最後の一人 前編

フィーネの物語(1/3)

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『ふむ、珍しいな、金髪のバンシーか。これは高く売れる』


 目の前には、男がいた。その声には僅かに喜色が含まれていた。

 周囲には墓標が建っていた。

 まだその時は、それを墓と呼ぶことさえ知らなかった。


 わたしは、『声』を使っていつもの様に追い払おうとするが、男には通じない。

 耳に何かが詰まっている。

 そう認識した時には、わたしの意識は途絶えていた。



『処理は施しました。これで、魔法は使えないでしょう』

『おぉ、毎度有り難いです。では、好きな者を持っていって下さい』

『では、が良いのだが』

『…誠に申し訳ないのですが、こちらは既にとある方から予約があるのです』


 声に温度の無い男と、逆にねっとりとした喜色悪い声の奴隷商が会話している。

『声』を使おうとするが、喉が微塵も動かなくなっている。


 喉を引っ掻くがそこには傷痕一つ無い。


 その場で暴れるが、すぐに殴られ、黙らせられる。


 自分の何かを奪われたことに対する怒りと暴力への恐怖がわたしを支配した。



『お、き、て』


 次に意識が戻ると、光の入らない牢の中だった。

 わたしに声をかけた者が誰であるのかは、すぐに分かった。


『な、か、ま』


 彼女は自分を指差しながら、わたしに教え込む。

 その時のわたしは、言葉を理解してはいなかったが、その声から伝わる慈しみがわたしを慰めた。



『だい、じょ、う、ぶ』


 彼女は黒髪だったが、わたしと同じく紅色の瞳をしていた。

 彼女はわたしよりも長くそこに居るらしく、他の少女達からも頼られていた。


 わたしの髪を撫でる時の、柔らかな手付きが嬉しかった。


 時々、丸々と太ったニンゲンが私達の居るところにやって来る。


 わたしは他の少女が『ご主人様』と呼ぶ男の指示に従って、服を脱いだり、背中を見せたりするのを真似して言う通りにしていた。


 嫌らしくわたし達の体を見つめる男の目は、肌を虫が這うように気持ちが悪かったが、もし逆らえばこの牢の全員が鞭を与えられる。

 しかたなく従った。



『ぃ、や』


 彼女が牢を出ることになった。どうやら、前の男が彼女を気に入ったらしい。


 わたしは彼女の腰にしがみ付き、涙を流しながら訴えた。

 彼女は仕方なさそうに笑って、わたしを撫でた。

 わたしの涙を指で優しく拭い、目を合わせて言った。


『ま、た、ね』



 わたしは、彼女に会うためにどうすれば良いのか考えた。

 時々『ご主人様』と共に入って来る男。その中でも彼女を連れて行った者に気に入られれば良いのだと。


 あの男が気に入る言動をすれば良いのだ。

 視線を観察しながら、しなを作り、そうでいながら媚び過ぎず、誘導する。

 自分でも酷く不格好だと思ったのだが、男は逆に気に入ったらしい。


 数度目の訪問で、わたしは男に買われることとなった。


 男に飼われることに対する不安はあったが、あそこに留まってもいずれは不潔な環境へと売られることになるのは明白だった。現に数人はそうなったのだ。


『今日からキミはボクのものだからねぇ』


 そう言って笑う男が、酷く耳障りだったがわたしは彼女に会う事が出来る嬉しさで気にはならなかった。



『あなたの最初に仕事は掃除です』


 その男のメイドがわたしの前にバケツと掃除用具を渡す。

 何を掃除しろと言うのだろうか、わたしは彼女に会いたいのだ。


 連れて行かれたのは貴族の部屋にしては酷く無骨な一室。


 ここで何をしていたのだろう。と、疑問を覚える暇もなかった。



『あ、あ、ぁ、ああ』


 結果から言えばわたしは彼女と再会した。


 尊厳を散らされ、体を弄くり回され、力加減を知らない子供に弄ばれたぬいぐるみのように彼女は


 引きちぎられた紐のような物、焼かれた皮膚の一部、その中に打ち捨てられるようにして、彼女が転がっていた。


 優しい瞳は虚を写し、白い肌は火傷で爛れ、美しい黒髪は半分が失われていた。



 命令違反を検知した首輪がわたしの首をギリギリと締める。



 わたしは耐えられず、彼女を集めバケツに入れていった。



 小さいバケツに収まった彼女は、そのまま焼却炉に投げ入れられた。


 首輪をつけられたわたしは逆らう事も出来ずに淡々と従うしか無かった。

 心は熱を訴えるがわたしには力が無かった。


 全てを覆す力が欲しい。


 そう言えば、わたしを捕まえた男は剣を持っていた。


 それを使おう。


 わたしは小さいが、人間は首を斬られれば死ぬそうだから。



 剣は直ぐに見つけた。

 彼女が居た部屋の壁に飾られていた。


 命令によってわたしは、主人の意向に逆らう行動を取ると首が締まり死ぬ。

 主人が死んでも死ぬ。

