第8話 偏り

 ゼル達はレグオン夫妻と別れるとその日の宿を探した。


 幸いな事に、レグオンが護衛代と称してしばらく宿に泊まれるだけの金をゼルに渡してくれた。それでもレグオンの手元にはかなりの金が残っていた。


 レグオンはゼルらと移動していた時は最低限の金額しか持っていなかった筈なのだが、この街にたどり着いた時にはリアカーに乗り切らない程の金貨を所持していた。


 彼らはその金で街に家を買い、ヒランの出産に備えて準備を整えた。


 ゼルは金の出所を彼に尋ねたが、レグオンは勿体ぶったようにはぐらかした。


 レグオンはゼル達も家に泊めてくれようと提案してくれたが、夫婦の時間を邪魔するのは心苦しかったので断ったのだ。


『金の力は万能だぞ。持っておくに越したこたぁねえ』


 そう言ってレグオンは代わりとばかりにゼルに宿代を渡した。




 ◆




 ゼルがラグハングへ辿り着いてから一月が経過した。

 彼は立派な傭兵として、既にいくつもの依頼をこなしていた。


 ゼルは傭兵の仕事を通して、街のシステムに少しずつ慣れてきた。

 開拓村と違って未成年でも楽しめる娯楽も多い。

 それに、旨い食事を出す店が多かった。飯を大量に用意する事で一人一人が料理にかける時間を減らし、プロが作った質の高い料理を食べることができる。

 鍛錬の時間が欲しいゼルとしては大変ありがたい環境だった。


 都会の人間の方が田舎の人間よりも自分の成長に使える時間が間違いなく多い。同年代のゴブリンに実力で負けるつもりは無いが、自分の生まれが違ったならば、もっと上に居たのかもしれないと考えると、少し悔しく感じた。



 街の利点は他にもある。

 それは依代の恩恵を頻繁に得るのが可能なことだ。


 緑神国において、ほとんどの街では依代が複数個存在する。

 その街にいるゴブリンは申請することで依代を使うことができる。

 一部の枠は金で予約することができるが、ほとんどはその日に神殿を訪れることで無料で使用することができる。


 こうなると枠の取り合いになる可能性を想像してしまうが、ゼルが把握しているだけで血石の依代の数はは十を超える。

 加えて街の人間すべてが依代を使用する訳では無い。

 ゼルがやろうと思えば毎日依代を使用できるくらいには枠が使えた。


 結果的に人口に対する依代の数は開拓村の方が多いにも関わらず、ゼルが恩恵を得る頻度は以前とは比べものにならない。この差は街の依代が開拓村の依代よりもことで依代ごとの使用可能回数が多いのも関係している。


