第14話 グニス


「……フッ!!」


 ロロクロは最短距離で男の喉を突く。


 切先が喉に触れた、と思った瞬間男の体が後ろに倒れる。

 短剣が男の鼻先スレスレを通り過ぎる。



「……ッ!!」


 伸び切ったロロクロの腕に男の手が触れた瞬間に、ロロクロの体は宙へと跳ね上がる。


 逆転する視界の中で男が死体の肉を咀嚼していた。


「……っス」


 それが自分の肉でないことに安堵しながらも、冷や汗が止まらない。


 この男はこちらを見る気配すら無い。

 それを舐めていると捉えられるほど楽観的では無い。きっとこの狂人には自分の刃など止まって見えるのだと、ロロクロは自覚している。


 ならば見えないようにすればいい。


「『闇煙スクリーンスモーク』」


 粘り気のある黒煙が足元から立ち上がる。

 黒魔術の『閃光フラッシュ』と逆の作用を持つ呪術。


 効果は見た目通り視界を遮る煙をその場に発生させるだけ。

 どれだけ動体視力に優れていようと、見えなければ反応は出来ない。


 そして、この呪術の使い手であるロロクロは、この状態でも万全に戦闘ができるように訓練している。地の利を強引に奪う彼の十八番だった。



「『肉庫アーモリー』」


 ロロクロが両手を首に突き込んだ。


 取り出されたのは、無骨な二本の短剣。

 表面には艶もなく、持ち手の下端は滑りを防ぐためか、僅かに膨らんでいる。


 彼がそれを構えた途端に、身動ぎ、足音、呼吸音、彼の放つあらゆる音が壁を一枚隔てたように小さくなった。


 ロロクロは短剣を逆手に持ち直すと、ステップを踏み始めた。



「……シィッ!!」


 ロロクロは黒煙の中で感じる男の位置、その周囲を高速で回り続ける。

 自分の位置を絞らせないように、そして男からの攻撃を避けるためだ。



(……ここだ)


 男の方向感覚が失われた頃を狙って、背後の木を蹴って加速する。


 狙うは首筋、撫でるように切ればもう致命傷だ。血を吹き出しながら死体になる。


 深い煙の中で男の影が浮かんだ、瞬きの後に男が向こうを向いているのが見えた。


「……ッ」


 その時、ロロクロの心には命の奪い合いを制する、という安堵だけが浮かんでいた。そして短剣を握る掌が力んだ。同時に、息が漏れてしまった。



 ——瞬間


「!!」

「ひょぉ」


 男の首が、グルリと周りロロクロの姿を捉えた。




 ◆




 ……グチャ、…ムグムグ……ング……ゴク…ヒック……



 ロロクロは浮かんだ意識の中で、男の咀嚼音が聞こえる。

 ただその姿に、起きている時ほどの嫌悪は覚えなかった。


 むしろ寂しげに響く嗚咽が、一人になった子供が強がっている姿のように同情を掻き立ててくるのが、不思議で仕方なかった。




 ◆




「もう、十分協力しただろう。解放してくれ」

「はァ?それを判断するのはお前じゃなくて、オレだろうがァ!」


 ゼルの監視をしていた狩人は女ゴブリンへの提案をすげなく断られて、逃亡を諦める。


 実際この狩人がしたことといえば、村長の居場所や、狩人長の居場所を教えただけだ。他にも女ゴブリンの質問にいくつか答えた。


『村長の家は中央にあるものだけか?』

『村長の家族構成は?』

『神官長はこの村にきてどれぐらい経つか?』


 など、わざわざ彼に尋ねる理由の無い質問ばかり。

 むしろ村長本人に聞いた方がいいのだろう。


 とはいえ、今の彼女はこの村にとっては外敵だ。

 おそらくこれから来るだろう全ての狩人を相手にして無事に済むとは思えなかった。彼はその時に自分が盾にされないように解放の提案をしていたのだが断られてしまったので、隙を見て逃げ出すことを決めた。


