第10話 不穏な足音

 動物相手にゼルが技を磨くようになってからしばらく経った頃。


 今日は猪に挑んでみるか、などと考えながら森へと入って獲物を探していると、二人のゴブリンが現れた。


 そのうちの一人がゼルから目を逸らす。

 もう一人は気持ちの悪い笑顔を見せながら、こちらへ向かってくる。


「あ、キチガイ二世じゃね」


 その呼び名はゼルが髭のゴブリンを追い回す姿を見た誰かが思いついたのだろう。

 ゼルはその言葉には耳を傾けずに、目を逸らした元親友のゴブリンへと声を掛ける。


「ゲズリス。まだソイツらと連んでるのかよ」


 ゼルを馬鹿にしたもう一人はククジラスの取り巻きの一人だ。

 ゲズリスは硬い表情のまま、目を逸らしている。


「おい、無視すんなよ。お前までキチガイになったのか、あ?」


 強引にゼルの視線を遮る取り巻き。ゼルはそこで初めて取り巻きのゴブリンに目を向ける。


「おまえ、誰だよ」

「は?俺はボ…」


「あ!思い出した。お前、ククジラスの取り巻きだな。ずっと後ろにいるから初めて顔見たぜ。お前、喋れるんだな!」


「てめ!」


 取り巻きのゴブリンの頭に血が昇り、殴りかかってくる。


 丁度良く修行の成果を試したいと思っていたゼルは、拳の握りを緩めながら姿勢を下げる。


「!?」


 取り巻きの拳が横へと受け流される。

 ゼルは頬を持ち上げて笑う。


「くそがっ」


 取り巻きがナイフを取り出したことで、ゼルの緊張が増す。

 ゼルはなるべく身軽にするために武器になるようなものは持っていなかったのだ。


「おらぁ」


 胴体へ向けた素直な突きを、大きく避ける。


「へっ」

「……ちぃ」


 今度はゼルが追い詰められる。

 体格では向こうが勝っている、もちろんリーチも向こうが上。その状態でゼルが大きく避けてしまっては、攻撃の機会など来るはずも無い。


 角と違って側面に触れても怪我をする。


 なら、もっと深く踏み込め。


 ナイフの代わりに正面に手刀を差し出す。


「死んでも知らねえよお!!」


 突き出されたナイフの刃、ではなくさらに奥の手首を捌く。

 その動きを無駄にしないように半回転、そして裏拳を叩き込む。


「ぐぅ」

「まだ」


 ナイフを持つ手首を捻りあげる。

 地面に落ちたナイフを蹴り飛ばして、彼から離れる。


「はぁっ……くそ、何が」


 一瞬の間にナイフが手元から消えた取り巻きは戸惑いと共に悪態を吐いた。


「もう終わりかよ?」


 ゼルは嬉々として挑発する。

 折角、人型相手に訓練できるのだ。簡単に手放してはもったいない。

 せめて日が暮れるまで、立っていてくれよと、ゼルは思った。




 ◆




「クソがっ!!」


 地面に転がされた取り巻きは背中の痛みを怒りで塗りつぶした。


「死ね!」


『死んでも知らねえよお!!』なんて言っていたのを忘れて、蹴りを繰り出す。どうやら拳による攻撃は全て受け流されてしまうと思ったらしい。

 もちろん蹴りも同じように捌かれて、その度に転がされる。


「くそ、やめ…」


 逃げようとする取り巻きの足を引っ掛けて、今度は攻撃の訓練に使うことにしたらしい。

 ゼルは向かって来ないのだから、こちらから攻撃するしか無いだろうと自分に言い訳をした。


「おねがいだ、やめてくれ」


 まだ未熟なゼルの攻撃は彼と変わらないか少し劣る程度だというのに何を恐れているのか、ゼルは不思議で仕方なかった。



「あっ」


 ゼルが彼を投げようとした時、力を入れすぎて骨が折れる感触がした。


「があああああ、痛えええええ」


 目の前で大人気なく転がり回る取り巻きに、流石にゼルも少しやる気を削がれた。彼の胸ぐらを持ち上げる。


「ぜ、ゼル。もう十分だろ。これ以上は死んでしまう」


 ゲズリスは媚びるような声色でゼルを止めようとする。


「なんで」


 なんで、そんな目で俺を見るんだ。

