第18話 第八章リザルト:出立
「グニス部隊長、出立の準備が整いました」
「そうかァ」
後部に牢の付属した馬車へと、村長とククジラスの二人が収容される。彼らはこれから街へ輸送された上で法律違反を追及されることになる。
それ以外にも不正に関わった数人の狩人などは既に拘束されて、神殿の牢に入れられている。
その場に残ったのは上役や、立場を持った中間職のゴブリン達だ。
グニスは面倒そうに彼らを一瞥すると、街からやって来た軍人の一人へと説明を任せた。
「この村では緑神国に対する大規模な叛逆行為が行われた疑いがある。村長は勿論神殿長、狩人長も捜査が終わり次第更迭となる。再びこのようなことがあれば、この開拓村は解体が決定するだろう。このような事がないよう、次の三長には目を光らせておくのだ。諸君らは村の労働力であり、同時にこの村の行く末に責任を持つ者の一人だ。その事を努々忘れるな」
高圧的で一方的な戒言だが、村人たちが長という立場に対して過度に下手に出たのが事の原因だ。忖度に忖度を重ねた結果、彼らは問題を起こしたククジラスを庇うような行動を起こした。
そうなるように誘導したのはククジラスだが、それでも止められなかった村人にも責任はある。
村人たちは青い顔で頷くしか無かった。
傭兵の変装を解き、局所に金属の防護を散りばめ装備へと着替え、風格を取り戻したグニスは先頭の馬車へ乗り込む。
「出せ」
「……ッス」
御者を務めるロロクロは手綱を取る。
開拓村の景色が後ろへ進み始める。
街道に出て、開拓村の影も見えなくなった頃。
「ヒゲカスが」
グニスは小さく悪態を吐く。
高圧的で感情的だった彼女の態度は、現在は少し落ち着いているように見える。
実際は彼女の身に起こった不可解な現象への疑問が思考を占めている。
あのとき、彼女は浮浪者のようなゴブリンに痛めつけられ、捕縛したククジラスは首を捻じ切られ、その浮浪者も自害した。
しかし目覚めればグニスもククジラスも傷一つ無い状態に戻っていた。
壊れた屋敷や破れた服に染みついた血液はそのままだったので、彼女が見た物が夢で無かったと辛うじて信じる事が出来た。
何より疑問だったのは草臥れたゴブリンが死んだ場所には十数人分の血液が必要な程の血痕が残っていた。明らかに彼女が気を失った後にあそこで何かがあった。
そして彼の死体も消えていた。
彼女は村中を探し回ったが、あのゴブリンを見つける事は出来なかった。
代わりに、村人から彼についての情報を集める事が出来た。
数年前に村に流れ着いた治癒師が連れていたこと。
時折村を徘徊していたこと。
恐らく戦争によって心を病んだゴブリンであること。
そして、誰も彼の名前を知らないこと。
彼女は治癒師の家を訪れたが、既にもぬけの殻だった。
そもそも、有り得ない事なのだ。
一時的な応急処置ならまだしも、『治癒』の力を持つゴブリンはたった一人を除いて存在しない。
そして、その一人は遠く帝国側の戦場で戦い続けている。
また治癒の力を持った特別なゴブリンが生まれた可能性もある。
しかし、村長による襲撃の隠蔽と、調査によって判明した幾つかの統計記録のの過小報告から考えるともっと簡単で、納得の出来る理屈はある。
この村にニンゲンが居た。それも大敵たる聖国のニンゲンだ。
それが誰も気付かない程に、自然に紛れ込んでいた。そして、全員の意識が途絶え誰も見ていないあの日の屋敷にアレは現れた。
「ニンゲン……なぜオレを助けたァ」
リスクを冒してまで彼女達を助けた理由が何か。
最後にその謎が彼女の中に重くのしかかった。
◆
『クソガキ、お前は軍に来い。オレの下まで上がって来れたらァ、死ぬ程こき使ってやるァ』
ゼルが目を覚ました時、側には無傷のククジラスがいた。
直ぐに拘束されているククジラスを殺そうとして地面に転がされたゼルへ、女は声を掛けた。
あの気に入らない女は軍人だった。それもかなり上の階級らしい。
普段は虫か何かのように村人を手で追い払う街の軍人達が、彼女の前では草を食む畜生のように頭が低い。
そして彼女は彼に一本の剣を渡した。
『それは推薦状だァ。お前がそれを持って緑都の詰め所の門を潜った瞬間、お前は軍人だァ』
『重ッ』
その剣を受け取った瞬間、予想外の重量に体を引っ張られる。
恩恵が消えた現在のゼルでは持ち上がらない重量だったが、そうでなくとも剣としては不釣り合いに重い。
彼女と初対面ならば、その重みを噛み締めて喜ぶのだろうが、目の前の女は吊るされているゼルを見捨てたゴブリンだ。
この剣に意味さえない可能性もある。むしろそっちの方が大きいかもしれない。
