第6話
髭のゴブリンが去った後、拘束を抜け出して視界を取り戻したゴブリン達は神殿内部に転がる人間達の死体を前にただ困惑していた。
結局ゼルの母は無事だった。
瀕死ではあったものの、治癒師による施術のおかげで一命を取り留めた。今は元気に台所に立っている。
村のゴブリンは一人残らず無事だった。
おそらく彼らの目的が生きたゴブリンだっただろうことが理由だろう。
ゼルの復讐は今度こそ、無へと還った。
ゼルの意識は人間達を屠ったあのゴブリンへと向かうようになった。
あの時の光景を見ていたのはゼルだけで、他のゴブリンは気絶していたか、人間達の悲鳴だけしか聞いていないので、真実は彼しか知らないのだ。
戦争帰りの狂人がその身一つで彼らを圧倒したなどと言おうものならば、鼻で笑われるか、上手く信じてもらえたとしても髭のゴブリンに対する恐怖を煽ることになってしまう。それ程にショッキングな光景だったのだから仕方が無い。
彼の居場所を無くさないためにも、沈黙することをゼルは決めた。
彼の唯一の仲間となったゴラトンに話したい欲求に駆られたが、彼の性質はなんとなく理解している。話した内容の方を忘れてくれればまだ良いが、口止めしたことを忘れていれば致命的なので彼に秘密は打ち明け無いようにしている。
村は以前までと変わらない平凡を取り戻しつつあった。
しかし、あれから変わったこともある。
「うらぎりもの!!」
「いって……」
ゼルが頭を押さえながら、石を投げた犯人を睨み返す。
そんな彼を、彼よりも幼いゴブリンが罵倒する。
「おまえがニンゲンをこの村に入れたんだ!!バチがあたれ」
若干怪しい幼ゴブリンの言葉遣いを気にしないようにしながら、ゼルはどう弁明したものかと口を開く。
「あー…」
「この村からでていけ」
ゼルは口を引き結ぶ。
「今すぐにでも出て行ってやる、って前なら言えたんだけどな」
今の彼にはここに留まりたい理由があった。
脳裏に一体のゴブリンの戦いが蘇る。
心を染め上げた復讐、それが消えた今、彼の心に残ったのはあの後ろ姿だった。
また、あれを見たいという衝動に突き動かされていた。
「確かに、俺はアレが人間だってことに気づかなかった馬鹿野郎だ」
「?」
「……だけどな、それを言うなら俺と同じように抜け道教えた大半の狩人共も俺と同じ位馬鹿だってことになるぜ?」
努めて悪そうにゼルは笑った。
「おとうさんはおまえなんかとはちがう!」
「ハハ、だったら聞いてみれば良いだろ。『おとうさんはあのニンゲンに村の秘密を教えるようなバカな事はしてないだろ?』って。今度会ったら何て答えたか言ってくれよ」
ゼルは笑いながら手を振ってその場を去っていった。今度は背後から石を投げることは無かった。
どうせ何を言ったって彼らはゼルの言葉を聞かないのだ。
だからゼルは捻くれることにした。幸い村の狩人の殆どは、あのニンゲンに何らかの秘密を打ち明けてしまっていた共犯者だった。
責任を取らされてゴディスは狩人長をやめさせられてしまい、後任のゴブリンはゼルに対して好意的では無い。
そのためゼルへと儀式の番が回ってくる事は無くなった。
以前のゼルならば、悔し涙を流していただろう。
仲間の絆を壊され、村には居場所が無い。
いよいよククジラスは儀式の権限を持つ三つの役割を掌握した。
彼はいよいよ追い詰められつつある。
だが、そんな事よりも…。
◆
ゼルは、茂みの中からそこを観察していた。
殆ど森の中と言える場所に建てられた小屋。
小屋の側にある丸太にそのゴブリンが腰を下ろしていた。
虚な瞳、開いたままの口、伸びっぱなしの白い髭。
ゼルが爺さんと呼んでいた、あのゴブリンだ。
「…ぁ」
そして彼はいつも、呻くような、意味のない呟きを漏らしている。
ゼルは彼のことを観察するようになった。
おそらく戦争帰りである彼は、心を病んで元いた村を追い出されてしまい、その過程で治癒師と共にここへ来たのだと聞いた。
