第13話 グラップラー

「一班は二班と入れ替わり次第休憩を取れ!!」


 傭兵部隊のリーダーが怒号と共に鐘を何度も強く叩く。


 傭兵達は間断なく押し寄せるオークの群れを退け続け、半刻一時間が経てば交代して休憩を取る、二交代制で戦い続けていた。


 休憩時間も半刻一時間ずつしか取れない為に傭兵たちの疲労は抜け切らないまま戦いへ繰り出すことになる。


 三交代制にしたいところだが、村人をローテーションに巻き込んでも二交代制にするのが限界だった。


 リーダーは歯噛みする。

 これまでは明らかに顔色の悪い傭兵には時折大休憩を取らせる事でこの3日間なんとか持ち堪えさせていたが、もう少しでこの危うい均衡は崩れる。



 足りない。

 人数が、戦力が。せめてもう少し準備の時間が有れば堅牢な壁によって敵の動きを制限するくらいのことは出来た。


「くそっ!」


 オークだけでは無い。

 その進化種やオーガなどの森の奥に隠れていた魔物達も襲撃の中に現れている。


 ギリィッ


 歯が割れそうな程に食いしばる。

 今回の依頼は彼が指揮を取っている。

 ここで成功させればかなりの戦果となる。


 鳴り物入りで軍に入ることさえも……っ。


「クソォ!!」

「リーダー、壁の修復が追い付きません!!材料も尽きました!」


 ここで退くことは彼のプライドが。


「……」


 未来が翳る。


「……撤退だ」


 彼の背中に重くのしかかった多くの命が、それを選ばせた。

 これはきっと彼が後の人生で後悔し続ける英断となるだろう。




 ◆




「オラァ!」


 拳でオークの顔面を叩き潰す。


「ぐぅっ」


 振り下ろされた棍棒を受け止めて体が沈む。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 殴って、殺して、投げて、殺して、受けて、殺して。

