第3話 淑女の流儀
「危ない所だったわね」
女が閉じた扉越しに、村人たちが駆ける足音が去っていく。
「なんで俺を助けた?この村のゴブリンなんだろ」
「強いて言うなら、私はここでは新参者だから、かしら」
未だにゼルは彼女に対する疑いを捨てては居ないが、どうでも良さそうに放ったその言葉は真実に思えた。
そこでゼルを出迎えたギドウの言葉を思い浮かべる。
確か、彼は新婚で駆け落ちしてこの村に来たと言っていた。加えて部屋の中には所々、彼女以外のゴブリンの痕跡が見て取れる。もしかするとギドウの妻とは彼女かもしれない。
ゼルは少し警戒心を抱く。
「アンタは良いと思ってるのか?生贄のこと」
「ここは中央から離れてるとは言え、それでも定期的に軍が通った時にでも魔物を駆除すれば、どうにかなるでしょ?だから必要とは思っていないわ」
「……止めないのかよ」
「私では止められないのよ。貴方の周りだって、気に入らないけど変えられないことなんて何度も見て来たでしょう?」
彼女の言葉は図星だった。
開拓村で不当に私服を肥やす村長や神殿長に対して、ゼルは何も変えられなかった。
世界のあり方によって自身の形を歪められる気持ちの悪い感覚を何度も味わって来た。
寒気がする。
何者かの足音が扉の前で止まり、戸を叩く。
おそらくゼルを探している村人だろう。
「奥の部屋に隠れていなさい」
「わ、わかった」
「…おとこ……ったか…」
「い………らない。……とも……して」
やはり村人はゼルも含めた逃げ出した生贄のゴブリンの居場所を探しているようだった。
しばらく彼女は村人と話していたが、村人が何かを告げると、彼女は家を出て扉を閉じた。
ゼルは奥の部屋に取り残されたまま一人になる。
「このまま、他の村人でも連れてくるつもりなのか?」
彼女がゼルを騙している可能性も捨て切れない。
ゼルは家のドアに耳を当てる。
『生贄が二人も逃げちまった』
『そうですか』
『村長がお前を連れて行るように言ったんだ。外のもんのお前をな』
『きゃっ…離しなさい!』
『恨むなよ』
彼女が襲われている。
なぜ、という疑問よりも先にゼルは扉を開けて飛び出す。
視界に入ったのは、二人のゴブリンと腕を掴まれる彼女。
「こいつ、逃げたや…あぐぅ」
ゼルは最短距離で走りより、拳で喉を突く。これで大声は出せず、応援も遅れる。
「おっっ、……」
同時にもう一人の弱点を蹴り上げると、一声鳴いた後に静かにその場に崩れ落ちる。
「お…まえ」
喉を突かれて掠れた声を発するもう一人の男が、呻きながら手に持った鋤を振るう。
ゼルはそれを手の甲で柔らかく受け流すと、男を地面に引き倒す。
そのまま、男の喉に体重を乗せた膝を叩き込む。
「…っ」
背後で女が息を呑む気配がする。
許容を超えた衝撃で男の頸が折れた。致命傷である。
ゼルは股間を蹴られて蹲っている男を縄で縛ると、彼女の家に放り込んだ。もちろん口は布で覆っている。
「ふぅ」
「……なんで」
「?」
「何で、殺したの?貴方なら、必要はなかったでしょう」
一息吐いたゼルに彼女は疑問をぶつける。
彼女が言っているのはゼルに鋤を振るったもう一人の男のことだ。
「いや、え?だって、俺に攻撃してきただろ?」
心底不思議そうにゼルは返した。
彼女はゼルとの間に大きな断絶を感じた。
「……っそう」
「それより、このままじゃアンタ、生贄にされるぞ」
「貴方が素直に捧げられないからよ」
「かもなぁ。なら、アンタも俺と同じように逃げれば良い」
つまり、この村から出るということ。
生存を目的とした時、逃亡は有効な選択肢の一つだ。
「私一人なら、そうね」
そう言って彼女は自身の腹部を撫でる。
その行動が何を意味するのか分からないゼルでは無い。
「村のゴブリンは、知ってるのか」
「知らないでしょうね。一番に夫に知らせるつもりだったから」
ゼルは自身のこれまでの言葉を思い出して、違和感に襲われる。
『村の存続に生贄が必要』なら何で目の前の女は生贄にされようとしていた?
