第16話 ブートストラップ
「ダリイ、ダリイ、ダリイ、めんどくさい奴だよなお前。仲間殺しなんてやってまだ反省していないのか」
「……お前」
ククジラスは自分ででっちあげといて本当にゼルが仲間殺しをしたと思い込んでいるようだった。
ゼルは眼前の男を心底哀れに思う。
何を求めてここまでの凶行をしたのかは分からないがそれでも叶えたい理由があった筈だ。それなのに叶えたいと思った自分を見失ってしまっているとは……。
そうしてゼルの拳が一瞬力を緩めた瞬間。
「『
「くっ……」
鉄の鎖が肩にかかったような重圧を全身に浴びる。
落ちかけた膝を無理やり前に出して、ククジラスとの距離を詰める。
「キタキタ」
待ってましたと言わんばかりに両腕を広げて飛びかかってくる。
ゼルはククジラスの眼前で動きを止めると、彼の動きに合わせてカウンターを放つ。
「うひ、やばぁ」
反応できないと思って放った拳を、見てから首で躱す。狩人たちの『め』を集めたことによる恩恵だった。
そしてゼルは力を込めて拳を繰り出した分だけ無防備になる。
「…が、ぁッ!」
体を捻り彼のリーチの外に逃れる。
代償はククジラスが抉った腹の皮。
不自然な握力は傭兵から奪った『うで』の影響だろう。
依代の恩恵を受けた分だけ今のゼルとククジラスの間には差が開いている。
一歩下がったゼルを、二歩進んだククジラスが捕まえる。
ククジラスが打ち込んだ拳の半分を両手で受け流す。もう半分はまともに受けてしまい。肋骨に激痛が走る。
「はっハァ、おらおら、気持ち良くて死んじゃうよな、ゼルくぅん」
「はっ……はっ……」
浅くなった呼吸で必死に酸素を求めるが、追撃がそれを許してくれない。全力疾走を数分繰り返したような苦しさの中で、視界が滲む。
自分の体が思ったよりも前に進まないもどかしさを意思だけで無理に動かす。
受け流しながら放った一発がククジラスの頬にペチり、と情けない音を立てて当たる。
「……くそ」
ゼルの拳をククジラスが掴む。
「ゼルくぅん、拳っていうのはこうやって、にぎるんだ、よ!!」
「アァ”、がア!!」
ククジラスがゼルの拳を握り潰す。痛みに耐えきれずに思わず膝を折る。
「拳っていうのはこうやって、打つんだ、よお!!」
「ぉぐ」
先ほどえぐられた腹部を的確に狙うように、ククジラスが右手を振るう。
ゴロゴロと地面を転がるゼル。
舌を噛んでしまったのか、血の味が口の中に広がる。
負け犬がよく知る、敗北の味だ。
ままならない、足りない。
あいつと、俺、何が違う。
いや、何もかもが違う。
親も立場も、生き方も。
ただ生まれた村だけが同じだ。
他人と比べても絶望がもたらされるだけで意味は無い。
なら、俺は?俺は何を持っている。
一つは師から盗み取った技術。
後は、何だ?
「これ、か?」
ずっと体に纏わりついているもの。
それは誰もが持っている、魔力、ではない。
もっと命の根源に近いもの。
依代がゴブリンたちへ与える何か。
魔物も人間も全ての生物が生まれながら持つ、何か。
本来は歪めることを許されないもの。
本来は触れることも許されないもの。
「これを、俺に、使わせろ」
唯一『傲慢』の主だけが権利も無く境を踏み越える。
ゼルはその資格があることを感覚で理解する。
不眠不休での拷問を受けた後の満身創痍で、理性が弱っている今だからこそ、それを受け入れることができたのだろう。
そして唯一の勝ち筋を見つける。
力を代償に力を得るなどという、靴紐を引っ張って空を跳ぶような所行は素面では思いつかなかっただろう。
「『
右腕が墨で塗ったように黒く染まった。
ビキ、と筋肉が軋む。
ゼルが壁を頼りに、起き上がる。
壁を破り取って、ククジラスへ投げつける。
「ふんッ」
飛んできた石弾を裏拳で叩きわるククジラスは、
キリキリと弦を引き絞るような音に気付いてしゃがむ。
「『うで』」
—————ィイィイイイン
高速で背後の壁面に突き刺さった腕が高音を立てた後に、壁全体にヒビが入る。
「ああああ、俺の家がああアア。人の家を壊すことが犯罪だって知らないのかああ。なんてひどいやつだ」
「ちっ」