ゼロに近い彼女への信用と、彼女の軍人としての地位への信頼を足し合わせて、辛うじて『本当かもしれない』へと傾き、その剣を受け取ることにした。
グニスとの対話はそれだけだ。
事件によるゼルの周囲の変化、その中で最も大きなものは彼の師の失踪だ。
あの日以来、彼の師たるゴブリンと治癒師とその娘は村から姿を消した。村人たちは『治癒師たちはきっと村長の不正に深く関わっていたのだ』などと懲りずに勘繰りを続けているが、ゼルにとって真偽はどうでもいい。
ゼルが手本とする物が無くなってしまった。
それは技術の停滞を意味する。
これまでは、師を観察して、動物相手に試して体得、というループを回す事で高速に技術を磨いていたが、それがこれまでの記憶だけを頼りに行うとなると、停滞どころか劣化すら起こりうる。
しかも、いまゼルが收めているのは小手先の技だ。それらを繋げて一つの理とすることで武術は芯を持つのに、ゼルは確固たる幹を手に入れていなかった。
「ほぁ……」
そして現在、ゼルは完全に腑抜けきっていた。いきなり状況が変わり過ぎてゼルの頭脳は処理の限界を迎えてしまったのだ。
ゼルは気晴らしのつもりで酔っ払いのようにフラフラと道を歩いていた。
そんな時、一人の少年を見つけた。
彼はゼルのことを憎らしげに睨みつけている。
「……おまえのせいで、おとうさんは!」
「……あぁ、不正に関わってた狩人か」
彼は以前、ゼルへと石を投げた少年だ。
ニンゲンを村に入れてしまったゼルを酷く強く非難していた。そんな彼の父が不正によって
「ちがう!!」
「なら何で俺はここにいるんだろうな。もしかして、コネで自分の罪を揉み消したりしたかも知れないぜ?お前の父親みたいにな?」
ゼルは楽しげに笑う。
なるほど、これは楽しい。ゼルは意地が悪い自分を自覚した。
正義というのは何よりも強い。その立場を振り回して悪をなじり、貶し、叩きのめすのは酷く気持ちが良い。
村の連中がこれに夢中になるのも分かる気がする。
目の前の少年も『自身が正義であるため』に
いずれにしろ、
「俺が正しくて、お前の父親が正しくなかっただけの話だぜ」
俺はもうこの村には居られそうに無い。
この村に長くいると『正しくない俺』になってしまいそうで。それが酷く……疎ましい。
ゼルは少年との会話によってそれを再確認した。
◆
腹を決めたゼルは、直ぐに剣を持って家を出た。
重々しい剣を、紐で背中に括り付けて背負う。
あれだけのことがあったが、いざ旅立つとなると故郷に対して離れ難く思う気持ちが……。
「……無いな」
苦笑しながら、村を出た。
そうして、街道へ出たところで友に出会った。
「……ゴラトン」
「……」コクリ
ゴラトンは穏やかに笑いながら、ゼルへと手を振った。
ゼルはその笑い方を怪訝に思って、彼に近づいた。
「何で黙ってるんだよ?」
「……」
普段はやかましい彼が、今度は苦しそうに俯いた。
そこでゼルは彼が笑顔の下に隠しているものに気づいた。
「泣いてくれないのか」
「ゔ」
そして、決壊する。
「ゔれじい……がらぁ。ゼルが、ぐんには”い”る”っでえ”。ゆめ”だからあ”。……でも”、オレ”ぇ”、ざびじぐでぇ!!て”も”、ゼルのた”びだち”だからぁ”、わ”らって”ほし”がっだんだよお”!!」
涙を溢れる程に流しながら、ゴラトンは散らかった言葉を心のままに口に出す。
「あぁ……」
「……、あぁ、そうだな。——」
その通りだ。
門出に涙は似合わない。
ゼルは、込み上げそうになったものを無理やり飲み込んで、笑顔を作った。
「——行ってくるぜ!!!」
「おゔ!!向こう”で待ってろぉ」
◆
「……う、うーん。…………え」
旅立ちから数日後。
ゼルが目を覚ますと、彼の腕は後ろに回した状態で、足も曲げたまま縄できつく拘束されて倉庫のような部屋に転がっていた。
「ふん!……ふん!くそっ」
ゼルは芋虫のように体を動かして拘束から抜け出そうとするが、緩む気配すら無い。
うぞうぞともがいていると、人の気配がした。
「あら」
「っ誰だ!」
ゼルは自分を拘束した何者かが現れたのか、と警戒しながら寝返りして声の方を見た。
「あなた、ゼルさん。ですよね?」
そこには、ゼルの故郷の開拓村にいた治癒師と——
「ぉぉ」
——ゼルが勝手に師と仰ぐ、ゴブリンの姿があった。
二人とも、ゼルと同じく拘束された状態で。
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これにて八章終了です。
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