第45話 神は高らかに嗤う


 ドゴォオオオオオオオン!!!!



「「!?」」



 逃げ支度を整える俺たちの前でそれは起きた。

 とてつもなく大きな何かが外壁から街の中程までを一直線に断ち切った。『絶剣アブソリュート』よりも荒々しい斬撃に俺たちは息を呑む。


 地面に走った亀裂は底が見えないほどに、深い。


 その向こうを見たフィーネの顔が急激に青くなる。

 こんな事ができる存在がまだ聖国軍にいたのか……。


 俺の知らない何かが起こっている。


「『希望』は死んだか……。」


 砂煙の向こうから一人の女が歩いてくる。

 これまでに見てきたものより、数段シンプルな神官服。


 赤い髪は風が吹き荒れる中で小揺るぎもしていない。


 何より、その怒りを孕んだ瞳が俺の恐怖を駆り立てる。



 一眼で分かった。

 これには勝てない。


 体捌きから分かるその技術が、その身から溢れる馬鹿げだ魔力が、立っているだけで伝わってくる内に秘めた攻撃性が。

 天災を前にした無力感を俺に押し付けてくる。



 この場においてもはや俺の力は話にならない。

 頭を回せ、考えろ。今頼りになるのは口先だけだ。


 今の俺は聖国の兵だ、そう思いこめ!


「あぁ、助かった。貴方は聖女さまで…」

「そのぶくぶくと醜く肥えたはくとに悍ましいれい…鬼擬きか」

「…す、か」


 魄、鬼擬き?

 霊はフィーネから聞いた事がある。確か精神や心をそう表現すると言っていた。こいつにはそれらが見えているのか。

 聖国でも聞いた事ない単語に問い返そうとして、鬼擬きという明らかに響きの良くない単語に嫌な予感を覚えた瞬間、俺の体がフィーネにさらわれる。


「っグラビス!」


「其れは、泣き女バンシーか」



 聖女らしき女から、俺が先ほどまでいた場所に向かって放射線状に地面が削れている。

 同時に先ほどまで傍に立っていた同族の姿も消えてしまっている。


 ……こいつは今、何をした。


 武技でも魔術でもない。ならば、聖女の権能か。



 俺の左足は今、義足だ。動かすのに慣れていない上に自前の足に比べて力も弱い。

 この戦争で強化されたせいで更にその差は大きくなった。

 その走る速度は見る影も無いほどに遅い。


「フィーネ、俺を…」

「黙って」



 俺の言葉を遮るように腕に力を込めるフィーネ。

 彼女はその身に秘めた魔力の殆どを周囲に放つ。


 魔力を受けた地面から結晶が伸び、俺たちの位置を隠すように街全体が剣の森に沈む。



 彼女は地面を蹴って、剣の刃を足場に聖女から遠ざかっていく。

 既に姿は見えなくなった。


 彼女が俺を拘束していた手を離すと、ゴトリと地面に転がる。


 俺はすぐさま起き上がって、同時に濃密な魔力の気配にフィーネを引き倒した。


 直後、俺たちの頭上を巨大な魔力の塊が過ぎ去っていった。


 フィーネの展開した森は上半分が消えていた。

 その向こうには涼しい顔をした聖女がこちらを見下ろす。森を消し飛ばした時の熱気で聖女の姿が揺らめいて見える。


 滅茶苦茶だ。これまで見て来た何よりも。



「……妾の手を煩わせるな」

「『忘却オブリビオン』」


 俺の放った術は、抵抗とかそれ以前に聖女に触れる手応えさえ無かった。


「『土壁アースウォール』!!『噴火イラプション』!『落星メテオ』!!」

「……バベルの武装か」



 投影器官プロジェクションオーガンにより数十の壁で俺たちの姿を遮り、スノウから奪った指輪により二つの巨大な魔術を発生させる。


 俺はフィーネの手を引きながらただひたすらに逃げ続ける。


 遠く後ろで、聖女が手を振る。

 彼女に襲い掛かろうとした溶岩が消える。


 もう一度、手を振る。

 今まさに地面を蹂躙しようとした隕石が消える。



「『土壁アースウォール』!!『土壁アースウォール』!!『土壁アースウォール』ぅ!」


 ダメ押しのように何度も土の壁で遮ろうとする。


 が、それも。


「煩わしい」


 その一言と共に、消し飛んだ。

 後に残るのは、スプーンで掬いとったように抉れた地面と息もできないほどの熱気。


 それでも、俺は逃げる。まだつながっている右足が千切れそうな程にひたすらに。


 俺達は、何がなんでも生き残らないといけない。


 そうだろ、俺。

 そうだろ、フィーネ。



「ゴトー」

「っ今は逃げることだけを考えろ!フィーネ!!」


 諦めを含んだ彼女の呼びかけに俺は叱責を飛ばす。

 遥か後方、聖女が空を指で撫でる。



「ゴトー、—————」

「は?」


 トン、と俺の体が押される。


 同時に握った彼女の手から感じる力が急に抜けていくのに、明らかな異変を感じて振り返る。




「——は?」


 俺の握る彼女の左手、その手首から先が消えていた。




 居ない…どこにも。どこにもいない。隠れたのか?


「あれ、ふぃーね?」


 フィーネが見えない。

 なんでだ。なにかがおかしい。


「にげないと、ふぃーね」


 握った左手から温度が失われていく。まるで、フィーネが…っ。


 だけはありえない。だけはあってはならない。彼女を帰さなければならない。そう、思って——。



「なんで」


 何で、俺の前から居なくなる。


「なんで」


 何で、俺だけが生き残っている。


「なんで」


 何で、聖女おまえは俺の前に立つ。


「なんで」


 何で、人間おまえらは俺から奪っていく。



「あぁ」


 不意に彼女の顔が脳裏に浮かぶ。


 普段は不機嫌そうに黙っている彼女がふとした時に浮かべた表情だ。少し楽しそうな彼女はいつもより幼く見えて、俺もそれを見ると救われた気持ちになった。


 彼女が泣いていた。あれは一度目の進化で何になったか、打ち明けられた時だった。あの時俺は胸を引き裂かれるような気持ちにさせられたのだ。彼女に何かを与えたいと、彼女が救われて欲しいと、そう思った。



 何で、俺の掌にあるものは簡単に壊れてしまうのだろう。


 何で、何で、何で何で何で何で何で何で何で何でなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでナんでなンでなんデナンでナんデなンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデ——っ




「ああ、そうか」


 ——何かがカチリと嵌る。

 同時に、何か致命的に掛け違えた感触もした。ただ、もう限界だった。

 俺の周りで誰かが死ぬ。

 俺に振り回されて誰かが死ぬ。


 なら、諸悪の根源は。



「おれが、生きてるから」


 じゃあ、死のう。


 聖女アイツを殺して。



「『捧げよ…」


 そのためなら全部、依代様オマエにやる。


「狂うたか」


 透明な波動が俺の下半身を消し去る。

 痛い、痛いな。だけど口は動く。


「『…さすれば…』」



 聖女が放った透明の波動が、臨界を超えた赤魔力によって一瞬、鈍る。代わりに俺の体もその反動で体が崩れ落ちていく。



「……っ!?……貴様っ」


 焦った聖女が更に魔力を込めようとする。しかし、それは成る。



「…仇、得られん』」



 ゴパ、と。


 口を開くような音がした。


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