第八章 開拓村編
第1話 プロローグ
森の中、一匹の鹿が草の芽を食んでいた。
どうやらここの木々は若いらしく、鹿にとってはそれもまた美味だった。贅沢にも草の芽を少しだけ齧り、今度は木の皮を剥いで齧り、また思い出したように草の芽を少しだけ齧る、なんとも贅沢な食べ方をしていた。
その様子を草の影から見つめる三匹の魔物がいた。
身長は1メートルを超える程度、緑の身体、腹が出ていて醜い顔をもつ、この大陸では害獣扱いされていた魔物、ゴブリンだ。
全員が麻でできた衣服に身を包み、弓を手にしていた。
残りの一匹も弓に矢を添えながら冷静に鹿を観察している。
リーダーらしきゴブリンが弓を放つと、残りのゴブリンも同じように弓を構えて放つ。
放たれた三本の矢の内二本が、鹿の尻を射抜いた
「よし、行け!!」
リーダーは高揚しながら叫ぶ。
ゴブリンに気づいた鹿は既に足を引きずりながらも逃げようとしている。
彼らはナイフを片手に素早く近寄り、首へ向かってそれを刺す。
鹿は彼らに向かって最後の抵抗と言わんばかりに足を叩きつけようとしてくる。
それを押さえつけて何度も体を刺すと、動きが鈍っていく。
「キューーン!」
鹿は断末魔の叫びを上げて、息を引き取った。
それを見て三匹のゴブリンは跳ね回って喜ぶ。
「よっしゃぁ!!!」
彼らの中心にいるゴブリンのリーダー……ゼルは拳を突き上げて喜んだ。
◆
「なあ、ゼル。今回は誰が食うことにするぅ?」
「前がゴラトンで、その前がゲズリスだったから……順番的に今回は俺だな」
「僕はどっちでも良いよ、ゼルでもゴラトンでもさ」
「でも前のおれの番の時はウサギだったしさぁ。前の前の番の時もちっさい虫だったじゃんかぁ」
「ばっか、お前。その時、死にかけただろ?だから、順番早めて譲ってやったのに…」
ヤイヤイとゼルとゴラトンが言い合いをしながら、村の中心の神殿へと鹿を持って行く。彼らは力を得るために、依代へと死骸を捧げる手続きを済ませようとする。
神殿と言っても首都にあるものとは異なり、ただの石造りの屋敷のようなものだ。
村長の家よりも大きいが、これはいざという時の避難場所でもあるから当然だろう。
神殿は開拓村において一番最初に建てられる建造物だ。
初期には人々はここで暮らし、魔物から身を守る砦となり、村が広がった後には大人達の集会所となる。そして昼間はこうして依代へと捧げ物をする場所となっている。
3人のリーダーのゼルは儀式の采配を行っている、狩人達の長の男へと話しかける。
「ゴディス、鹿を取ってきたぞ!!今日の儀式の枠、まだ余ってるか?」
「ゴディスさんだろ、クソガキめ。……はぁ、生憎今日の分は売り切れだ」
「はぁ!!ここんとこ毎日だぜ!?今日は誰だよ?」
「……」
ゴディスが顎で祭壇の方を示す。
その前には村の中でも非力な少年が、猪の乗った祭壇の前に立っている。まだゴブリンとしては成長しきっていないゼルよりも未熟でとても猪を仕留められるようには見えなかった。
「俺、肉玉は殺した奴じゃないとダメって聞いてたんだけど……」
「まぁ、だろうなあ」
「…『捧げよ、さすれば与えられん』」
祭壇の前に立った神官が呪文を唱え、猪の死体が黒い渦へと消えていく。後には小さな肉の玉が残った。神官がそれを少年の手の上に乗せる。
「だろうなぁ、で俺、納得できねぇよ」
「だがなぁ、申請はなるべく弱い者が優先されるのが原則だ……。あからさまに逆らったら俺の首が飛んじまう」
「っくそ」
肉の玉を手にとった少年が神殿を出ると、体格の良いゴブリン達が笑顔を浮かべながら彼を囲む。
彼らはこの村の村長の息子とその取り巻き達だ。
「ご苦労さん」
「……はい」
彼は肉の玉を少年から取り上げると、代わりに香貨を一枚落とす。
これは一枚でも村の中ではそれなりの価値がある貨幣だ。
数日は宿に泊まることが出来る。
神官の手元にあった依代の色が目に見えて分かるほどにくすんだ。
開拓村に支給される依代は育っていない新しい依代なので、力が弱く、日に使える回数が決まっている。
村長の息子達はその枠を端金で融通させて依代の恩恵を独占していた。限り無くグレーな行為。しかし、村長の息子、という立場と開拓村という中央から離れた環境にあることが、神殿の神官、村長、狩人長という三竦みで成立する平等を腐敗させていた。
「そう腐るなよ。明日の分は既にお前らで取ってあるからな」