彼のことを詳しく知りたいなら治癒師に聞くのが良い。
しかし、彼、あるいは彼女はあまり姿を見せたがらないらしい。そこもゼルは気になった。そして彼女達に住む場所を当てがったのは村長の采配。おそらく自分たちの治療をしてもらうためだろう。
ここ一週間ほど彼を観察した結果から言うと、彼は耄碌した老人にしか見えなかった。
朝起きて、切り株に座ってぼうっと森を見ている。
飽きないのかと思うほど森を見て、太陽が真上に上がった頃に森や村を徘徊する事もあれば、そのままぼうっと切り株に座って日が暮れるまで森を見ていることもある。
時折視線を下に落としたかと思えば、虫が飛んでいた、とかそんなのばっかりだった。
だが、きっとただの老人ではない部分がある筈……。
そう思いながら観察を続けていると、彼が切り株を立って森の中へ入っていった。
また徘徊か……そう思いながら、ついて行こうとしてふと気付いた。
小屋の中はどうなっているだろう、と。
好奇心がムクリと湧き上がる。
もしかすると、彼の使っていた剣などがあるかもしれない。
彼の戦いからして何らかの武器が隠されていることは想像に難くない。時に剣は身分証にもなる、というから彼が元々軍に居た時にどのような立場だったかわかるかもしれない。
ゼルの予想では、彼は
そして、彼が好奇心に負けて扉に手を掛けた時。
「アンタ、何してるの?」
背後からの声が彼を咎めた。
◆
誰もいない森の中に、黒く炭化した物体が転がっている。
それは元々ニンゲンであった残骸だ。
開拓村を襲ったニンゲン達はその全てが死体から剣や鎧をはぎ取られ、アンデッド化しないように残った体を焼かれ、森へと転がされていた。
あとはそのまま朽ちていくだけと思われる骸の前に一人の小柄な人物が立っている。
「——『
呪文と共に残骸に光が灯る。
その人物はローブを深く被りなおすとゴブリンの村へ向かって森の方へと消えていった。
光はやがて、炭を集めて人の形を為して行く。
そして彼らは目を覚ました。
「はっ、あれ?俺は死んだ、よな?」
ゴブリンの村を襲ったニンゲンは自分が裸である事を気にする余裕もないほどに疑問に埋め尽くされる。
隣りを見れば、見覚えのある仲間達の姿。
そこで初めて彼は自分が一糸纏わぬ裸体であることに気付いた。
それよりも先に仲間を揺すって起こす。
「おい、起きろ!ランドリク」
「うぅん……はっ。どこだ、ここは?」
「わからん。多分、ゴブリンの村の近くの森の中だ。俺たちは助かったのか?」
「いや、お前はどう見ても死んでいた。首が体から飛んで無事など、白魔術を持ってしてもあり得ない。ただ一つの例外を除いて」
「まさか、『情愛』の?」
「だろうな」
それは現在劣勢である聖国が喉から手が出るほどに欲しがっている存在だ。もし手に入れれば戦争の結果は覆る事になるだろう。
代々現れる『情愛』の聖女はその殆どが圧倒的な蘇生の能力を持っていた。
それならば復活も可能だと、ランドリクは思い至った。
「つまり、あの村に聖女様が囚われているという事か……。ならば今度は奪還するのか?」
「いや、無理だ。またアレが現れる」
ランドリクは気違いのゴブリンを思い浮かべた。
どこを見ているかわからない癖にその体裁きは正確無比だった。
魔法で攻めれば行けるかもしれないとは思うが、今はこの情報を本国に持ち帰ることが重要だと考えていた。
「この情報こそが、千金に値する。まずは一度帰るしかない。例え敗北者の誹りを受けるとしても、だ。責任は俺が取る」
「誰もお前だけを差し出すような真似はしねえよ。……それよりも先にこれを何とかしないとなあ」
「……あぁ」
彼らは肌色を晒す男共の死屍累累を前に、茫然として呟いた。
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『情愛』の聖女現る!!
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