第15話 溢れる

「本当かぁ?」


 オークの群れがこちらに向かっているというゼルの言葉を聞いた彼らの反応がこれだった。


 なるほど、村という立場が安定した場所で腐ったように生きる奴らにとっては、軍の判が押された避難指示書があったとしても、ゼルのように子供で、その上傭兵という確固たる身分を持たない者はこんな嘘を吐いてもおかしくないように見えるようだ。


 ここで派手な面傷でもあれば説得力は増したかも知れないが、彼はレイアのお陰で傷跡すらない卵肌を保ったままだ。


「はぁ……俺はこれを届けに来ただけだぜ」


 この後にオーク狩りをすることに決めてやっと持ち直していた気分が再び下向きになる。

 彼らは目の前にいるゼルが盗賊の手下か何かで、軍の指令書を偽造して偽の避難をさせた後、無人の村で盗みを働くのではないかと危惧しているのだろう。


 もし、本当に盗みだったとして、国はそれを補償してくれるのか、村人は確信が持てない。


 だからこそ彼らはゼルを見て盗賊か否か見定めようとする。

 村人の一人が縄を持ってくる。


「我々には君が本当に、軍から寄越されたものか確信ができない。なので拘束させてもらい、我々と共に避難してもらう」


 つまりはゼル自身を人質とするということだ。

 もし盗みがあれば盗賊の手先であるゼルはそのまま犯罪者だ。


 それを避けてゼルが拘束を逃れようとしたなら、その時点でゼルが盗賊の手先である事は確定し、逃げる必要も無い。

 つまりゼルが自分の命を担保に村人の信用を得るということだ。


「なんでだ?」

「ふむ、分からないか。我々が君を信用するためだ。君が軍の依頼を受けたものであれば、拘束されても問題は無く、そしてそうでないなら、君がそれい」


「なんで、俺が、お前達に、信用されないといけないんだ?」


 ゼルがもし彼らに信用されたとして得るものは何だ。

 彼らが避難すること、そして彼らが安全を得ることだ。


 ゼルが得る事は何もない。得をするのは命を得た彼らと人口を保った軍だけ。対するゼルは疑いが晴れるだけ。


「俺はこれをお前達に見せて、サインをもらって、帰るだけだ。避難したくないならしないで良い」


 ひらひらと指令書を見せる。

 とりあえず村長にサインをしてもらえないだろうかと、周囲を見回すが一向にそれらしい人物が出てこない。


 村長はどこだと聞けば、先程から目の前で証明しろと騒いでいる人物がそうだったらしい。

 ゼルがどれだけ言い張ろうともサインが無ければ指令書を見せたことにはならない。悪いのはゼルということになる。


「ちっ」


 村長はゼルの身柄を担保にした確かな保証を求めている。

 そして村長からサインを貰わなければ、指令書を見たという証拠にならない。


「諦めなさい。そういう事もある。たった数日我々に拘束されるだけだ」


 たかが数日の拘束、なるほど。

 ゼルにとっても数日は惜しいという程ではない。


 それが自分で決めた、自分のための事ならば。


「たった数日。ハッ、お前らが俺の時間の価値を決めるなよ」


 様子の変わったゼルに村人達が殺気立つ。

 

「俺が盗賊じゃないと、分かれば良いんだよな」

「ああ、そうだ。そのために我々と」


 返事を待たずにゼルは側に立つ屈強なゴブリンに触れる。


 ——『魄撃オシレート


「ぁ、がぁ。オえ」


 男は吐瀉物を撒き散らしながら地面に倒れ込む。


「お前ぇ!何を」

「遅い」


 掛かってきた男を村人の群れに投げつける。

 急に仲間が飛んできた村人達は武器を引っ込めて受け止める。


 そこに飛びかかったゼルが投げ飛ばした男を足場に片っ端から、男達の鼻に膝を蹴り込む。


 ゼルは触れるだけで呪術を送り込み無力化できるので、態々打撃を与える必要はないが、自分の時間を無意味に奪った罰だと考えれば安いものだろうと、遠慮なく拳を打ち込んだ。