ゼルは舌打ちをしながら腕を引っこ抜く。
叫びたいのはこちらだ。これだって無制限に使えるものじゃ無いのだ。
だから、この一撃で仕留める必要があった。
すう、と巻き戻るように黒くなった肌が元の緑色に戻る。
これでもう、『うで』は使えない。
今現在、ゼルの腕力は何の訓練もしていない子供のゴブリンと代わりは無い。
『
壁の陰へとゼルが姿を消すのを、ククジラスが一足で追いすがる。
狂っているなりに危険を感じているのか、ゼルをここで仕留めようという意図を感じる。
また、使うか?いやこの距離では避けられるか、発動の出鼻を挫かれるだろう。
「『
思考の隙間を狙うように的確に呪術が飛んできて、足を滑らせる。
「まず、」
「けヘィ、ゼルくぅん……ッ」
ククジラスの追撃が来るかと思われたが、その瞬間に二人の間を分つように一本の矢が通る。
ククジラスは慌てて首を引いたことで体勢が崩れる。さすがに弓を弾くほど人外では無かったらしい。
「すぅッ!!」
揺らいだ軸足を引っ掛けてククジラスを転ばせると、起き上がり、踏みつけようとする。
ククジラスはゴロゴロとその場から転がり、腕力に任せて飛び起きる。
弓の飛んできた方向にはゼルの見覚えのある顔が、
「ゴラトン!」
「ゼルが俺を呼ぶ声が聞こえたんだぁ。……多分な」
彼は弓と矢を背負った完全装備だった。彼は独特の緩い雰囲気を纏いながら現れた。
「後は俺に任せて、家に帰ってママのおっぱいでも吸ってなぁ」
「……いや、時間を稼いでくれないか?俺が仕留めたい」
ゴラトンの提案をやんわりと断る。
そもそもゼルがここに立ったのは彼自身のプライドのためだ。
そこを助けられたことさえ納得し難いのに、尻拭いなんてさせることは出来ない。代わりに時間稼ぎを頼んだのはちっぽけな彼のプライドのせいだった。
「おまえ、覚えてるぞ。ゼルくうん、のお友達だな?俺が誰かわかってるのか?俺はなあ、偉いんだぞ」
「俺、馬鹿だから分かんねぇけどよ…………やっぱ、馬鹿だからわかんねぇんだわぁ。誰だお前」
少し考えた後に開き直ったゴラトンはもう一度矢を放つ。
「覚えてろよお前」
「……お前、まさか村長の息子か!?痩せたなぁ」
そもそも太っていない。もう一矢放つ。
ククジラスは矢を叩き落としながら叫ぶ。
「…っそうだ!!俺の親父は村長だ、ゼルくぅんが、仲間殺しをし……」
「嘘を吐くなよお前。村長の息子が村長の家を壊すわけがないだろぉ」
「むむん」
ククジラスは目の前の少年は頭が狂っているのかもしれないと気付いてしまった。
そして、彼がゴラトンの華麗な話術に騙されている間に、準備は整ってしまった。
「もう、良いぜ。ゴラトン」
「あぁ」
雰囲気で頷くゴラトン。
キリキリと引き絞る音。
地面に手を着いた極端なまでの前傾姿勢。
太腿から足先にかけて、墨色が全体を覆い隠す。
0から100まで一気にアクセルを踏む。
この一瞬に全て注ぎ込む。
「『あし』」
背後の岩が砕ける音が低く聞こえる。
ククジラスが前方に拳を振るってくる。
「〜〜〜ッッッッ!!」
慌てて姿勢を下げながらそれをやり過ごす。
ククジラスの懐に入った。
代わりに速度は失われた。
そして、足先から黒が引いていく。
力も失われた。もう、ここから退くことさえできない。
背水の陣、しかし手札は既に手にある。
強く握った拳を開く。指先を伸ばし、一本の剣となるように。
「『きば』」
そこに、この森で培った力を乗せる。
猪突猛進、猪の矛が昇る。
手刀がククジラスの胸を貫いた。
「……ッッッガ……ふ」
震えるククジラスが、ゼルの体を蹴り飛ばす。
力の殆どを失ったゼルは、何度も床にぶつかりながら、グニスが門を破った後の瓦礫の中に突っ込んでいった。
ククジラスはフラフラと膝を折って、その場に座り込む。
胸を流れる血を掬って嗅いで、親指と人差し指の間で塗り広げて、気付いた。
「……あ…逝きそう」
「楽にイけると思うなァ、ゴミカス」
返り血で赤く染まったゴブリンは目の前の男を笑った。
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