「今度こそ頼むぜ……ゴディス」
「ゴディスさんな。その鹿は村で買い取るが、良いな?」
「じゃあ胸だけ俺たちにくれよ。母ちゃんにシチュー作って貰うぜ」
ゼルが二人の仲間に目線をやると、頷いて返した。
ゼルの母親の作る、じっくりと煮込んだスープは彼らの好物だった。
「お子ちゃまめ。……銀貨三枚だな。本当は三枚より少ないが、おまけだ。済まんな、迷惑をかける」
「ほんとだぜ。早くどうにかしてくれよ」
今年成人を迎えた村長の息子は、どうやら国の軍へ自身を売り込むために力を付けようと依代を独占しているらしい。
ゼルはまだ成人まで二年時間があるとはいえ、それに成長の機会を奪われることに鬱憤が溜まっていた。
「そういえば、狩りの時にまた爺さんが森を徘徊してたぞ。危ないから注意したけど、聞こえちゃいねぇ」
「俺も危ねぇとは思うけど、治癒師の奴が好きにさせろって言うからなぁ」
「世話になってるのは分かっけど、無視して怪我をするのは向こうだからな!本当に知らないからな」
「お子ちゃんめ……心配が隠し切れてねえよ」
ゼルが言ったのは村の外れ、ほぼ森に入ったところの家に住んでいるゴブリンの事だ。じっとしていれば良いのに、村や森を歩いてぼうっとしている所をよく見るのだ。
流石のゼルでも心配になる。
「大征伐に出た人の中にはああいう風に病むのが多かったからな。何もしてこない分、数倍マシだな。中には村中皆殺しにして自殺したのもいたって言うからなぁ」
「……それ、大丈夫なのか?」
それは俗に戦争神経症と呼ばれる心の疾患だった。
精神どころか肉体の病気についても見識の薄いこの国においては重い病であった。
「まあ、俺が見てる限り数年は問題を起こしてない訳だからな。何かあったら俺に言えよ。老いたとは言え戦争上がりだから、お前じゃ相手にならんからな」
「……わかったよ」
子供扱いをされ、ゼルは少し拗ねたように頷いた。
ゴディスは微笑ましい表情と共に彼を見送った。
◆
「っし!今日は猪を狩るぞ!」
「おっけー!!骨は川に流せば良いな」
「わかった、帰るね」
「って、帰るな!!」
彼らは今日も今までと同じくワイワイと騒ぎながら森へ入って行く。
森へ入るにしては酷く油断しているように見えるが、この森には彼ら以外にも優秀な狩人が足を踏み入れている。
強力な魔物が現れた場合は直ぐに村にそのことが伝わるようになっている上に、彼らも一応狩人の訓練を施されたゴブリンである。
逃げる位は出来るだろう。
「ねぇ、あれ。誰か溺れてない?」
「んあ」
ゲズリスが沢の方を指差す、岸辺に誰かが倒れていた。
体格はかなり大きいが、肌は緑色。明らかに
彼らは直ぐに近寄り、その肩を叩く。
「おい、あんた!大丈夫か!?」
「っあ……ぁ…ぁ」
男の反応は浅い。
上流から流れてきたのだろうか。
服は乾いている、かなり長い時間ここで倒れていたようだ。
「おい、運ぶぞ」
「おう」「わかった」
彼らは狩りを切り上げて、体を担ぎ上げて、村へと運んだ。
◆
「っここは!!」
「あんた、無理して起きるんじゃない」
ゼル達に担ぎ込まれた男が起きると、そこは宿だった。
宿の主人の女が彼を見つけた時の状況を説明する。
「アンタ、川の近くで倒れてた所をそこの坊主らに拾ってもらったんだ。感謝しときな」
「あ、あぁ、そうか君たちが……ありがとう」
「見つけた時は死んでるかと思ったぜ。じゃあ、元気そうだから俺たちは狩りに行ってくる」
「お礼は必ずする」
「待ってるぜ」
そう言ってゼルは部屋の扉を強く閉めた。ドタドタと床を蹴る音が遠ざかっていった。
男は女主人へと顔を向ける。
「……それでここは?」
男は戸惑ったように尋ねる。
「ゴゴ氏族下の開拓村、その宿屋だよ。主人は私さ」
「ゴゴ……氏族?」
「おいおい、そこからかい?アンタ、どこから来たんだい?」
「俺は…」
そうして彼はしばらく考えた後に、怪訝な表情を浮かべる。
「あれ…おかしい、俺は…どこから来たんだ?」
「あたしに聞かれても知らないよ。……記憶が無いみたいだね。流石に名前も覚えてないなんてことはないだろうね?」
「名前は……覚えてる」
彼は何度も頷いた後、確かめるように呟いた。
「俺の名前は……そう……確か…」
「ゴトー」
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