第47話 鬼擬き、神擬き、共に死にさらばえば
「鬼擬き、今、何を喚びおった?」
『葬魔』の聖女は眼前の存在に問いかける。
ゴブリンが祝詞を唱えた瞬間、彼を黒い渦が包んだ。
彼女がその奥を見透そうとした瞬間、何かと目が合った。
息が詰まりそうなほど重苦しい気配を纏う外法の神。
その視線が彼女を射殺した。
久方ぶりに感じた死の気配に思わず言葉が漏れたが、直ぐに黒い渦が消える。
後には五体満足のゴブリンの姿だけが残っていた。
普通の人からは彼が何の変哲も無いゴブリンに見えるだろう。しかし特別な瞳を持つ『葬魔』の聖女にはそれは酷く歪な存在に見えた。
「ますます醜い魄へと堕ちたか」
彼女の瞳にはゴトーの体と歪に人型が融合しているように見える。
目も口も腕も足も全てが二人分。そんな化け物がゴトーと重なって見えるのだ。
彼女がこれまで見てきたどの
「哀れだ。疾く、失せよ」
「——『
世界のあらゆる物質を無へと還す、神の手が彼女の眼前を撫でる。
神に最も近い彼女の権能がゴトー一人に向けて振るわれる。
透明の波動が地面を削りとりながらゴトーに迫る。
それを前にゴトーは、ただ立つ。
ゆらり、粘着質で昏い魔力が立ち上る。
「今、ここで滅びよう……。俺も、お前も」
ゴトーが平坦な熱量で言葉を紡ぐ。まるで既に決まったことを通告するように。
「俺が持つ、弱さも強さも躊躇も懊悩も正義も悪も勇気も覚悟も……記憶も命も、全てを燃やして」
——ただ、怒りだけで塗り潰す
ゴトーは己の持つ全てを魔力へ
魔力が一回り大きく揺れる。その炎は離れた戦場からも見えるほどに激しく燃えているのに、酷く儚く映った。
そして、目に見えるほどに濃い魔力が端から炎のように赤く染まっていく。ゴトーが内に秘める魔力も伝播するように赤く染まっていく。
これまでは躊躇していた、赤魔力の臨界を超えた圧縮。
ギュルリ、と渦巻く赤魔力を全身に纏う。
これまでは臨界ギリギリで押さえつけるように操作していた赤魔力が、臨界を超えたことで逆に安定する。血煙のように濁っていた赤い魔力は不純物が取り除かれたように透き通った赤色となる。
バチ、バチと空気が弾ける音がする。
これは空気が鳴る音ではなく、空間そのものを赤魔力が壊し、その反動で空間が揺れる音だ。
その
「——『
透明な波動が破界の魔力の前に止まる。
空間を伝わる透明の波動と、空間そのものを壊す破界の魔力、二つがぶつかれば当たり前にこうなる。
後には未だ健在のゴトー。
聖女が目を見開く。
ゴトーは自身を取り巻く澄んだ赤色を見て、誰かの瞳を思い出していた。それが誰だったか、既に燃えてしまって分からない。
ただ、眼前の女に対する恨みだけが彼を突き動かす。
「……」
「その呪術…やはり、代償はあるか」
ゴトーの皮膚の一部が脆くなった炭のように剥がれ落ちる。
それを見た『葬魔』の聖女は僅かに安堵した声を漏らす。
世界にあって世界を破壊する力、その代償は確定した自己の終焉。
そして、聖女が死ぬまでの時間だ。
「————クヒ」
唐突にゴトーの姿が引き攣った笑い声と共に消えて、目前で現れた。
目を離した覚えは無い。速度も聖女にも及ばない筈。それでも捉えきれなかった。まるで時間が飛んだかのように。
「っ!?」
赤い軌跡が走り、聖女の心臓を中心に大きく穴が空く。
代わりにゴトーの掌の皮膚が捲れ上がる。
明らかに致命傷。それでも先にゴトーを引き離そうと、体から放つ透明の波動の密度を増やす。あふれた透明の波動によって彼の背後の森が蒸発する。
波動に押されてゴトーの体が前進する速度が落ちる。
聖女が無詠唱の『
極まった白魔術の練度と、莫大な魔力によるゴリ押しによって可能となる彼女だけの絶技だ。
「……は…ぁ、理に、手を伸ばしたか」
時間という絶対の理を破壊するその力に聖女は怒りを覚える。
聖女は息を吸い込んで、透明の波動を杖に圧縮する。
「……その不敬、万死に値する。『
「死んでやるとも。お前を殺してな」
ゴトーが武技の放たれる杖の先を握る。
「ぐっ、うぅ」
杖から放たれる透明の波動が破界の魔力を押し流して、ゴトーの掌を削り取っていく。
「その汚い手を離せ!!下郎がぁ!」
聖女が巧みに杖を回して、ゴトーの腹部を刺突する。
全ての技術を極めた聖女の、槍術と杖術を駆使した矢のように鋭い一撃がゴトーに迫る。
ゴトーはそれに対して骨だけとなった手の甲で、杖の先を滑らかに誘導する。聖女は空を突いたような手応えに戸惑う。
ゴトーの柔軟性を駆使する洗練された動きは彼の相棒を思わせた。
——ほら、■■■■の方がお前よりも巧い。
仕返しとばかりにゴトーが拳を握ると同時に、聖女の右肩が消える。
その傷を『
口を開く前に、顔を削り取られた。聖女の視界が消える。
