揮官オークはそれを動かす代わりに、ゼルに狙われている自分を囮に自軍ではなく敵の方を動かしたのだ。
指揮官オークは最後まで指揮官オークだったらしい。
悪態を吐くゼルの上から、夥しい数の矢が降り注ぐ。
この囲いから逃げなければ、そう思って周囲を見渡すと、明らかにこれまでとは違う毛色のオーク達が盾を持っている。
オークウォリアーの部隊だ。
それでも、と残量の減った切り札を放つ。
「『
そして退路を切り開こうとする。
とにかく射手から逃れる方向の盾持ちへ飛び蹴り。
一番前に立つオークウォリアーは即死だが、今度はその後ろにも盾持ちがいた。結局ゼルは押し切る事は出来ずに、黒は消えていく。
「がっ、アぁ」
降り注ぐ矢の一つが肩に刺さった。
そして、背中にも。
刺さった矢軸がゼルの腕の動きを阻害して、よりオークの攻撃が激しくなる。
オークソードマンの振った切先が腹部をかすめる。
「ぁ、くそ」
俺は勝てる、勝った筈だ。
でも勝ち続ける事は出来ず、今は負けている。
ならきっと俺は弱かったという事だろう。
策は弄しなかった。強さというのは純粋でただあるだけで勝てるものだと思ったから。
強くなりたかった、ただひたすらに。
しかし、考えないようにしていたことがある。
「なんで」
強く、なりたいと思ったんだろうか。
視界が暗くなる。
オークが眼前で腕を振り上げている。その手には剣が握られているのだろう。
見えた終わりは、底の見えない黒をしている。
そして響く悲鳴。しかし、それはゼルの物ではなくオークのもの。
拳を振り上げたような格好で見覚えのある背中がゼルの前に晒される。
「——スゥ」
黒を切り開いた彼の憧憬は、穏やかな緑色をしていた、ような気がする。
同時に彼の意識は安心感と共に途切れた。
◆
数刻前。
「ふふふふん♪ふふふふん♪ふーふーん♪」
「……」
ゼルの旅の仲間、レイアがゼルの師であるゴブリンの体を濡れたタオルで拭っている。中空を見つめている彼は上半身が裸の状態で彼女による手入れを素直に受け入れている。
「熱く無いですか?」
冷たく無いように湯を混ぜて、水をぬるくしている。
汚れが一つも残らないように何度も優しく体を拭う。
腕の筋肉をなぞるように拭き取ってから、指も一本一本包み込むように清めていく。
自身の異常を訴えることのない者の介助は細心の注意を払うべきとは言われるが、介護の知識が確立していないこの世界においてそれを行動で実践できる者は数少ないだろう。
彼女の気遣いようは、誰から見ても深い愛情を感じる程に繊細だった。
そんな彼女に疲労の色が見えない。むしろ、愛する者と共に在れる幸せを噛み締めるような、穏やかな笑顔を浮かべている。
「ぁ」
「ん?どうかしましたか?」
レイアが触れ合いの時間を堪能していると、男は小さく声を上げながら窓の方を振り向く。彼が反応を見せることを珍しく思いながら、彼女もそちらを振り向くと、一羽の鳩が窓枠に乗っていた。
「かわいらしい鳩ですね……あら」
ニコニコとレイアが笑顔を浮かべると、鳩は直ぐに飛び去っていった。僅かな滞在を残念に思いながら、彼の清拭を続けようとして、再び窓枠に目が留まる。
窓枠には白い便箋。
「お手紙でしょうか?」
封蝋もされていないそれを、遠慮なく開けて中を覗くと一枚の手紙。焦って書かれたのか季節の挨拶どころか宛名も無く、ただ一言用件だけが綴られていた。
『ゼル坊が危険だ。場所は■■ ——レグオン』
「……外出の支度をしましょうか」
◆
「ん……ぁ」
ゼルはベッドの上で目覚めた。
回らない頭で、記憶を辿る。
「スタンピードから逃げて……それで」
「随分無茶したな、ゼル坊」
横から投げかけられるのは、少し懐かしい声。
「……坊って呼ぶなよ、レグオン」
カーテンで区切られたこの空間にいるのは、ゼルとレグオンだけだった。僅かにカーテンが揺れている。
天井も布製で、この空間が天幕のしたにあることが分かった。
周りを見回して、やっと直近の記憶をゼルは取り戻した。
「無茶、ってオークの群れと戦ったことか?」
「いや、その前もだ」
「前?」
ゼルはオークに向かう直前の村のことを思い浮かべる。
「一歩間違えば、犯罪者だったこと、分かんなかったのか」
「どこから見てたんだよ?」
「話を逸らすなよ、ゼル」
レグオンの声は静かながらも怒りを感じさせる。旅の途中でもニヤニヤとした笑みを絶やさなかった彼が、今は怒っている。