 いずれにせよ、開拓村で贔屓によって殆ど使えなかった時と比べればゼルの成長を阻害する要素が一つ減った事になる。



「依頼、達成したぜ」

「証明票、確認いたしました。こちらが報酬です」


 眼鏡の受付が机の上に硬貨を差し出す。

 この街でやり取りされるのは銅貨や銀貨などの金属の貨幣だ。

 香貨は物々交換の範疇として使われることの方が多い。


 開拓村などの田舎では新しく導入された金属の貨幣に馴染みが無いために未だに香貨が使われることが多いが、国としては金属の貨幣の使用を推し進めているらしい。

 香貨も使える事は使えるが、店員に良い顔はされない。物々交換のような扱いだ。


 袋に硬貨を入れたゼルは、手を振ってくるギルドの傭兵たちに手を振って応える。

 初めこそ言語の通じない魔物のような存在であった彼らだが、全員がそうという訳ではない。


 その日の金を稼ぐためになんとなく傭兵として働いている者。

 問題を起こして傭兵としてしか働けない荒くれ者。

 自身を高めたいが、軍人として働くには致命的な欠点を持つ者。


 そういった多様な経緯を持つ者たちの中には、ゼルと波長の合う者も多かった。

 彼らの殆どは筋肉を通して、己を鍛えることに余念の無い求道者たちだ。

 そして、同時に彼らは己の筋肉以外には極めて紳士的だった。


 周辺の魔物の分布、おすすめの依頼、避けるべき依頼、など傭兵として役に立つ情報を快く教示してくれた。

 もちろん、これらの手助けは純粋な親切心だけでは無く、彼らにとっては将来を見据えた一つの投資であった。


 彼らはこう考えた。

 未成年で軍の推薦を受ける程の力を持っている。きっとストイックに己を鍛えていたに違いない。

 その気質を持って筋肉のノウハウを教え込めば、きっと


 彼らは、ゼルが将来、立派な同類になることを期待していた。


 事実、既にゼルは彼らのトレーニングに時折参加するようになっていた。




 ◆




 早めに依頼を終えた後に、ゼルは宿から彼の師を連れ出して街の外へ出た。


 街に住むようになってからは、彼は一日の殆どを窓から外を眺めてすごしているが、時折街の中を歩く習慣が新たに加わった。


 露天商を見たり、走っていく子供を見たり、神殿を見たり、とその日その日によって向かう場所は変わるが、そこにいるゴブリンを見るのが目的であるように見えた。



 レグオンの話から、彼が言葉として外に表現しないだけで意思を持っていることは分かったので、ゼルは安心して彼を連れ歩くことができる。


 二人が辿り着いた草原は、傭兵仲間から教えられた穴場スポットだ。

 現在のゼルの実力に合った魔物が現れるエリアだ。


 背の高い草が生い茂る草原では、周囲が見通せない。


 ゼルは狩人としての勘を働かせて警戒する。


「……」


 ピクリ、と師が反応した。

 続けてゼルの耳にも足音が届いた。



 数秒後、草原から飛び出した影が棍棒を振る。

 振り下ろした先には、ぼうっと突っ立っていた髭のゴブリン。


 直線に彼を襲った棍棒の先端は、彼の左手に触れると空間そのものが歪んでいるように受け流される。

 同時に襲撃者の横腹が拳の形に凹む。


「プグュう!!」


 反撃を受けた影、オークは意識外から叩き込まれた痛みに悲鳴を上げる。


 ゴブリンが追撃するように一歩踏み込むと、オークは棍棒の代わりに左手で払い除けるように拳を振るった。


 今度は右手で受け止めて左手で反撃をする。


 ゴブリンは盾と矛の役割を高速で切り替えながら、一歩、また一歩とオークの領域を侵略していく。


 芸術的なまでの柔の動きがオークの行動全てを丁寧に殺していく。


「ぷ、ぷ、プグ!?」


 触れているのに当たっていない、芯を外されるような手応えにオークは戸惑うしか無い。

 だからといって攻撃の手を抜けば、痛烈な剛の反撃がオークの命を削ぐ。


 そしてオークの膝に足を絡めて体勢を崩すと、左手がオークの顔面に触れると、首がグルリと一周して千切れた。



 ゼルは一挙手一投足を逃さないように、目を見開いてその様子を観察していた。


「……首、こうか」


 初めて見る動きを体で覚えるように繰り返す。


「『流し』て……『返し』て……『巻き捻り』の応用、か?……」


 情報の整理のために、多く見られる動きに名前をつける。

 そうすることで、視覚情報は圧縮され、より理解は深くなる。



 これまで彼が動物や、様々な種類の魔物と戦っていた場面を回想していると一つの違和感に気付いた。


 彼の攻撃を受けたときの魔物のダメージが、右腕での攻撃と左腕の攻撃とで大きく異なっていた。左の時の方が深刻なダメージを受けていることが多かった。


「左腕の方が力が強いのか……」


 それは極めて不可解だった。

 彼の戦い方は左右を区別しない。右から攻撃がくれば右で防御して左で反撃する、左から攻撃がくれば左で防御して左で反撃する。


 ゼルはまだその領域まで至っていないので、左手を前に出して防御する構えを常用するが、師のように両方を同じ位使うなら筋力に偏りが出るのは異常だ。

 長い間左腕を怪我していたとしたら、逆に左右対称な戦い方があそこまで身についていることがおかしい。



 もう一つ気づいたことは、同レベルの魔物相手でも人型に近い時の方が仕留めるのが早いのだ。これはおそらく彼が人間相手の戦闘経験が多いことから来るものだと想像できる。



 師が無防備に立っている背中を見ていると、ゼルの手がワナワナと落ち着きなく動く。

 人の武術を身につけるのに最も良い方法はその人と戦うことだ。

 それは本気であるほど、良い。

 しかし、意思疎通の取れない相手にそれをする危険性も理解している。


 もし反撃を受ければ、死んでしまうかもしれない。


 彼にはレイアと違って無限の命も無いのだから。


 そう心の中で言い聞かせて気持ちを沈めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る