(時跳ばしを鑑みても妾の方が速く、力も上だ。それなのに、何故追いつける)
まるで未来が見えているかのような予測が、彼女の動きを尽く先回りしてくる。
身に纏う赤色とは真逆の冷えた思考が、冷徹に正解を選び取り、無慈悲に燃えたぎる怒りを叩きつけてくる。
神の暴性が、鬼の憤怒に打ち砕かれる。
聖女は頭に浮かびかけた死の予感を怒りで塗り潰すように叫んだ。
「ああああああ!!『
頭に血が上った聖女が怒りを込めて無茶苦茶に武技を振り回す。
その一つが、ゴトーが身を守るようにかざした右手を飛ばす。
勝機を見出した彼女は『
どうせゴトーは直ぐに反動で死ぬのだ。戦おうとする必要は無い。
時間さえ稼ぐ事ができれば生き残れる。
聖女はその思考が既に負けを認めているものだと自覚していない。
どう勝つか、ではなくどうやってこの場をしのぐかということに気を取られた聖女に、もう勝ちは無い。
「『
聖女が空間の壁を何枚も展開する。
逃げようとする聖女を見たゴトーは足に破界の魔力を集めると、聖女に向かって跳ぶ。
音の壁を超えて爆音が空に響いた。
反動で膝から下が砕けた。
代わりに聖女に迫ったゴトーはその腹部に砕けた足の骨を突き刺す。
二人を隔てていた空間の壁は紙のように破けて空気に溶ける。
同時に杖を持つ手を握り潰された聖女はゴトーと絡みあったまま地面へと落ちる。
「ど、退け」
「死ね」
錨のように腹に突き刺さったゴトーの足がそのまま貫通して地面へと彼女を縫いとめる。
彼女の上を取ったゴトーが纏う破界の魔力が彼女の体を触れるだけで壊していく。
末端から徐々に崩れていく自分の体に聖女の声は震えを帯びる。
『
「怖いか……苦しいか……。精々足掻け、苦しんで苦しんで苦しんで苦しんデ、後悔しなガラ死んでくレ」
溶けたゴトーの眼が聖女の顔に零れ落ちる。頬が焼けたように熱く感じる。
ゴトーの体は殆ど骨が露出し、皮膚が残っている場所などもう無い。
呂律が怪しくなったのも、舌が崩れ始めているからだろう。
「……ひ」
手足が捥がれた聖女の首元へとゴトーの手が届く。
怖い、死にたく無い。なんで私が死ななければならないのか。
私は大事な神の代行者だ、やだ。死にたく無い。私が死ぬことは世界の喪失だ。私は世界の宝だ。私は偉い。世界にとって大事な存在だ。世界の全てだ。こんな、ゴミみたいなやつに殺されて良い訳が無い。そうだ、私は生きるんだ。生きないとダメなんだ。
聖女は自由になる口に透明の波動を貯める。
「さ、『
彼女の長い人生で初めての口からの権能の行使。それを彼女は経験によって実現させる。圧縮された消滅の波動がゴトーへ向けて飛ぶ。
奇しくも眼球を失っていたゴトーの頭部を透明の波動が消しとばす。溶けかけていたゴトー脳味噌が跡形も無く蒸発する。
ガクンと、もはや骨だけになったゴトーの体は糸が切れたように止まる。同時にそれが纏う赤色の魔力も燃え尽きたように消える。
傾いた頭蓋から何か分からない液体が零れ落ちる。
「ぁ、あ、あ」
熱い、体が熱い。それでも、生きている。
聖女の思考は安堵に包まれる。怒りも忘れて自分が今生きていることに感謝してしまいそうな程に安心している。
瞳を熱くする彼女の前で、ゴトーの骨が頭から崩れ落ちていく。
「やはり、私は選ばれた存在なの……っあぐ」
ボロボロと崩れ落ちていくゴトーの死体、確かに死んでいるその体の左手が聖女の首に掛かる。同時に手首から先の体は全てが砂となった。
残った左手が、今度こそ聖女の首を掴んだ。
その手に降り積もった怒りが、染み付いた執念が聖女の生を許さない。
死んで尚残ったゴトーの殺意が再び破界の魔力を纏う。
立ち塞がる理不尽を、更なる理不尽で破壊してやる、と。
ゴトーはその執念の果てに聖女の命にその手を届かせた。
「やめ」
『
お返しというように、左手の纏う魔力が更に濃くなり、聖女の纏う透明の波動を空間ごと侵食していく。
「あ、が」
首の皮膚が段々と削れて行く。指が聖女の命を確かめるようにぴったりと張り付く。
「ゆる、して」
——お前が死ぬまで、許さない
一層左手の握力が強くなり、聖女の意識が遠くなる。
「や、だ」
パキ、パキと骨にヒビが入る。
「ぁ、ぁ」
——死ね
左手が閉じられ、聖女の首が静かに転がり落ちた。
鬼の紛い物と、神の紛い物、二つの決着はその名に似合わぬほどに泥臭く終わり、彼らの戦いを汚すように黒い蟲の群れがその跡を覆っていく。
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これにて七章終了です。
この章の補足となる断章を挟んだ後、次の章へと移ります。
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