 殺意を持って攻撃してきた訳ではないので、止めは刺さない。


 四半刻が経つ頃にはゼルに立ち向かう者は居なくなった。


「もう十分だ。やめろ!やめなさい」

「安心しろよ。俺は盗賊じゃないからな。命も金も取らないぜ」


 必死に押し留める村長に対して、ゼルは揶揄うように笑いながら告げる。そのまま村長の向こうに逃げていった村人を追いかけようとする。


「分かった!君が盗賊でない事は十分わかった!サインする」

「そうか?よかったぜ、早めに終わって」


 もしあのまま頷かなければ女子供までゼルの手にかかっていたと考えると村長は寒気がした。


 盗賊だったら策を弄するまでもなく村から略奪ができることを証明したゼルは、顔を青くした村長が震える手でペンを走らせるのをつまらなそうに見下ろした。


「……これで、良いか?」

「うーん……よし」


 ゼルは村長から受け取った書類を丸めてポーチの中に放り込むと、村長の肩に手を置く。

 ピクリと村長の肩が跳ね上がる。


 ゼルは無邪気に笑って言った。


村人数人が怪我しただろ」

「あぁ……その通りだ」


 村長の手は爪が食い込むほどに強く握り込まれていた。

 結果から言えば、ゼルが軍の者である事は証明された。しかし、村人の負傷が必要だったとは村長は思えなかった。これほどの力があるならば、他の解決策もあった筈だ。

 だが、彼はそれを選ばなかった。単に他の方法を考えるのが面倒だったからだ。


 面倒だったから、で選択の結果を他人に押し付けることができる。

 既にゼルは理不尽を振るえる程度には力を持っていた。




 ◆




 ゼルは、外れの村から復路でやってくる馬車に指令書を放り込むと、避難経路とは逆の方向を突き進んで行く。


 ゼルは肩をグルグルと回しながら今度こそオークを殺し尽くしてやると気合を入れる。

 今回は守る必要のあるものは無いので、囲まれる事も無いだろう。


「ん」

「プギ?」


 身軽な服装をした、偵察らしきオークが茂みから現れる。

 進化を経ていないオークはそれほど賢くは無い。


 偵察をしてこいと命令されても、身を隠すなどという工夫はせず、馬鹿正直にいつものように歩いて行って歩いて帰ってくる。

 もちろん、運が悪ければそのまま帰ってこれない事もある。


 彼らを率いる魔物は、質の悪さを量で補っていた。


 ゼルと遭遇したオークはそんな捨て石同然の偵察の一匹だった。

 ゴブリンとオーク、より警戒しながら歩いていたゴブリンの方が戦闘体勢に移るのが早かった。


「——スぅ」


 オークが棍棒を振り下ろすよりも前に、ゼルの拳が肝臓を抉る。

 内臓が拳の形に潰れる。


「ポッ……ゴ」


 飛び出しそうな程に目を見開くオーク。

 その首に両手をかけて、跳び膝蹴りで顔面を潰す。

 口から噴き出した血飛沫が掛かる前に距離を取る。


 ゼルはその場で小さく跳ねて、駆動を確かめるように手首を回す。


「体が軽い」


 調子は良い。これまでに無いほど絶好調だ。

 依代があれば、戦いながら力を高めることができたが、後からでも間に合うだろう。依代による恩恵は年単位で前の死体でも得られると聞いたことがある。


 この時のゼルにとって、スタンピードは降って湧いた経験値イベントに等しいものだった。

 ……そんな風にスタンピードを甘く見ていた。


 スタンピードが災害と言われる意味を彼は理解していない。

 



————————————————————



 小さな頃に洪水で溢れる川を見たことがあります。

 平時であれば何の装備も無く素潜りできそうな穏やかな川でしたが、その時は大木が浮き輪のように流されていたのを覚えています。

 ただその時は怖い、というよりも非日常的な光景にひたすら興奮していただけでした。正常バイアスって怖いですね。

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