「ゼル、お前がなりたいものが、弱っちぃ村人に力を振るうチンケな犯罪者ってことなら、俺は止めねえ」
「でもあいつらが」
「その時は縁を切る。俺とお前は他人だ。そして俺はお前のことを忘れる」
「……っ」
少なからず絆を結んだと思っている相手からの絶縁の宣告は、ゼルの心を揺さぶる。
「でも、もしお前が……ゼルが憧れた強さが、誰かを守るものなら、俺の言葉を聞いてくれや」
レグオンは力を持たない。特殊な力を持ってはいるが、それによって誰かの前で戦う事は出来ない。
だからこそ弱きを虐げる力を恨む気持ちも、無力な自分に対する悔しさも、そして守る力に対する憧れも人一倍だった。
ごちゃ混ぜになった感情が言葉尻からゼルに伝わる。
ゼルが憧れた、強さ。
「お、俺を助けたのは……?」
「分かってんだろ?俺たちのヒーローよ」
「っ……」
さっきよりももっと前、彼が人間の前に立った時の姿を思い出して胸が熱くなる。
彼のことを知ってからこれまで、彼がゼルに見せた面は全てが善性に満ちたものでは無い。もしかするとあの場に立ったのは彼が人間を憎んでいたからかもしれない。
でも、ゼルは救われたのだ。だからこそ憧れた。
きっと同じ技と力を人間が振るってもあれ程までに心を奪われる事は無かった。
ならゼルが、力と技の芯に置くのは。
理不尽に泣く者の前に立つ、そんな存在で在ること。
身近な者からの本気の叱責が、ゼルを淵から引き戻した。
「ごめん……俺、もっと、大きくなる。だから、これからも叱ってくれ」
強く、じゃなく、大きく。
これまで頑なに下げられなかった頭を下げたゼル。
「あぁ、これからも叱ってやるから、早く大人になれ、ゼル坊」
ゼルの言葉に、『これから』を約束して笑って答えるレグオン。
きっと『坊』が取れる日はそう遠くはない。
「もう、いいでしょうか?」
「おう、説教は終わりだ」
カーテンを潜って入ってくるのはレイアと師の見慣れた組み合わせ。
ゼルは、まず一番に伝えなければならない事を口に出す。
「爺さん。助けてくれて、あり、ありがとう」
「……」
「ありがとう、だってさ」
師はベッドの布団のシワをぼうっと眺めている。
「『気にすんな』だってさ」
本当に意思疎通できているのだろうかと、ゼルは思った。
ふと少し前にレグオンに頼もうとしていたことを思い出す。
師のことを色々と尋ねたいと考えていたことだ。
しかし、この場にはレイアが居た。彼女から過去を探らないように言われているからこそ、ゼルはレグオンに頼もうとしていたのだった。
そんなゼルの様子からレイアは色々と察する。
「……良いでしょう」
下した決断は譲歩だ。
「ただし、私の名前を出す事は禁止します」
「なんで?」
「恥ずかしいから、です」
不思議な条件だと思った。おそらく、その理由は嘘だろう。
しかし、そこが彼女の引いた最後の境界線なのだろう。それを破れば彼女はゼルを信じる事は出来なくなる。
おそらく彼女が本当に尋ねられたくないのは彼との関係性にあたる部分だ。
「分かった」
幸運なことにゼルの知りたいことには抵触しない。
「じゃあ、伝えてくれ」
ゼルがレグオンに耳打ちする。
「旦那、アンタの名前を教えてくれ」
数秒後、レグオンがふんふんと頷く。
その表情に変化は無い。
あれ程までにレイアが聞かれることを拒んでいたのだから、悪名高い名前なのかと思っていたがレグオンにそんな様子は無い。
「おし、じゃあ発表するぞ。旦那の名前は」
レイアは瞼を閉じた。
「ゴトー、だ!」
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ぜル は レぐおン に なにを たずねますか?
いま の こと
かこ の こと
かなえて ほしい こと
あとで
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▶︎なまえ:???
実は開拓村編の五話(偽ゴトーが正体を明らかにする話)の時点で爺さん=ゴトーだと決定づけるつもりでした。
しかし、感想を読むと『もしかしたら爺さん=ゴトーでは無い?』と考えているものがチラホラと見えました。
慌ててその話の後書きを見てみると、確かに偽ゴトーのネタバラシはされていましたが、本当のゴトーが爺さんであるとは名言されていなかったのです。
という訳で爺さんの正体判明イベントが新たに生えました。
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