第10話 魄撃
「……それは、本当だとすれば面白い話だ」
「っ……本当だ」
依代の恩恵が見える、というゼルの話を聞いたマスターの反応は思いの外、淡白なものだった。
疑われているのだと感じたゼルは、念を押す。
「……ふむ」
マスターは顎に指を置いた。
「明日、また来てくれないか」
「え」
「少し、確かめたいことがあるのだよ」
◆
「それを手に取ってくれ。何か分かるかい?」
「貝…?」
翌日、ギルドの執務室でピチピチの服に包まれたマスターから渡されたのはカタツムリのように渦を巻いた貝だった。
ゼルはそれを手の上に乗せる。
貝の殻からはオークの死体に触れた時と同じように、力を感じ取れた。
「恩恵の力を感じる、ぜ」
「ふむ、ならこっちは?できれば先程のものと大小を比較してくれ」
並べるように置かれたのは、見た目がほとんど同じ貝殻だった。
ゼルはもう一度それを手に取るが、酷く戸惑う。
「あれ……何も感じない」
「ふむ」
生物であれば力を感じ取れる筈なのに、何も分からない。
ゼルが不安そうに呟く様子を、マスターは興味深そうに見ていた。
「安心したまえ、君の感覚が間違っている訳では無いよ。初めに渡したのは普通の貝殻で、もう一つはそれにそっくりに作った細工だ。……なるほど確かに見えない何かを感じ取れるようだね」
マスターは細工の貝殻を引っ込めて本物の方を差し出してきた。
「君の呪術でこれに干渉する事はできるか」
「あぁ、出来るぜ」
特に根拠は無いが、ゼルにはそれが出来るという確信があった。
貝殻に触れて、もう一度恩恵を感じ取ると貝殻に纏わり付いている力の塊を捕まえる。そして、引きずり出す。
「……っ」
思いの外硬い手応えが返ってくるが、力の塊はゆっくりと貝殻から剥がれていく。
恩恵は剥がれた先からポロポロと崩れていく。
「これで、貝殻から恩恵を取ったぜ。今はもう何も感じない」
「ふ…む。やはり、見た目では分からないな」
「なんだ?」
残念そうに呟いたマスターはゼルに掌を差し出した。
「私に試してみたまえ」
彼が自身の肉体で実験を行うことに戸惑いが無い研究者であることは、彼の肉体が纏う筋肉から明らかだった。
「……どうなっても知らないぜ」
ゼルは彼と握手をするように手を掴むと、彼の恩恵に触れた。
この時点では特に彼に反応は見られない。
ゼルは視線を落として、感覚を研ぎ澄ませる。
触れている感覚からはマスターがかなりの量の恩恵を持っていることがわかる。
まだ恩恵に触れる経験が少ないので曖昧な比較だが、下手な軍人を超える力を感じる。もしかすると彼は戦争帰りだったりするのだろうか、と余計な思考を挟みながら恩恵を感覚の手で掴み、引っ張り出す。
「む」
今度は無表情ながらも、不快げに眉を歪めるマスター。
しばらくそのままゼルが続けると、額から汗が吹き出す。
「う……ぐっ…ぅ」
「大丈夫かよ?やめるか?」
「まだ……あと……少し」
目を見開いて、歯を食いしばりながら耐える、尋常では無い様子のマスターにゼルは不安になって実験の中止を申し出るが、彼は続行を指示する。
実験台になっている本人がそう言うのだから、ゼルとしては続けざるをえない。
せめて早く実験が終わるように、恩恵を引きずり出すペースを上げる。
「ぐぬおおおおお」
しかし、マスターの悲鳴が上がるだけで出てくるスピードは全く変わらず、ただ彼を苦しめるだけだった。
このペースだと彼の恩恵の全てを取り出すのは一日では終わらないだろう。
「よ……し…ゼル……く……とめ」
「え?」
そう思っていたところでマスターの静止がかかり、ゼルは握っていた手を離す。
二人は対面で椅子に座っていたのだが、ゼルが手を離した途端にマスターは床に崩れ落ちて、手を着いた。
「ハッ…ハッ…ハッ…はぁ!……は、あ」