「ゴミカス、お前、まさかァ、逃げようなんて考えて無いよなァ?」

「…まさか」


 図星を突かれて返答が一拍遅れる。


「だよなァ。まァ、逆らって後悔するのはお前だからなァ」

「?」


 逃げようとすれば女による攻撃がある事など分かりきっている事なのにも関わらず、含みを感じさせる女の言葉に狩人が疑問を覚えた時。



「いたぞ、アイツだ」


 見張り番の一人が呼び寄せた狩人の集団が現れた。


「傭兵だ」

「あんな奴居たか?」

「俺は森の中で見覚えがある」


 しかし、彼らには緊張感が無い。なぜならば十数人もいる集団を相手に一人が敵う筈が無いのだから、緊張などする必要も無いのだから。


 そんな弛緩しきった狩人達の集団を、狩人長が指揮する。



「全員、散開」


 一瞬で気を引き締めた狩人達は弓を片手に、二人を円状に囲んだ。



「ふん」


 女は面白そうに鼻を鳴らす。



「先に言っておくが、オレは軍から調査に来た赤棍兵レッドだァ」

「まさか!」


 女はニヤリと笑う。


「信じられないかァ?証拠を見せてやるかァ……」


 女はおもむろに胸元から取り出した手袋を嵌める。

 国軍の所属を示す意匠と、手の甲の部分には大きな宝石が嵌っている。


「ルビーの、徽章」


 大きなルビーと、その下に小さなルビーが二つ。


「緑神国軍北東聖国方面軍所属、上品中生二級赤棍兵レッドグニス・シジェ。……それがオレだァ、カス共」



 狩人長はそれを見ても表情を変えず、部下達に指示を出す。


「……どう見ても偽物なのが分からないのか!!弓を撃て!!」


 そう言って女へ向けて矢を放つ。

 狩人長の圧に流されて、他の狩人達も次々と矢を放った。


「くはっ」


 グニスは笑いながら矢を掌で叩き落とす。


「ぐああああ、いてええ!!」

「あ、すまん。」


 外れた矢がグニスに脅されていた狩人の足を貫く。


 全員が第一射を放ち終えた後、中央には矢を受けて転がる狩人と無傷のグニスが立っていた。


「……化け物だ」

「いてええええよおおお、まだ死にたくねええええ!!!」


「もしかして本当に国軍なのか…?」

「ちが、血がとまらねえよおおお!!!いてえ!!いてええよお!!」


「そんな事は無い。こんな所に来る理由なんてない筈だ」

「ああああ!!腕も!?腕にもささってるうううう!?二の腕の所にぃいいいいいい!!!」



「いい加減、黙れやァ」

「!ぁう………」


 棍棒を頭部に叩き落とされた狩人の男は、意識を失って倒れた。


「ゴライアスがやられた!!!!」

「やっぱり軍人なんかじゃねえ!!殺せ!」


 ゴブリン達は大声を上げながらグニスへの射撃を再開する。


「ペチペチペチペチ、うぜえなァ」


 棍棒で地面を掬い上げるように振るうと、砕けた地面が石礫の弾丸となって狩人達を襲う。


「……ちっ」


 狩人長は腕をかざして瞳を庇いながら舌を打つ。

 石礫の群れが止まり、彼が腕をおろすと、数人が土の弾丸をまともに受けて動けなくなっていた。


 その時、岩陰に隠れていた一人が、投石器を使って投げた石がグニスの額にまともに当たった。


「あ」

「……ァ?」


 グニスが額を拭うと、掌が僅かに赤く染まっていた。


「……」



 石が飛んできた方へと、グニスがゆっくり振り向いた。

 これまでの余裕ぶった笑顔から一転して、今にも爆発しそうな無表情を浮かべていた。


「…ッヒィ」

「…一回は、一回だよなァ」



 グニスの体が無意識に魔力を纏った。

 彼女は側にあった岩を両手で掴むと、力を込めた。


 地面に埋まっていた岩が少しずつ持ち上がる。

 彼女の身長程はある岩が、頭の上に掲げられる。


「え、え、え?」

「死んどけァ!!」


 グニスが岩を前に構えて、尋常ではない速度で走り出す。


「っふご」


 そのまま投石の下手人に岩の前面が触れた瞬間に、岩ごと彼を蹴飛ばす。吹き飛んだ岩は地面に生える別の岩との間に彼を挟んで潰した。


 ——ブヂ


 縄が切れたような音と共に彼は事切れた。



「フーッ。よし」


 グニスは棍棒を構え直すと、彼女へと射られた矢を打ち返した。


「ッぐ」


 矢尻が行きよりも早い速度で射手へと帰ってきて、そのまま腕を引き裂いた。


 打ち返した矢は必ず誰かに当たると言うわけではないが、それでも矢を射る度に同量の反撃が帰ってくる中で、一人、また一人と狩人が減って行く。

 やがて包囲を維持するのが難しい数まで減った頃。


「もういい、下がれ。後は私がやる」

「か、狩人長」


 村長から譲渡された鉄製の棍棒を持って、狩人長が前に出る。


「私に殺されたくない者は下がっておけ、は私にも制御できない」

「っまさか!?おい、早くここを離れろ!!」



「おおおおおおおオオオオォ!!!!」


 狩人長が雄叫びを上げながら魔力を体内で回す。狩人達は、倒れている仲間を引きずってその場から逃げていく。


 理性のリミッターを外すことで肉体の限界を超える呪術。


「『暴走バーサーク』」


「あはァ」

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