 まるで頭のおかしい奴を刺激しないように、腫れ物に触るような言い草にゼルの中で言いようのない怒りが沸き起こる。


 手を出したのはこいつが先なのに、と。



「……くそ」


「ヘブッ」


 取り巻きを投げ捨てると、ゼルは背中を向けてその場から去って行く。


「……はぁ」


 背後から深く息を吐く声が聞こえた。

 まるで理不尽な存在が去ったことで気が緩んだかのような振る舞いだ。



「お前が弱いのが悪いんだぜ、ゲズリス」


 もし、俺を理不尽だと思うなら、俺より強くなれば良い。


「戦う気も無いなら、俺の前に立つなよ」


またゼルは一つの居場所を失った。




 ◆




「ただいま、かーちゃん」

「……おかえり、ゼル」


 ゼルが帰宅した時、彼の母親の視線は手元の紡錘車スピンドルにあった。彼女はそれを回して麻の繊維を捩ることで麻糸にしていた。


「かーちゃん。俺が狩りしてくるから、仕事しなくても良いって言ってただろ?」

「そうねえ。でも、これは仕事じゃなくて趣味だから、良いでしょ?」


 彼女は視線はそのままに、微笑む。

 確かに何もしないというのは何かをするよりも耐え難いことだとゼルは思うが、座って糸を紡ぐのは、それと同じくらい退屈に彼は感じた。


「そっか」


 彼は力を着けて街へ出るつもりだ。

 そうして、軍に入って身を立てる。


 そう彼の母にも告げているが、彼女はこの村に残ると言っていた。


 ゼルがいなくなった後、母を守る者は居ないのだ。

 昔はそのことについて何も思わなかったが、今はそれがどれだけ危ういことなのかが分かる。


 街に生活基盤ができたら、母をそこに呼び寄せるのが良いかも知れない。

 家を買うのにどれだけの金が必要かはわからないが、軍人なら少なくとも一人養うぐらいの給料は出るだろう。


 ゼルは糸を紡ぐ背中を見ながら、将来の計画を立てていた。




 ◆




「どうしたァ、なんか分かったか?」


 開拓村近くの森を傭兵達が探索している。

 リーダーらしき女のゴブリンが、斥候を務めるゴブリンへと声を掛ける。


「………ぅっす」


 斥候は腰を低くして地面に目を凝らしながら進んでいたが、ある物が目についてリーダーを呼び止める。


「これァ、足跡かあ。しかも、ゴブリンよりでけェ……てことは、人間かァ」


 人間の目撃の報告は何をおいても優先される。村人が発見すらしていないなら問題は無いが、見た上で報告を上げなかったとなれば、それは間違い無く村長の責任問題となる。

 しかし、彼女が気になっているのは隠した動機だ。人間の発見を報告する事は何の不利益も無いどころか、村を守るために兵が派遣されるなど、利益しかないはずだ。


 つまりはこの村は何かを隠していると言う事だ。


「村長、締め上げるかァ」


 L字に曲がった鉄の棒をくるりと回しながら息巻く。

 彼女の役職はこの村を守るために派遣された傭兵……では無く、開拓村での不審な金の経路を調べるために派遣された軍人であった。


 通常ならこの程度の仕事は中品4〜6位が担当するものだが、上品中生2位赤棍兵レッドである彼女が赴いたのは他の任務のついでである。


 そのついでの仕事で、ゴブリンの大敵である人間の影を見つけたのは、彼女にとっても非常に喜ばしい事だった。



「………っす」

「あァ?なんだ?」


 斥候が彼女を呼び止める。

 彼の指差す枝の葉には赤い液体が付着していた。まだ乾ききっていないのか表面に光沢がある。

 そして同時に錆びた鉄の臭いを嗅ぎ取る。


「人間の血、かァ?それがどうした?」

「……っす」


 斥候は首を振った。どうやら違うらしい。


「じゃあなんだよ!?ハキハキ喋れや!」


 ボソボソたら小さく呟く彼に対して、嫌気が差した女ゴブリンは怒りながら返す。



同胞ゴブリンの血…っす」


 彼は血の付着した枝の下を指差す。

 地面を染める血液の量は明らかに致死量だった。

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