 拳を振るい続ける。

 水の中に沈んだように体が重い。

 空気はこんなに粘り気があったのかと気づく。


 動きを止めてしまえば即死の地獄の中で、ゼルは踠き続ける。


「ハッ…ハッ…ハッ…」


 無酸素で肉体を駆動し続けた代償に、体に痺れが現れる。


 無心で目前のオークに膝を叩き込んだ。


「プギッ……」


 倒れたオークを足蹴にして次のオークが現れる。

 同時に左右からオークが飛び込んで来る。


「ハ……ハァ、舐めんなよ!豚野郎ガあ!!」


 ゼルの腕が黒く覆われる。


魄離ディスチャージ


 左右を挟んだオークの顔面をそれぞれ握り潰す。

 握り潰した後のオークが内側から破裂する。


 前方のオークに牽制の拳を当て、ふらついたところに狙いすました拳で額を破壊する。


「かかって、こい」


 海のようにゼルを囲う中から、のそりと異質なオークが現れる。

 それが所謂進化種と呼ばれる存在であることを、ゼルは知っていた。


 両方の手の甲に突起が生え、肉体は周りのオークより僅かに大きい。


「オーク、グラップラー」


 拳闘に特化したオークがゼルの前に立つ。


「ブフゥ」


 オークグラップラーが半身になり、拳を顎まで持ち上げる。

 一呼吸で大量の空気を肺に取り込むと、弾丸のように体を丸めて突撃してくる。


 ゼルの直前で止まったオークグラップラーは拳を交互に繰り出す。


「ちぃ」


 拳闘オークの拳は打ち出される速度もさることながら、戻りが異様に速い。受け止めることは出来ても、ゼルの反撃が届く頃にはオークはガードを固めている。


 ならば足だ、と体勢を低くして突撃しようにも、まだ体力の有り余っている拳闘オークはゼルから距離を取りながら拳を打ち下ろしてくる。


 近づきすぎると上からくる拳が見えなくなるのもかなりやり辛い。


 このオークはゼルの背丈の相手と戦い慣れている。

 それは即ち、ゴブリンと何度も戦って生き残って来たということ。


「うぜぇ」


 ピクリと指を曲げる。

魄離ディスチャージ』の影響で両腕は倦怠感に襲われている。

 半分の半分の出力での発動とは言え、もう一度繰り返せば約半分まで貯めた恩恵を消費する。


 ゼルは拳闘オークへの間合いギリギリへと踏み込む。

 距離を測るようなジャブからの狙いすましたストレート


 ゼルはタイミングを測って右を受け止めると、相手のを激しく揺らす。


「ぷグゥ!」


 突然目眩に襲われた拳闘オークは膝を落とす。


「死ね」


 ぬるりと距離を詰めるゼルに向かって苦し紛れの左を放ってくる。

 ゼルは甘えた攻撃を逃す程慈悲深くない。


 手首を掴み、捻り、肘を極めながら投げる。


「ぷ」


 地面を転がる拳闘オークの左腕は逆に曲がり、骨が飛び出している。

 オークは上から降ってくる足の裏を、転がって避ける。


 立ち上がったオークは左腕をだらりと下げたまま、右拳を構える。


 牽制の手段と左右のバランスを失ったオークの右は鋭さを失った。

 ゼルが手の甲で弾くように受けながせばガラ空きの脇腹がある。


「フン!!」

「ぷグゥ」


 分厚い腹筋を貫いて、衝撃が内臓を揺らす。

 鈍い痛みと、気持ちの悪い浮遊感を内部に感じながら、オークは腕を振り回す。


 しかし、今の拳闘オークは剣を失った剣士に等しい。


「へへ、這いつくばってろ」


 瞬く間に再び地面に沈められたオークの喉をゼルは今度こそ踏み潰す。


「つぎ」


 周囲のオークに恐れが伝播しているのが分かる。

 ゼルの口が弧を描く。


「ブブブ」


 再び、オークの群れを割って体格の大きな個体が現れる。

 握る棍棒の先の太さはゼルの胴体くらいはありそうだ。



「ブヒィ」

「ブブオ、ブブブ」


 ……それが、さらに二体。


「ハハ」


 ゼルが獰猛に笑う。

 後のことを考えず恩恵を消費すれば、勝てる。


 しかし、これがまだ続くならば……。


 ゼルが勝利の算段を練っていると、戦場に鐘の音が響く。


「撤退イイいいい!!!!」



「待て、俺なら、まだいける」

「退けや、ゼル!ここは命張るとこちゃうやろ!!」


 狼の特徴を持つ大男がゼルの首根っこを掴む。


 ゼルの体が村の方へと、放り投げられる。


 一投で壁を越えていく中で、ゼルはヴァングが灰色の体毛に覆われるのが見えた。


「ウォオ”オオオオオオオオン!!!!」


 血絡術を解放した狼男がオークを一気に押し込む。



「ヴァン……ぐおっ」


 壁の内側へ着弾したゼルはゴロリと一回転して止まる。


 転がったゼルの姿を頭上で一人のゴブリンが見下ろして頷く。


「よし、最後の一人を回収した。南方の扉から一気に離脱する。非戦闘員を馬車に入れて、傭兵と動ける村人は走れ」


 リーダーは行きで見た情けない面影が思い出せないほどにテキパキと撤退の指示を行う。


「まだ!俺なら戦える。俺なら全部ぶっ殺せる!!」


 恩恵を振り絞れば、まだ戦える。

 あの三体のオークを相手にしても勝てる自信があった。


「ルーキー。お前はこれを守れ」


 リーダーの男はゼルに拳よりも小さな球状の物体を持たせる。

 コロンと掌の上で転がったそれは、血石の髑髏。


 この村の神殿に納められていた依代だ。


「この石ころは、この村人全員の命よりも、重い。それを街まで生きて届けるのが、お前の仕事だ」


 神官が聞けば激しく怒るだろう言葉を彼は端的に告げた。


「そ」

「これさえも!!」


 尚も反論をしようとしたゼルの声を、リーダーは大声を被せてかき消す。


「これさえも、出来ないなら。ルーキー、お前は軍人にも、ましてや傭兵ですら無い。ただの子供だ」


 もう話は終わりだとばかりに、背中を向けたリーダーは撤退の準備を進める。

 ゼルは自身のプライド故に彼の言葉に言い返すことができなかった。

 簡単なお使いも出来ない子供だと認める事になるからだ。


 最後の小休止を終えた傭兵達は馬車を守るように円形に囲う。

 誘導によって手薄になった門を開く。


 手薄になったと言っても、馬車が通る隙間も無いほどにオークは密集している。

 それをこじ開けて馬車を通すのが傭兵達の役目だ。



「『呪恨リゼント』、『呪恨リゼント』、『呪恨リゼント』」


 呪術の使える傭兵が呪術を手当たり次第に掛けていく。


「進めえ!!!」

「「「「おう!!!」」」」


 彼らの背後で、村の壁の上を四足で駆けてきた影が飛び上がり、馬車の上へと着地する。

 そして直ぐに体を萎ませた影、ヴァングがニヤリと笑う。


「しばらく休ませてもらうで」



 彼の呑気な言葉は傭兵達の雄叫びが塗り潰した。


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