外からやって来た新婚の夫婦は労働力としても、間に生まれるだろう子供を考えても、将来的に村に利益をもたらす存在の筈だ。
「……なんで、村の奴らはアンタを生贄にしようとしたんだ?」
「約束だったのよ。次やって来たゴブリンを生贄にする。もし失敗すれば、私を生贄にすると」
そんな約束する必要ないとゼルは思ったが、どうやら彼女達夫妻はこの村に流れついた時に、家や食料を無償で分け与えられたらしい。
それを持ち出されて約束を強制されたのだ。
村の人間は初めからそれが目的だったようにしか思えない。
だが、やはりゼルの疑問は消えない。
「アンタ、名前は」
「ヒラン、よ」
「俺はゼル。ひとまずここから逃げるぜ」
疑問を解消するのはそれからでも良いだろう。
◆
狩人として働いていたゼルにとって、森は庭……ではない。
むしろ狩人であるからこそ、森が危険なものであると知っている。
狩人は頻繁に死ぬ。
動物に襲われて喰い殺されることもあれば、毒で死ぬこともあるし、怪我からの感染によって死ぬこともある。
生態系を把握していない森なら尚更だ。
暗闇の中で、自分が知らない魔物が蔓延っているのだ、とても歩けたものではない。
しかし、村の中には居られない。
ゼルはその折衷案を取る事にした。
ギリギリ光の入る場所。森に入って直ぐの茂みへと隠れていた。
これならば、魔物を見逃す心配は無いし、村の中よりは見つかる心配も少ない。
「ここ、大丈夫なのかしら」
「村にいるよりはマシだ」
ゼルは彼女を宥めながら、行く先を考える。
彼女の無事を確保するなら、この村には居ない方が良いだろう。
一つ前の村まで戻るか。
「一旦、この村を離れるしか無いな。隣の村まで歩こう」
「隣って、何日かかると思ってるの!?」
「何日って、そりゃあ七……」
「なに……むぐ」
「しっ、静かに」
ゼルはヒランの口を抑える。
数人の村人が森の方へ歩いてくるのが見える。
彼らの手には松明が握られている。どうやら、ゼルを探しているらしい。既にゼルが暴れたことも知られているのか、松明を持っていない方の手にはトゲのついた棍棒が握られている。
ゼルはヒランの手を引いて、その場を少しずつ離れる。
村人達はほとんどが農民で森の歩き方を知らないのか、ゼル達に気付く様子は無かった。
森と村の境界の端に差し掛かったところで、一人のゴブリンがそこに立っていた。彼は森の方をじっと見つめている。
流石に見られている状態で歩くのは見つかる危険がある。
ゼル達が息を潜めていると……。
「ん〜〜?もしかして、それで隠れているつもりか?」
カマをかけている可能性もあると考え、ゼルは息を潜める。
「スゥ〜〜〜。この匂いは、オス一匹とメス一匹だな。どっちも若い。これからって感じの月齢だな」
男は麺棒のような短めの棒で自身の腰を叩く。
「あ〜んまり勿体ぶるなよ。おいちゃん、我慢の限界だ」
同時に、彼の持っている麺棒が大きくなった、いやゼルに向かって飛んで来た。
「ぬおっ」
彼が屈むと、麺棒は背後の幹の側面を削り、森の中に消えていった。
ククジラス以上の力を感じる。
ゼルが今までに見て来た実力者は、開拓村の狩人長、ククジラス、そしてグニスだ。
ククジラスは村のゴブリンを殺して力を得ていたが、狩人として人生で手に入れることのできる依代の恩恵は狩人長あたりが限界だろう。
つまりそれ以上は、動物を殺すだけでは到達出来ない。
「驚いているな、坊や」
「お前、村のゴブリンじゃないな」
「いや〜〜、この村で生まれて、この村で育った、正真正銘の村人なんだな、これが。……間に軍歴が挟まってることを除いて、ね」
「っ……」
これまでに彼が見て来た軍人といえば、グニスが印象深い。
目の前の男がアレと同じなら、勝てる道理は無い。
一度、拳を握り締めてから脱力したように緩く開くと、静かに左手を前に差し出した。
死中に活を求めて。
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軍人ゴブリン、現る。
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