第4話 料理人の流儀


「おいちゃんな、肉にうるさいんだ」

「……だから?」


 左手は前に突き出して相手の攻撃を受け流す盾に、右手は脇腹まで深く引いて常に一撃を放てる大砲にする。


「坊やは肉が足りてない」


 男はまるでゼルに挨拶するように無警戒に歩みよってくる。

 奇しくも男は唯一の武器だった麺棒を投げて今は無手であり、ゼルと同じ条件。


 ニヤニヤと余裕を見せながら、遂に間合いまで踏み込んだ。


「……シィッ……!」


「……ほ〜ら、堪え性が無い」


 男はゼルの放った右の突きをしっかりと掌で掴み取る。

 そのまま、握り潰されそうな力を拳越しに感じたが、男は直ぐにその手を開いた。


「そ、れ、に、恐怖も良くないな。肉が硬くなる」


「誰がっ!」


 自分の心に喝を入れながら、ゼルはさらに踏み込む。

 しかし、男も踏み込んで来たので、左手で作った盾はまた意味をなさない。


「この左手が言ってるな。近寄らないで〜、ってね」


 だからこそ目の前の男は敢えて超接近戦を選んでいた。

 もっとも相手の嫌がる間合いで、動きで相手を料理する。それが男の戦い方だった。彼の粘着質な性格が如実に出ている。


 ゼルは苛立ちで舌を打つ。


 目の前の男は遊んでいるのだ。

 ゼルより力があるくせに、それをセーブしてゼルの心を折りに来ている。


 何より、間合いの取り方が上手い。


 接近戦での繊細な距離の把握と、徹底したリスク管理によってゼルがそうせざるを得ない状況まで追い込んでいるのだ。


 先ほどからゼルは、男に操作されている感覚を覚えている。


 それが破れない網のように少しずつゼルを追い詰めていく。



「フゥッ……ハァッ……」

「足に疲れが出ている、な。空気が足りなくて肉が劣化して来ているぞ、坊や」


 男は舌舐めずりをすると、これまでの守勢を解いて、攻めに転じてくる。


「……クソ…ぅぐ」

「肉を柔らかくしてやる、な」


 急制動でゼルの動きが鈍ったところで、彼の太腿に手刀を振り下ろす。筋肉の内側まで響く痛みに、ゼルは声を我慢できない。


 男はゼルの苦痛を楽しむかのように微笑む。


「ほら、坊や。その程度ではまだ足りない。もっと焼きが入るまでだな」


 そして、男はさらに攻撃を仕掛ける。彼の身体は驚くほど柔軟で、狭い間合いでも華麗に動く。


 ゼルは自分の無力さを痛感する。

 彼の攻撃は男に当たることはあっても掌で受け止められるか芯を筈され、逆に男の攻撃は容赦なく彼の肉体を打ちのめす。


「くっ……くそっ……」


 ゼルは歯を食いしばりながら、体の中に残る痛みと怒りを抑えようとする。

 男はそれを読み取っているかのように笑みを浮かべる。


「もっと喚いてみろ、坊や。肉を焼くためにはもっと熱が必要だ」


 その言葉にゼルの怒りが爆発した。彼は力を振り絞り、全力で男に向かって突進する。


 しかし、男は軽く身をかわし、そのままゼルの背後に回り込む。


「ったく、もうちょっとだったな。坊やの肉を食らうところだったのに」


 ゼルは背後からの攻撃に気付き、必死で身をかわすが、避け切れない一撃が彼の脇腹フィレを直撃する。


 苦痛が全身を駆け巡り、ゼルは膝をつく。


「遊びはこれで、お終いだ、な」

「がっ……」


 男が言うと同時に、ゼルはランプを蹴り飛ばされ、顔を地面に擦りながら倒れる。


 ゼルは疲労で力を失った両手を地面に着いて、顔を持ち上げる。


 睨み上げた先はニヤニヤと笑う男。


「おいちゃんを恨むなよ。恨むなら自分の弱さを、な」


 男はゼルの顎へ強烈な蹴りを放ち、ゼルは意識を失った。




 ◆




 ゼルの意識が戻ったとき、彼の体は小刻みに揺らされていた。


「ん~~~」


 咄嗟に声を上げようとしたが、歯に縄をかまされて喋れない。


「随分とぐっすりだったな。もう少し寝かせるつもりだったんだけどな」


