第7話 リズ
「アンタ、何してるの?」
ゼルが髭のゴブリンの家に入ろうとした時、一人のメスゴブリンがそれを咎めた。強気な瞳がゼルを射抜く。
「……いや、俺は」
「……うん?アンタ、あの人間といつも一緒にいた奴でしょ」
「ちがっ、俺は!」
何も違わないが、それでもまるでゼルが人間の仲間のような言い方は見逃せなかった。
「あぁ、ハイハイ。どうでも良いから」
「うん?そ、そうか……」
本当に気にしていない彼女の言い方に、ゼルの調子が崩される。
「あんたこそ、何しに来たんだ」
「アタシ?アタシはここの人に食事を届けに来たのよ。それで?」
アンタは?と女は疑問を続けた。
見れば確かに彼女が持つカゴにはパンや果物が入っている。
「えっと、俺は…」
そのまま続けようとしたゼルは、いざ自分の思いを言葉にしようとすると思考が纏まらずに戸惑う。
そもそも、あの光景を見てしまったことをこの人に言ってしまって良いのかと言う猜疑心も浮かんでくる。
彼女が髭のゴブリンのことをどの程度知っているのかもわからない。
「俺は…」
「……長くなりそうね。とりあえず入りましょ」
家主に言わずに勝手に入って良いのだろうか、とゼルは思ったが後から聞いた話ではそこの持ち主は彼女の親なので気にする必要は無かったらしい。
◆
家の中は思ったより整然としていて、剣どころか家具も殆ど無かった。
あるのは寝床と食べるためのテーブル。
度々彼女が掃除しているのか、汚れているようにも見えなかった。
「アタシはリズ。薬師見習いのリズ。アンタは?」
彼女はまず自己紹介から入ることにした。
「俺はゼル。狩人、をしてる」
どもったのは彼が大人では無いからだ。
狩人というのは男の職業である以上に大人の職業だ。狩人として他の大人達との酒に付き合うのも仕事であるため、それが満足にできない自分が果たして狩人と言えるのか疑問に思った。
しかし、動物を狩って生活をしているので、狩人以外の何ものでも無い。早く軍に入って兵士を名乗りたい。そう思った。
ゼルはお茶を淹れているリズを座ったまま見上げる。
他の女性よりも、スラリと身長が高くそれでいて出るところは出て引っ込むところは引っ込む均整の取れたバランスに少しドキドキする。
あと、なんか良い匂いがする。
歳は成人しているだろうこと以外は分からないが、結構上だとゼルは予想している。
「で、結局何しに来たの?」
「……その前に、リズと爺さ…あの人はどういう関係、なんだ?」
先にそれを知りたかった。
ゼルが見たものが彼女にとって都合が良いのか悪いのか。
「う〜ん」
彼女はその質問に思った以上に戸惑っている。
「アタシが時々ここにご飯持ってきたり、掃除したり。世話してる、関係?」
最後の疑問は彼女もその表現がしっくりこないからだろう。
しかし、それ以上に上手く表現出来ないのだ。
そこでゼルは髭のゴブリンを連れてきた存在を思い出した。
「もしかして、リズが治癒師か?」
「いや、治癒師はアタシのか……、アタシを産んだ人だよ」
「うん?母親って事か?」
「そう、それ」
違和感のある物言いだが、取り敢えず関係性は掴めた。
「じゃあ、あの人が元々何をしてたかは知ってるんだよな?」
「……そうよ」
ゼルの石橋を叩くような態度の理由をリズは訝しむ。
そして、最近起こった大きな事件を思い起こしてその理由に思い至った。
「もしかして、ニンゲンが来た時、神殿で何があったか見た?」
「え!っっっっと、いや。うーん、神殿?って何だ」
「……そういうことね」
ゼル渾身の誤魔化しは酸いも甘いも知り尽くした大人の女性には通じなかった。
ゼルは弁明しようと振り上げていた掌を机の上に落ろして、それを見つめる。
そして、本音を零す。
「俺……強くなりたいんだ」
彼の父は森で死んだ。
狩人仲間の話では、森の魔物にやられたらしい。
開拓村では珍しく無い出来事だった。
「爺さんを見て思ったんだ。強い、って。他の狩人とは違うって」
それは戦争での強さと、狩猟での強さという質の違いが生む差だとか、そういう説明が出来そうだが彼はそれでは納得しないだろう。
「俺もこうなりたいと思ったんだ」
「あっそう。じゃあ戦争でも行けば良いんじゃない?」
リズは急に彼を突き放すような態度をとる。
「なんで、そんな風に言うんだ!」
「戦争に行けば嫌でも強くなれるわよ。強くなれなかったら死ぬだけだし」
実際強くなれるのは本当だが、それは極論過ぎた。
彼女の態度が変化した事にゼルが戸惑っていると、家の扉が開いた。
「……ぁ」
「爺さん」
「じゃ、アタシ帰るから」
入ってきた髭のゴブリンと入れ違いにリズが家から出ていく。その前に一度こちらを振り返る。
「あと、その人『爺さん』って歳じゃ無いからね」
バタン、と強く扉が閉じられる。
ガタ、と髭のゴブリンが椅子に着く。ちょうど先程リズが座っていた椅子だ。ゼルは彼と向かい合わせになった。
「爺さん」
「ぅー」
「じゃ、無いのか」
髭で半分しか見えない顔を見つめる。
落ち着きのない態度と、焦点の合わない瞳。
「爺さん。俺に戦い方を教えてくれ」
そのまましばらくぼうっとゼルの方を見ていたかと思えば。
「……ぉ」
何かを見つけたように横を向いて立ち上がる。
彼は家を出た。
「待ってくれよ!」
ゼルもその影を追って扉を開いた。
「Brrrrrrrrr!!」
彼は森をフラフラと歩んでいったかと思うと直ぐに猪に遭遇した。
既に向こうは髭のゴブリンを見据えている。
そして、牙を前に突進してきた。
「危なっ…」
彼は流れに逆らわないように猪に突き上げられながらも上手く牙を避ける。
そして同時に突き込まれた手刀が猪の視界を削ぐ。
「Brr!?」
急に暗くなった視界に戸惑って暴れる猪の上に、ゴブリンが体重を乗せた肘を眉間に突き込んだ。
「B」
めり込んだ肘が猪の意識を絶った。
「……ぉ…」
そして、よろよろと自身の家へと帰っていく髭のゴブリン。
「じ、爺さん。これどうすんだよ?」
「……ぁ…」
ゼルは瀕死の猪を指差しながら、その処遇を問う。
対するゴブリンはゼルの言葉が聞こえていないかのようにそのまま家へと入っていった。
ゼルが頼み込んだ直後に猪を目の前で仕留めた。これはゼルに戦い方を教えてくれるという事で良いのだろうか。
彼が反応を殆ど返してくれないので、ゼルにはどう捉えたら良いか分からない。
「見て盗めってことか」
そんな街の職人みたいな感じなのだろうか。
戦争において技術は生と直結する。それを不用意に教えることは自分の死につながる。
つまり、彼もそうやって戦争の中で見て覚えたものなのかもしれないとゼルは思う事にした。
実際にはたまたま猪を狩ったところに偶然ゼルがいただけだ。
いずれにしろ、彼を付け回す生活は変わりそうにないので、ゼルは自分に都合が良い方に捉える事にした。
「うっし、明日から頑張るぞ」
彼はついでに猪を村へと持って帰る事にした。
どちらにせよ儀式は受けられないが、生活の足しにはなる。
そして、彼の戦果を持って帰ることを心の中で詫びた。
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