第9話 金よりも重いもの
「はぁ…、はぁ…」
ゼルは息を乱しながら鹿を運ぶ。
倒したのは良いが、捨て置くのは狩人の流儀に反する。
弓で仕留めた時と違って、肉の質も落ちているだろうが食えはする。
真面に角が刺さった脇腹が強く痛む。
「こんなんじゃ、猪なんてまだまだだな」
あれは太ももに穴を開ける。
弓を使うときは、距離を取って地形を盾に一方的に攻撃して仕留めていたが、近くで戦うならそう上手くは行かないだろう。
「あっだ」
石につまづいて転んだ。
死体が肩から落ちて転がってしまう。
ちょっと心が折れた。
「……ちょっと、休憩するか」
死体を放置するのは心苦しいが、何度もこけるよりは良いだろう。
そう自分に言い訳して、座り込んだ。
地平線に沈んでいく太陽を眺めながらしみじみとしていると、林から影が現れた。
「リズ」
「……アンタ、何してるの」
「いや……座ってただけだし」
ゼルは無意識に強がった。
隣に転がる鹿とゼルの傷をみたリズは何となく察した。
一方の彼女は背中に薬草らしき植物を入れた籠を背負っていた。
「言ったでしょ。アタシ、薬師見習いだから」
ゼルは以前の別れ際のような冷たさは残っておらず、少し安心した。
リズはゼルの腹を見ると、眉を顰める。
「……はぁ。それ処置してあげるからついて来て」
「……」
ゼルがチラリと鹿の方を見ると、リズはもう一度溜め息を吐いた後、鹿の死体をヒョイと持ち上げる。
「その代わりこれは貰うけど、良いでしょ?」
「……はい」
ゼルは大人しく彼女に付いて行った。
◆
向かったのは髭のゴブリンが住む家の近く、そして村の中では比較的外に近い場所だった。
「そこで待ってて」
彼女が鹿を下ろして、家の中へ入るのを見送る。
そして、直ぐに複数の壺と水の入った器、そして布を持って来た。
「まず洗うから、服上げて」
「うん。……いっっでええええ!!」
泥が付着して汚れていた傷口を水で洗い流す。
思わず悲鳴を上げるが、容赦無く水を流す。
赤く染まった水を布で拭き上げてから、リズは壺の中から軟膏を取り出した。
それを指で一掬いしたものを傷口に塗った。
「ぐっ、〜〜〜」
今度は痛みを覚悟していたので悲鳴は漏らさない。代わりに涙目になった。
傷口が乾燥しない様に、満遍なく塗った後、その上から包帯を巻く。
「よし、できたっ」
「あっ、が、〜〜〜〜〜〜!!!!」
リズが包帯の上から傷口を平手打ちして、ゼルは油断したところに与えられた痛みに思わず海老反りになる。
「リズっ、何すんだよ!」
「内臓は傷付いて無いから大丈夫よ。…はい、これ」
ゼルの言葉をスルーしてリズが差し出したのは、先ほどゼルに塗られた軟膏が入った壺だった。
「……もらって良いのか」
「鹿のお礼よ。使うときは傷口を洗ってから塗りなさい」
何となく話をはぐらかされた気はするが、貰えるものは貰っておく。
ゼルはそれを受け取ると背を向ける。
「それと、傷が閉じたら包帯は返しに来てね」
「うん?うん」
開拓村では包帯は貴重なものなので洗って使い回しだ。
彼女はゼルに応急処置についてレクチャーを終えると、道具を片付けに家へと入って行った。
ゼルは好奇心に駆られて傷口を上から触ると、ズキズキとした痛みが走る。
「痛え…」
痛いのは当然であるが、固まりかけた瘡蓋を弄るような感覚で指先で突いていると、ローブに身を包んだ村人が現れる。
「あら、怪我ですか?」
「治癒師……」
ゼルは知り合いでは無いが、村で何度か見かけた事があったので、その人物が治癒師と呼ばれている事は知っていた。
ローブの奥から、ゴブリンとしては珍しい緑の瞳がゼルの脇腹にある傷口を眺めている。
「あぁ、可哀そうに。痛みますか?」
「いや、まあ」
我が子にでも問いかけているかのような穏やかな声色が、ゼルの警戒心を少し緩める。
「大丈夫です。直ぐに治しましょう」
彼女はゼルの傷口に向かって手を翳そうとして……リズが間に割って入る。
「母様!!」
「……リズ」
リズは厳しい表情で治癒師を咎めた。
「でも、リズ。私なら直ぐに」
「駄目」
治癒師の言葉をリズがバッサリと切り捨てる。
俯く治癒師は少し悲しそうに見える。
治癒師に関しては狩人達からは好意的な噂を耳にしたことが無かったので、金にがめついのだろうと思っていたが、そうではないのかもしれない。
「アン…ゼル。早く帰りなさい」
