第12話 肉庫
その時期は年に一回の近隣の村同士の会合が開かれる時期だった。
リズは背中の籠に薬草を放り込みながら、昨年の会合を思い出す。
将来の展望をすり合わせるとは名ばかりの、村長同士のマウントの取り合い。そして話が終われば酒と香を使っての酒池肉林の乱痴気騒ぎ。すぐにその場を離れたが、もしも留まっていれば今頃彼女の手には薬草ではなく誰とも知らない
おそらく今年はこの村で会合が開かれるだろう。なんせ今、この村の村長はニンゲンの鎧を売り払ったことで懐が潤っているからだ。
現在はウキウキで他の村へと手紙を出していることだろう。
数年前まで横並びだった開拓村同士の収益はここ数年で彼女のいる開拓村が他を引き離している。
その理由は鎧の収益、ではなく人口の増加にある。
正確には人口の減少が抑えられている事にある。
ある意味ではそれがこの村の村長にとって最も秘匿したいことであり、ニンゲンの襲撃があったことを報告できない理由でもあるのだが……。
「はあ……そろそろ潮時ね」
村が随分ときな臭くなってきている事に嫌気はするが、外様であるが故に村の運営に口を出す事はできない。できるのは精々怪我人を直す程度。
剣を持たず人を癒す道へと進むことを選んだのは彼女自身だが、時折簡単に人を動かすことのできる力が欲しいと思ってしまう。
再び薬草に手を伸ばそうとしたところで、視界の端を影が通った。
「…誰」
一人のゴブリンが森の奥へと歩いている。
少し背筋の曲がったその男は、時折リズが食事を差し入れている髭のゴブリンに違い無かった。
ただその様子はいつものフラフラとした歩き方と違って、明確にどこかへ向かっているように見えた。
「……」
それに対してリズの口元が不機嫌に歪む。
端的に言って、彼女はあのゴブリンを嫌っていた。
あの男の分の食事も彼女が作っているし、時折様子を見に行かねばならないのも面倒だった。それにあの男のせいで彼女の母親は散々な目に合っているのだから、許せるはずも無い。
直ぐに彼女は視線を地面へと下ろした。
◆
神殿に作られた石造りの部屋、簡易の牢獄となったその部屋の中で一人のゴブリンが呻き声を上げている。
狩人が振り下ろしている木の棒はすでに木だったと分からないほどに赤黒く染まっている。たかが木の棒、されど木の棒だ。人外の領域に踏み入るほどに恩恵を受けていないゼルではその程度でも撲殺される可能性がある凶器に違い無かった。
「っ”……」
「吐けば楽になるというのに……馬鹿な男だ」
無感情に呟いた狩人長は床に木棒を投げ捨てると、石畳とぶつかって高い音が部屋に響いた。
「ふー……外の空気を吸ってくる」
「うす」
見張り番の狩人達は当然の如く頷いた。ゼルを監視しているのは二人のゴブリン。そのうちの一人はククジラスの取り巻きだった男だ。しかし、リーダーがいないせいかいつもより大人しかった。
「……」
ゼルは狩人長の背中を朦朧とした瞳で射抜く。
結局ゼルは自白することは無かった。ゼルには罪も何も無いのでそれは当たり前かもしれない。
余程明らかな証拠でも無い限り、この国では自白が罪の証明となってしまうため、尋問では圧迫的に詰めたり、時には暴力を用いて自白を引き出す事はある。
しかし今回の拷問は明らかに
その杜撰な尋問モドキによってゼルには誰が殺されたのか、どこで、いつ頃発見されたのか、という詳細な情報さえ既知のものとなっていた。
「……」
上を向けば天井から吊るされた鎖がゼルの手首へと繋がっている。
踵が少しだけ浮く高さに調整された鎖によって、ゼルは睡眠を許されず、体力を削られ続けていた。
ゼルが成人していれば香によって、瞬く間の内に自白させられていた事だろう。それほどに香の効果は大きい。あれは子供のゴブリンには驚くほどに効かないのだ。
