第11話 歪む歯車
「くそっ、あのガキ!」
ククジラスの取り巻きの一人、ボゴはゼルに敗れたことによる鬱憤を近くにあった建物の壁にぶつける。
勿論叩きつけたのは先程折られていない方の腕だ。
ズキズキと鈍い痛みが走る度に彼の怒りは熱を増していく。
この痛みと屈辱をどうやって晴らすか、それだけを彼は考えていた。
いつものように香で羽目を外しても、終われば腕の痛みにのたうち回る事になりそうだ。
それに、自分をこんな目に合わせたゼルが何の裁きも受けずに過ごしているというのは、余りにも理不尽で腸が煮えくりかえる思いだった。
とは言え、ボゴ一人ではどうにもならないだろう。一度負けた上に今は片手が使えない。
治癒師に治させるのも考えたが、ククジラスが許可しないだろう。よく分からないが、村長と治癒師の間には何らかの密約があるという事だけ、彼は知っていた。
ククジラスならボゴ達のために骨折ぐらいなら治癒師に治療させてもおかしくなさそうだが、彼の父親、つまり村長によってかなり強く言い聞かせてられているそうだ。
そこで、彼は力にはもっと大きな力で対抗する事にした。
「ククジラス……いるかー?」
向かったのは彼らが小さな頃から秘密基地の代わりにしていた小屋だ。といってもククジラスの父が所有する倉庫だ。
似たような倉庫はいくつかあるが、ここはその中でも中心から離れているせいで殆ど使用されていない。
その為、中に転がる道具も使用頻度の低い物が多く、埃を被っているものばかりだ。
彼らが何かを企むとき、親から離れたくなった時はいつもここに集まっていた。そして今回は前者の理由だ。
「ん?なんだこの臭い……、香でも焚いたのか?女は連れ込むなって言ってたのによ」
生臭い匂いに顔を顰めながら呟いた。
香と付随するアレやコレを連想してしまい、怒りが萎えかけるが、直ぐに目的の人物の姿を見つけた。
「なんだ、ククジラス居たのかよ。誰も居ないかと思っちまった。それよりよお、あのゼルってガキを………大丈夫か?」
「……ボゴか?……あぁ、大丈夫、大丈夫だ……へへ」
そのまま憎き少年への復讐計画を提案しようとしたボゴだが、ククジラスの明らかな異常を見逃す事はできなかった。
全体的にやつれて、疲れたような表情で返答からもいつもの余裕が感じ取れない。
それなのに眼だけはギラギラとした怪しい光を浴びている。香を過剰に焚いた部屋なんかではこんな様子のゴブリンをよく見かける。
「やっぱ村長が忙しくしてる影響かよ?絶対寝てた方が良いだろ、それ」
「いや…一周回って眠くないところだから…今、そう」
口調もいつもとは違っている。
「なあ、それよりコレ見えるか?」
「……石、にしか見えねえけど」
彼が見せたのはその辺に転がっていた黒い塊だった。
ククジラスはそれを指で摘み上げると、徐々に力を込めていく。
段々と石に対する圧力は増していき、ある一点を超えた瞬間。
「うおっ!!まじか」
ボゴの目の前で石が砕けた。
飛び散った破片が彼の頬に当たるがそれも気にならない程に興奮していた。
「すっげえ、これ、普通の石だよな。やっぱり『継承』ってデカいわな」
彼はククジラスの方を振り返る。
「まあな」
ククジラスは端的に返す。
ボゴはそこで、引っ掛かりを覚えた。
『継承』とは結局、依代によって死体を肉の玉へと変えてその力の一部を別のゴブリンへと引き継がせる儀式に過ぎない。
ゴブリンからゴブリンという近い対象であるために、定着する割合は大きいが、1に1を足す以上の結果は得られないはずだった。
"果たして、前のククジラスにボゴの力を加えだとしても、石を指先で砕く事は出来るか?"