「おい!?……誰か呼んでくるか?」
「大、じょうぶ、だ。直ぐに、戻る」
そう言いながら、確かに彼の息は整っていく。
浅かった呼吸は段々と深いものに変わっていき、彼が立ち上がった時にはいつも通り自信に溢れた眩しい笑顔を浮かべていた。
そうして、ゼルの握っていた左手を何度か握って閉じてを繰り返すと、何かに納得する。
「これは、体験しないと分からない感覚だね」
「どんな感じなんだ?」
マスターはうんうんと考え込む。
「例えるなら……トレーニングをしたのに栄養が取れていない日の夜、だよ」
「うん?」
例えがまったくピンと来ない。
「または……徹夜をしてまで仕上げた仕事の期限が実は半年以上も先だと分かった時の夜明け」
「う〜ん」
二つ目の例えは理解することはできる。
理解はできるが、実験を行っている時の様子と、彼の例えから思い浮かぶ情景があまりにも結び付かない。
「……やはり、共感できないか。ならば、数で補うしか無いな。」
そう呟いて部屋を出たマスターは、直ぐに数人の傭兵を連れて戻って来た。
並んでいるのは戸惑った表情の男女が数人ずつ。
「次は彼らに試してくれ」
彼はギルドのマスターの権限と権力を全力で乱用することにした。
◆
それから一週間後、ゼルは馬車に乗っていた。
結局、恩恵を引っ張り出されたゴブリンたちは、その場に立つこともままならず、そしてその時の感想も人によって違った。
『休みの日に起きたと思ったら、既に夕方だった時みたいな心地』
『三徹した後の大仕事の時のような気持ち』
『大事にしてた山羊が死んだ時のような気持ち』
など様々な感想が語られる中で、最もしっくり来たのは
『体調の悪い日に見る悪夢のような感じ』
というものだ。
恩恵を抜いた後の症状として、脱力感が長く残るらしい。
マスターが数値的に調べてみても確実に力の低下が見られるらしい。
おそらく、ゼルが『
「おい、聞いているのかルーキー」
窓から視線を戻すと、ゼルを睨んでいる男の姿がある。
ゼルは現在、ある村から傭兵ギルドへ出された依頼を受けて、調査に向かっている。
ゼル以外にも複数の傭兵のチームが向かっているが、目の前の男はそのリーダー的な立ち位置の人物だった。
おそらくゼルの監視員も兼ねているのだろう。そこに不満は無い。
「あぁ、聞いてるぜ」
「なら、俺がこれまでに話したことも復唱できるよな?」
しかし、異様に粘着質なのは気になる。
「あー、村長とはアンタが話して、色々決める、だろ?あとは、順番に村を守りながら、森の様子を見る……だったよな?」
「全然違う!俺が村長とのネゴシエーションを行い、村の防衛のローテーションは俺が決めて、あとは臨機応変に森の異変を探る、だ!」
「うん?あぁ」
「まったく。これだから成人もしていない子供を傭兵にするのには反対なんだ。ギルド長が叩き上げじゃない影響がこんなに……。俺が言った通りにしないから、こんな」
ブツブツと文句を垂れながら、ゼルをなじるリーダーの男。
「……」
「何だ、その目は俺が間違っているって言いたいのか?」
「いや、弱いのに偉そうだと思っただけだぜ」
「なっ」
中身の無いスカスカな男。
それがゼルの印象だった。力を持たず、意志も持たず、ただ肥大化したプライドだけを守っている男だ。
「それで、話はもう終わりかよ?」
「貴様!」
胸ぐらへ伸ばされた男の手首をゼルは掴み返す。
そして彼の恩恵に触れると、激しく震わせる。
「ぐおぉ……ぉえ」
平衡感覚が狂わされた男は、地面に崩れ落ちて嘔吐する。
マスターが『
恩恵を剥がすのと違って力が失われたりすることは無いが、凄まじい不快感が体を襲う。
「ふん」
ゼルはもう一度座席に座り直した。
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