 ゼルを気絶させた元軍人の男の声、ゼルの意識は急速に覚醒する。


「んむ……!」


 そして自分の手足が木の枝に固定されてぶら下がっているのに気づいた。動物を丸焼きにするときのようにがっちりと縄で固定されていてゼルは身動きが出来ない。


 幸いなことに首を動かすことはできたので、周囲を見回すと、二人の村人がゼルを吊るした枝を運んでいる。


 隣にはゼルと同じ状態で吊るされたヒランの姿があった。彼女は気を失ったままだ。


 元軍人の男は彼らを先導するように背中をこちらに見せている。


 油断しているのか、煽っているのか、ゼルの意識が戻った瞬間から肉の話を垂れ流している。

 ゼルは心の中で復讐を誓いながら、状況の把握に務める。


 彼らが歩いている地面は踏み固められている。

 街道ほどではないが雑草も少なく、整備された痕跡を感じる。



「おいちゃんが小さい頃は良く言われたもんだ。……いい子にしないと水竜様に捧げるよ、てな」


 水の匂いを含んだ空気がゼルの鼻腔を満たす。

 水竜。それがこの村の守り神の正体か。


 果たして、そんなものに守ってもらう必要はあるのか。

 元軍人の男はゼルのいた開拓村の誰よりも強かった。

 ならば、この男がその力を使って魔物を殺せばいいだろう。そんな疑問を込めて男を睨みつける。


「ん〜〜?不満がありそうだな」


 男は背中越しにゼルを振り向いて言った。


「おいちゃんだって、本当はこんなこと良くないって分かってるさ。でもオジイ共に頼まれて仕方なくしてるの」


 いや、違う。

 こいつは自分から進んで生贄を集めている。


 少なくとも他の無力な村人とは訳が違う。


 この状況が良く無いと分かっていて、状況を変える力があると自覚しながらそれを受け入れている。


 ゼルを追い詰める時の表情、声色は嫌がってやっているゴブリンのものでは無かった。

 きっとこの男は狩りが好きなのだ。

 自分よりも弱い生き物を追い詰め、捕まえて餌食にする。


 この村の過ちはこの男に大義名分を与えてしまったことだ。


 この男が進んで手伝っていたから、国として成り立った後もこんな風習を続けることができてしまった。

 滅ぶべき村が残り続けてしまった。




 ◆




 河岸にある広めの桟橋の上でゼルは地面に下ろされる。


「ングッ」


 背中を打ったことで、ヒランも意識を取り戻し、周囲の光景を見て自身の運命を悟る。

 彼女は狼に首を噛まれた鹿のように、脱力して地面に額を置く。



「んん、ふんむん」


 一方ゼルの前には先客であるレイアの姿があった。

 彼女は嬉しそうに、何かを呻いて伝えてくる。


 彼女には全く怯えは見られなかった。

 それはそうだろう。彼女は不死身なのだから、例え食われても蘇る。


 ゼルはそんな彼女を羨ましく思いながら、最期の光景を目に焼き付ける。


 故郷のものより、広く、流れの静かな川。

 ここに竜がいるようにはとても見えない程に静かだ。

 いや、竜がいるからこそ静かなのか。



 竜を見たことがないゼルは鋭い牙を持つ、巨大な魚のようなものを想像してその瞬間を待っていると、村人達がざわめき出した。


 少しずつ、川の流れの中にうねりが現れる。


 ゆらりと、巨大な影が水底から浮き上がってくる。

 それが、水のベールを脱いで、水面から顔を出した。


「……!」


 全てがゼルの予想外。



 亀のように四つのヒレを持ち、胴体からは長い首が生えている。


 彼が想像していたよりも鋭く長い牙。


 彼が想像していたよりも巨大な体。


 そして、何より。



「水竜様ぁ!!」


 頭部の半分が欠けて、そこから血を流している。

 既に神は死んでいた。





————————————————————

一体、誰が犯人なんだ(迫真)。

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