第17話 輪廻は逆転する


「お前の親父がゲロったァ」


 グニスは村長を投げ捨てる。


「ゔ…」


 ボロ雑巾のようになった村長が衝撃で呻く。


「お前を拘束する。親父もなァ」

「『グラ……」



「……っせえッ!!」

び……ふが」


 呪術を発動しようとしたククジラスの口に棍棒を突き込む。


「ははァ、喋れそうかァ」

「ふがふが……ッフゴ!!」


 目で笑っていたククジラスだが、グニスがさらに棍棒を突き込んだことで顎がこれ以上ない程に開かされる。

 ククジラスの顔に声までグニスが殴り飛ばした者の血が滴り落ちる。


「〜〜〜〜〜!!」

「何言ってるかわかんねえなァ」


 グニスは彼を引き倒すと、縄で縛り上げる。

 まだそれほどまで成長していない彼の身体能力ではこれは解けないだろう。力を込めにくい姿勢を固定するように、巧く縄を結んだ。


 縄で拘束する術は、田舎の治安維持では欠かせない技術だ。

 鉄の手錠は重すぎて携帯するには不向きだからだ。縄の方ならどこにでもあるし、持ち歩くのも苦にならない。


「それにしても、ロロクロ遅えなァ」


 彼には森の中で仲間殺しの犯人を見つけさせようとしていたが、件のククジラスはここにいる。

 ならば、彼が森に留まっている理由は無いはずだ。

 グニスがこれほど目立っているのだから、居場所がわからないというのも無い。


 サボりかとも思ったが、彼は陰険な性格だが職務を放棄するほど落ちぶれていない。


 何か異常があったとしか思えない。


 赤らんできた空の色に、焦燥を覚え始める。


 そうして、正気の者が彼女だけとなった屋敷に何者かが踏み入った。




「『重縛グらびティ』」


 今度はククジラスとは違う、嗄れた男の声が響く。

 ペタペタと裸足が地面を踏む音。


 膝を地面に着き、四つん這いの状態でグニスはその正体を睨み上げる。



 ぬるりと彼女の視界に現れたのは草臥れた、髭だらけのゴブリン。

 彼女の部下であるロロクロを抱えた彼は虚な瞳でククジラスを見ていた。

 ロロクロを肩から下ろしたゴブリンはよろよろとフラつきながらククジラスへ近付いて行く。


 地面に落ちたロロクロには大きな傷は見えなかった。

 異様な重圧に耐えながらそれを確認したグニスは、ククジラスに向かって行くゴブリンの目的に気づいた。



「ぁ」

「お、お前。俺の、邪魔をしやがったなジジイだな!!くそ、なんでここに……の…オ、止め」


 縄で拘束されて無防備に転がされているククジラスは格好の標的だ。


 右手で髪を掴み、頭を固定すると、左手がククジラスの首元に添えられる。

 首をふるククジラスの言葉が聞こえないように、ゴブリンの左手に力が入っていく。

 万力のようにゆっくりと閉じる左手は彼の首の筋肉をものともせず、完全に閉じ切った。



 彼の目的はククジラスを殺すつもりだろう。

 復讐か、裁きのつもりか、いずれにしろ拘束すると決めたオレをコケにする行動だ。

 仲間殺しは即刻死刑、それは戦争当時の軍規だ。

 壊れた彼は今もそれを守っているのだと想像が付いた。


 しかし、そんなことはどうでも良い。



「オレに膝を着かせたなァ。ガラクタがァ、大人しく壊れとけァ!!」


 魔力で補助しながら、立ち上がる勢いのままそのゴブリンへ棍棒を振るう。

 命中の瞬間、ゴブリンが棍棒と自分の体の間に左手を差し込んだ。


 しかし、グニスの渾身の一撃は流し切る事はできずに彼の体は打ち上げられる。

 同時に制御を失った呪術は解けて彼女の体は正しい重みを取り戻した。


「……」


 それでも彼女は先程の妙な手応えに、気味の悪さを感じていた。


 音もなく着地した彼は、またふらりと立ち上がる。


「シィッ!」


 言葉も無く、グニスは追撃を加えようとする。

 銀の光を纏った棍棒が今度こそゴブリンを叩き潰そうとする。


 ふらりと避けようとしたゴブリンの足を踏みつける。


 これでさっきの様に受け流すことはできないだろう?


 ニィと凶悪に笑ったグニスが棍棒を振り下ろした。



 ゴブリンは反射的に右腕を宙に広げて受け止めようとする。

 棍棒が腕に当たった瞬間、右腕は衝撃で内側から破裂する。


「ケハァ」


 そのまま、踏みつけにしていた足の膝に棍棒を当てて同じ様に破裂させる。



 三度、棍棒を振るおうとした時、ゴブリンの残った左の指がピクリと動く。


「『————』」



 一瞬、彼女の前にこの世のものとは思えないほどに鮮烈な赤が広がった。


 瞬きの後に、グニスの棍棒が砕けた、いや柄から先が粉微塵になって消えた。


 そして、眼前で何かが爆発するような音がして、彼女は背後の瓦礫に叩きつけられた。



 瓦礫程度彼女にとっては大したことは無いが、如何せん叩きつけれらるのがあまりにも速かった。

 満身創痍になりながら、瓦礫の中でもがく。




「フーッ…フーッ……ぐ…うぅ」


 瓦礫をどかしながら、腕の力だけで這い出て来るグニス。


 彼女は、完全に崩れ去った屋敷の瓦礫の山、その上に立つあのゴブリンを見つめた。


 彼は自身の手を見て、疲れ切ったような表情を浮かべている。


 先程の痴呆者のような有様とは打って変わって、確かな理性を感じる振る舞いだった。

 男の左腕の皮膚が溶け落ちて、赤色の皮膚が見えて来る。

 いや、元々赤色だったのを樹脂で覆い隠していたのだろう。

 グニスの軍人としての知識が、あの皮膚が聖国の人間がよく使う偽物と同じものであると訴えて来る。


 しかし、その他の部分の肌は間違いなくゴブリン由来の緑色だった。

 おそらくは変色した部分を隠すための措置だろう。義眼と変わりは無い。



「———まだ、——」


 何かを呟く。

 感情が無いわけでは無い、ただ怒り悲しみ、失っては得て失っては得てを繰り返して、凹凸が無くなってしまうまで擦り切れてしまっているのだ。


 グニスはその様を見て、不思議な事に猛烈な怒りを感じた。

 力があれば何だって叶えられると思って走って来た。

 その道筋を全て否定されるような許し難い嘆きをこの男は抱いているのだと。



 男は徐に左手を自身の首元に当てがうと、ククジラスの時と同じように手を握りしめる。そこには一切の躊躇いも感じなかった。


 グニスの目の前で首が落ちる。

 その後ろで首を失った体が横倒れになって崩れ落ちた。


 遅れて体が急速に朽ちていく。

 まるで恐ろしい呪いでも受けたかのように、同時に目の前の首も雪のように形を失って、地面を赤く染めていく。


 残ったのは枯れて水分を失ったような赤黒い左腕だ。


 地面に腕が突き立つ様は焼け野原に残された樹木を思わせる。




「な、んだ……それは」


 自分が何も知らないまま、場を引っ掻き回されて、勝手に死ぬ。


 ——いつか、絶対にお前をぶち殺してやる。地獄の底で待っていろ。


 そんな口惜しい疎外感を味わいながら、グニスの意識は落ちた。








「——あぁ、なんという……可哀想に」


 そして輪廻は裏返る。

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