「なあ……ククジラス、もしか…」
「やっぱり動物よりも……
部屋の隅に緑色のナニカが映った。
これまでも感じていた生臭い臭いに、鉄の強い臭いが混じっていた事に気づく。
「……ハぁっ、ハァ」
「ボゴ?大丈夫か、その腕。誰にやられたんだ?」
まるでそれが見えていないかのように、目の前のククジラスは振る舞っている。
「ぜっ、ゼルだ。あのガキだ」
「あぁ、アイツか。丁度いいな、そうだ。取り逃した分はアイツで……」
ククジラスは頬の引っ掻き傷をなぞりながら笑みを浮かべる。
今彼が何を考えているのか、ボゴには全く読み取れなかった。元からそうなる種があったのか、何らかのきっかけで変えられてしまったのか、少なくとも今ククジラスは狂ってしまっている。
彼は知る由も無いが、10年近く前の戦争に参加したゴブリン達には、二つの精神病に襲われる者達がいた。
一つが戦争そのものに心を狂わされた者。
もう一つは戦争に付随して仲間から『継承』される力に魅了された者。
戦争を知る者がこの場にいたなら、ククジラスを見てこう零した事だろう。
『彼は力に呑まれてしまった、もう元の彼とは別人だ』と。戦場であれば闇の中で処理されただろうが、ここは人と人との絆が支配する平凡な村だ。問題が起きるまでは自浄作用など働きようもない。
「……そうだ…こうして、それで……なあ、聞いてるか、ボゴ?いいアイデアだよなぁ?」
「……あ、あぁ、俺もそう……思う」
だから彼は流されてしまった。
◆
ゼルの家の扉を誰かが叩いた。
「ん?……ゴラトンか」
ゼルはいつものように修練のために師と仰ぐゴブリンを追い回すための支度を整えていた所だった。
怪訝な顔を浮かべてゆっくりとドアを開くとその向こうには険しい顔をした狩人の集団がこちらを見据えている。
そして彼らの装備は森に入るための黒い布と弓ではなく、それよりも重装な革鎧と棍棒になっていた。
「どうしたんだ?、戦争はとっくの昔に終わったって聞いたぜ」
一触即発の空気を肌で感じ取りながら、努めていつものように冗談をこぼす。
「ゼル、お前に同族殺しの疑惑が掛かっている」
「……は?」
先頭にいた狩人の言葉に呆けた返事をしてしまった。それ程に彼にとっては唐突な言葉だったのだ。
「なんの、ために……?」
「それは今から調べるところだ」
達観しているように見えながらも彼はまだ子供だった。人間がこの村を襲った事で死を間近に体験して、死に対する恐怖が大きくなった。同時に命の価値は重くなった、自分の命もだけでなく、他人の命も。
だからこそ理解出来ない。
「そうだ!ニンゲンだ。前の奴らの生き残りがまた攻めてきたんだ!そのニンゲンがそいつを……」
「黙れよ、このっ、異常者があ!!!!」
狩人の中の一人が言い募ろうとしたゼルの声を掻き消す声量で怒鳴りつける。
「殺されたのは俺と仲のいい奴だったんだ。それを、お前、ニンゲンニンゲンって、あれは完全に
「お前らだって秘密を漏らしただろ?ならおあいこゔッ」
反論しようとしたゼルの腹部に年長のゴブリンが拳を叩き込んだ。長年狩人をやっているだけあって、その腕力は昨日ゼルが打ちのめしたククジラスの手下とは比較にならなかった。
鍛えられた力には感服したが、その瞳が欲に濁っているのを見てゼルは失望した。
「これ以上嘘を吹聴されて狩人全体の評判が下げられては困るな。猿轡でもしておけ」
「あぐぅっ」
再び腹部に膝を叩き込んだ後に周囲の狩人達がゼルの体を取り押さえて縛り付ける。
「早く立て!!」
棍棒は背中に叩き付けられる。
「さっさと歩け!」
足にかかっているこの縄が見えてないのか、このまぬけ。
「トロトロ歩くな!」
さっき自分で足を叩いただろうが。痛みで上手く動かないんだよ。
「あいつが……」
「やっばり……」
「前から怪しいと……」
「ほらな、俺の言った通り、……」
村の中を見せ物のように歩かされる間、村人達は口々に好き勝手に囃し立てる。
閉鎖的で、狭い世界の複雑で曖昧な力関係によって評価が決まる。
——父親がいないから
——母親が怪我をしているから
——子供だから
——村長の息子に疎まれているから
——だから、アイツが犯人に違いない
「……気持ちが悪いぜ、全く」
こんな村、滅びてしまえ
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