 さらに男には一人の護衛の存在があった。


 だから、一撃で殺す必要があった。



 だから、観た。


 男の脂肪に包まれた首を、どの角度で、どの程度の力で切れば一振りで命を絶てるか。

 どう力を入れれば早く、より早く、を殺せるか。


 剣を見つめ、その重さを想像する。

 手触り、握った時の摩擦、切った時の感触、表面の傷、硬さ、目に見えないほどのたわみ。全て。


 気づくと、見えない剣が掌に握られているのが分かった。


 それで物を切ると、結果が世界とブレて現れるようになった。

 土を切れば傷が残り、格子を切れば弾かれる。


 まだ、足りない。


 もう一度、格子を切る。弾かれるが僅かに残っていた。

 力一杯切る。傷は大きくなったが、今度は剣がダメになる。


 手の中に剣を作り直す。


 今度は真っ直ぐ振る。弾かれるが先程より傷も大きく、刃も少しか欠けていない。


 真っ直ぐ速く斬る。今回はブレた。

 真っ直ぐ速く斬る。体が泳いだ。これではダメだ。


 頭の中に、映し出した世界の中で、何百万もの試行と思考を繰り返す。


 自身の体格では、振り下ろしは十分な速度が加えられない、腰だめの姿勢から斬撃を繰り出すようになった。


 格子の一本が半ばまで剣が入り込んだ。



 男が荒い息で自身を凌辱している間も、想像の自分は男を相手に剣を研ぎ澄ます作業を続けた。男の声が酷く心を波立たせる。


 わたしの手で首を絞めて殺すことが出来たら…。

 

 頸椎を切る幻触が手の中に残って離れなくなった。



 1秒を百も千も万も分割した僅かな時間の調整を繰り返し、最低限の力で、最速の一刀を。



 やがて人を見ていると、その輪郭がブレて見えるようになった。


 ブレた残像を全て殺す事ができれば、それは殺せるということ。


 最も残像が多い人間は男の護衛だった。


 上手く行けば、一撃で殺せるが、避けられれば残った残像がわたしを殺す。

 剣を持って近づくだけで男は警戒し、残像は逃げる。


 如何にして男の懐に入り込むか、考えるようになった。

 

 牢の中でじっと座りながら、わたしの頭では複数の自分が歩法の探索を続けた。

 上手く行ったものを集め、頭の中で考察を重ねる。


 相手の視線から逃れ、近づき、横薙ぎの一撃。

 これが最も効果が高いことに気づいた。



 では、これをさらに練り上げよう。


 相手を護衛の男に固定し、最適な動作を模索する。


 わたしの視線は全体を俯瞰する。相手が読みづらく、わたしはより多くを観ることができる。これまでと同じだ。


 自身の動作の癖を消していく。

 走り出す瞬間、剣を振る瞬間。

 零から百へと切り替える時間を少しずつ短くしていく。


 やがて、零とは言わないが限りなくそれに近い拍子で動作できるようになった。


 

 前動作を消したことで、歩法は及第点まで練り上げた。

 わたしが眼前に近付くまで護衛は気付くことは無いだろう。


 そして、斬撃は既に、ここで目に映る全てを等しく分つ事ができると確信できるまで精度を高めた。


 ただ、速く、疾く、捷く、鋭く、刃を研ぎ続けた。





 男が楽しむために、わたしの拘束を解かせた瞬間、行動を起こすことにした。

 壁からサーベルを取る。


 その時初めて剣を握った。

 これまで握っていた物に重なり、違和感無く幻触は感触に置き換わる。

 

 思考の中で、護衛を一刀で殺す景色が浮かぶ。


 そして、まるでそれがあるべき形かのように、全ての残像は一塊りになり、護衛の首は体から離れ、地面に転がる。


 残るは仇の男だけだ。先程と同じように男の眼前に迫る。


 男がそれに気付くときには既に、その頸椎は断たれていた。

 男の首が転がる。


 想像の中で何万と繰り返した感触に懐かしさすら覚え、同時に静かな達成感に浸っていた。




 首輪が締まる。

 わたしは、このまま死ぬのだろうか。


 脂ぎったこの男を殺すだけで自分は満足できるか。

 それは、無理だろう。


 

 わたしは、賭けに出ることにした。

 

 剣を振り上げる。ただし、回転に全ての力を注ぐ。


 剣の軌道上に首を置く。


 斬り過ぎれば首は断たれ、斬り過ぎなければ締まって死ぬ。




 そして、投げられたコインは裏でも表でもなく、地面に立つことを選んだ。


 つまり、刃はわたしを傷付けず、首輪だけを切断した。

 


 わたしは、牢獄のようなその部屋を出た。



 そこから先は簡単だった。

 護衛より強い人間は居らず、剣を持つ人間は目を瞑っていても殺せる。


 彼女を虐げた人間も、無視した人間も、傍観した人間も全て首を斬り落とした。

 屋敷に人の姿が消えた頃、わたしはそこを去ることにした。

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