不思議なものだが、香自体もまた依代による恩恵だと知られているのでこの国のゴブリン達はそういうものとして受け入れていた。それに依代からしか作れないという性質こそが香貨の唯一性を保証する要素でもある。簡単に類似品を作られては困るのだ。
狩人長は誰が犯人か知っていて、それでもゼルを犯人にしたてあげようとしている。
手軽に手に入る香は効かない。痛みも耐えてはいる。
あとは疲弊させるか毒でも使うだろう。
そしておそらくゼルは自白する事になる。
どれほどに心が強くても最後は屈する事になる、それが拷問というものだ。そしてありもしない罪のために裁きを受ける。
子供ということで情状酌量があったとしても、両腕を切断して村の外に放つとかだろう。少なくとも五体満足とは思えない。
朦朧としながら自身の未来を壁に幻視していると、部屋に影が差した。
「!……誰だ」
光源もないこの部屋には空気の交換の為か、上の方に一つだけ小さな窓があった。窓自体はゴブリンが通れるほどの大きさがあるが、厳重な鉄格子が嵌めてあって、とても出入りに使えるものではない。
「いたいたァ」
そんな場所に一人の女ゴブリンが取り付いて顔を覗かせていた。
「お前は、傭兵の……おい、ベゴ!狩人長を呼べっ」
「あ、ああ」
「お前は逃げなくていいのかァ、ゴミカス」
「な」
女が力を込めると、鉄格子は粘土のように歪み、限界を超えて破断した。見張りのゴブリンの足元に手形のついた格子が落ちる。
「よっ……とォ」
窓を強引に潜って部屋に降り立った女は好戦的な笑みを浮かべる。
「ちぃ、賊か」
残った狩人の男は罪人を打擲するための木棒から、鉈へと持ち替える。村長の雇った傭兵の筈だが、これほどの力を持ったものが開拓村の村長如きに雇えるはずが無い。おそらくは意図を持って村を狙った存在であると予想した。
実際、その予想はある意味では当たりで、ある意味では大外れだった。
「おいおい、カスはカスみたいな武器しか持って無いのかァ。オレは手加減できねえからさァ、死んだ時は大人しくくたばってろよなあ!ハハハハハハ!!!」
女は狩人を嘲笑すると、魔力を纏う。
「『
「っ」
この村では使えるものが殆どいない呪術。
狩人は魔力の形容しがたい圧を受けて動けないでいると、女は自身の右手を自身の
しかし、深く突き込まれた腕はまるで水面に落ちるように自然に沈むと、そこから何かを引っ張り出した。
それは棍棒のようにも、人間の大腿骨のようにも見えるような形状の金属製の棒だった。
そして、先からは既に血が滴っている。
手を突き込んだ筈の女の頭には傷一つ無い。ならばあの血液は一体誰のものか。
「三秒で挽肉にしてやるよ、ゴミカス」
女は笑いながら棍棒を地面に叩き付ける。
重々しい振動と共に亀裂が男の足元まで走った。
冷や汗が狩人の額を流れる。
「いちィ」
「——くそ!!」
狩人が背後を薙ぐと、女は背中を逸らして紙一重で刃先を躱す。
「にィ」
「ガッ、ァ」
鉈を持つ手に棍棒を叩きつけられて、骨がひしゃげた。
裂けた皮膚から折れた骨が見える。
「さんゥ…」
「ァ……」
女は棍棒を振り上げる。
それは崩れ落ちる狩人の頭を直撃する軌道で迫る。
狩人は自身の死を幻視した。
「…いや」
直前で起動を曲げた棍棒の先は狩人の左手を潰した。
「がアアアああっ!!……なん、なんで」
「お前に聞きたいことがあるからだァ」
「ならなんで、左手を…」
「……死んどくかァ?ゴミカス」
「な、なんでも無いです」
女は狩人の反応を鼻で笑うと、再び呪術を使って棍棒を自身の体に埋め込んだ。
「で、お前はどうすんだァ、ゴミカス」
女はそこでやっと吊るされているゼルへと視線を向けた。
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