「あぁ、うん」
有無を言わせぬ彼女の態度にゼルは戸惑いながらも頷いた。
帰り道、ゼルは治癒師と村の関係について考えていた。
今までは何とも思っていなかったが、この村には治癒師と薬師がいる。
村の大きさを考えるとどちらか片方でも十分だろう。
そうなったのは治癒師が後からこの村に流れ着いたからだろう。
そして二人の話から、治癒師は俺の傷を治す事はできるが、それは良くない事らしい。
対価が足りないという訳では無い筈だ。リズの頑なな態度は治療行為そのものを許可できないという様子だった。
狩人に置き換えて考える。
誰よりも上手く、誰よりも早く獲物を捕らえられる狩人がこの村にいたとする。その狩人に鹿の狩猟を依頼するが、頑なな態度で断られる。
鹿を一匹狩っても森への影響は殆ど無い。なのに断る理由は何だろう。
誰に遠慮しているのだろうか。
「……薬師かあ」
棲み分けの問題だ。
後から来た治癒師が、元からいる薬師の仕事を奪ってはいけないと考えたのだろう。
リズがそう思ったのか、村のゴブリンに諭されたのかは分からないが、そういう理由なら納得がいった。
逆に薬では治せない重傷か、間に合わないようなコブラマンティスの毒などは治癒師が施術するのだろう。
狩人からあまり好意的に見られていないのは、治せるはずの傷を治さないからなのかもしれない。
仕方ない事ではあるが、未だ治癒師の施術を見たことのなかったゼルは期待通りの展開にならなくて少し残念に思っていた。
◆
その日は葬儀が行われた。
森で一人のゴブリンが狩りの際の不慮の事故で死んだらしい。
日々魔物に晒される開拓村では珍しいことでは無い。
人数が少ないこの村においては大抵の者が顔見知りだ。
この日弔われるゴブリンも、ゼルに狩猟の技術を授けたゴブリンの一人だった。そのせいでゼルの顔色もいつもより暗い。
祭壇の上には物言わぬ骸となった狩人が横になっている。
神殿に集まったゴブリン達の前で、普段よりも荘厳な衣装を纏った神官が告げる。
「それでは、遺言の開示を行う」
その言葉と共に一人のゴブリンが群衆の中から進み出てくる。
彼女は今から弔われる狩人の妻だ。
彼女は手に持った木簡を神官へと手渡す。
神官は木簡を指の腹でなぞると、その上に記された文を読み上げる。
「『我が身、ガグワの全ては、ククジラスへと継承する事を願う』」
村人達がざわつく。
「子供がいないとはいえ…」「話しているところすら見た事ないぞ」「私は見た事あるわよ」「ああ、一緒に酒場にいるところを見た!」「村の未来を考えてのことだろう」「全くもって当然だな」「さすがガグワ。賢明ね」「…いや」「そもそも…」
「口を閉じなさい。儀式の場です」
神官が冷徹に群衆を咎める。
そうして呼吸の音すら響くほどに静かになった頃、神官が血石の髑髏を掲げる。
「『捧げよ、さすれば与えられん』」
黒い渦の中にゴブリンの骸が取り込まれる。
そして渦が小さくなり、後には紫の肉の塊が祭壇に残った。
神官はそれを両手で丁寧に持ち上げる。
「継承者、ククジラス。前へ」
名前を呼ばれたゴブリンが群衆を抜けて神官の前に出る。
彼は神官の前に跪き、両手を掲げる。
「旅立つ者、ガグワの力を継ぎ、遺志を繋ぐと誓うか?」
「我が拳に懸けて」
ククジラスの手に置かれた肉の塊を、彼は呑み込んだ。
◆
「また金かよ」
「そう言うなよ、稼ぎ頭がいなくなるんだ」
神殿から出たゼルはゴディスに愚痴った。
今日葬儀が行われたゴブリンは明らかにククジラスとの繋がりは無かったにも関わらず、継承者には不自然にククジラスとなった。
ゼルはどうせまた金で買い取ったのだと吐き捨てる。
狩人長を解任されただの狩人となったゴディスにはその理由も何となく察した。
未亡人となったゴブリン。それも手に職の無い者だ。
彼女が自力で生きるのはかなり難しい。
しかし蓄えがあれば、その間に自分の食い扶持を稼ぐ方法か、新たなパートナーでも見つかる可能性はある。
「死んだ後はただの肉だ。生きてるやつが好きなように使えばいい。俺はそう思うけどなあ」
狩人として長いゴディスはしみじみと溢した。
生と死を何度も見てきた彼にとっては、生きるための選択を否定する事は出来なかった。
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