第29話 悔い改めよ
「ギリギリ、間に合ったか」
俺は聖国軍と帝国軍の衝突を遠くから見つめていた。
あの大群の源であるクイーンローチは森の中にその姿を隠しているので、今日討伐するのはほぼ不可能と言って良い。
俺はこのままチビチビと聖国軍を背後から食らうつもりだった。
しかし、この時点でいくつかの問題が発生していた。
俺が、戦争までにコツコツと貯めて冒険者大隊に潜ませていた傀儡の殆どが殺されていたことだ。
間違いなく聖女の仕業だろう。
本来であれば、井戸や川に毒を流す役割を与えていた者や、聖国と帝国の戦闘の際に背後から聖国を攻撃する役割を与えていた者達などがいたが、そういった傀儡の全てが連絡に来なかった。
「間違いなく俺の存在には気付いている、か」
未来が分かるならば、それも仕方ないだろう。
「フィーネ、俺たちは西側の森から街に入る」
「ん」
フィーネは目を細めて頷く。
緊張しているようには見えない。
俺はフィーネを伴いながら崖添いに森の外側を歩く。
ふと、崖の下の川岸に緑の物体が流れ着いているのが見えた。
「あれは…ゴブリン!」
久しぶりに見かけた同胞に少し驚く。
しかし、背中に大きな傷が見えた。おそらく死んでいるか。
そう思った瞬間にピクリとその肩が跳ねる。
「…フィーネ」
「いいよ」
フィーネから許可が出たので、俺はゴブリンの倒れている岸辺へと降りた。
「『
俺は、闇から回復薬を取り出すと、その背中に振りかける。
「ウグッ」
傷に染みるのか、その体から呻き声が上がる。
そしてゆっくりとその傷口が閉じていく。
痕は残るだろうが、死にはしないだろう。
そう思って、一糸纏わない彼?の体をひっくり返す。
「ふむ」
下を確認して遠慮の必要が無い事を知ると、俺は治癒の腕輪を彼の腕に着けた。
「おい、起きろ」
ペチペチとその頬を叩くと、目蓋が開く。
「ウん…ダレ、……っ!!タスケて!!」
俺たち、というよりもフィーネの姿を見た彼は疲弊しているにも関わらずもがくように体を動かしてその場から逃げようと必死だ。
「落ち着け、こっちをよく見ろ」
「シニタクなイ!!ヤダあ!や…っイタい!!」
「安心しろ。俺は仲間だ」
既に人化の指輪を外しているので、最初から俺はゴブリンだったにも関わらず彼はそれに気付かないほどに人間を恐れていた。
おそらく、聖国軍に見つかり討伐に遭ったのだろう。
それでも生きているとはかなり運が良い。
「ナカ、ま。………ああア、タスカッたァ!!!ヨかッタ!イキテる」
「あ、あぁ」
俺に抱きつき喜びながら号泣する彼に俺は、俺は圧倒されながらも彼を落ち着けるためにその背中をポンポンと叩く。
「…」
フィーネがなんとも言えない目でこちらを見ている。
確かに裸のゴブリンが抱きついている絵面はかなり見苦しいかもしれない。
俺は彼から事情を聞く事にした。
◆
「ニンゲンみつけて、オレ、コワクナッて、ソレデカワにとびこンデ、ニンゲンみつけたトキ、カエッテきたところで、エッと、カリからカエッテきたところで、ヒカルニンゲンが、ケムリだして、そうジャなくて、ネグラに…」
「落ち着け」
俺は取り敢えず彼を制する。
彼の方で喋らせるといつになっても纏まりそうも無い。
「ウ、ウん」
「まず、お前の名前は、なんだ」
「グラビス」
「よし、グラビス。グラビスは、この森に仲間と住んでいるところを人間に襲われて逃げ出してきた。そうだな?」
「チガ、オレニゲテなんか。ミンナシンでて」
「ああ、分かってる。見殺しにした訳じゃないんだな」
話をするのは難しいか。
「今から呪術を使うが、危険な物じゃないから、怯えるなよ?」
「ジュジュつ、ババサマみたいナことカ」
『ババサマ』が誰かは知らないが恐らく、俺の初めの群れにいた長老みたいなものだろう。
「とにかく、人間どもに襲われた時の事を思い出しておけ」
これからの作業は少し神経を使う。
彼の肩に触れて目を閉じる。
そのまま彼と魔力を同調させる。彼の魔力の質と俺の魔力の質の違いを感覚で掴みながらゆっくりと近づけていく。
これによって間接的に彼の魔力を動かす事が出来る。
魔力を動かす事が出来るということは、そのまま術を使えるという事と等しい。
「……っ『
そしてグラビスに呪術を使わせる。
「ぐっ……」
人間に襲われた時の恐怖、焦燥、そして悲しみが記憶と共に流れ込んでくる。
それらの感情を伴った記憶を疑似人格を起動する事で、封印し一時的に隔離する。
「……っはぁ!」
俺は魔力の同調を解くと大きく息を吐く。
同調はその性質上、同調をしている間は集中を欠かすことはできない。
呪術の途中で解いてしまえば、呪術も不完全なままで終わってしまうのだ。
これを使えば『
実戦で使うには不便な、一種の手品のような技術だ。
疑似人格に命令し、視覚記憶だけを取り出す。
「……こいつは」
グラビスの記憶では三日前、ちょうど俺がウェイリル高原にたどり着いた頃だ。その記憶の中に現れた白いバンダナの冒険者に俺は見覚えがあった。
「名前は確か、レンダン」
なぜ俺が彼の名前を覚えているのか。
それは彼が俺の傀儡だからだ。
俺は今まで彼の存在を忘れていた。理由も何も無く、単純に忘れていただけだ。だから、記憶で見てやっと思い出した位だ。
聖女は傀儡を全て殺す程に慎重だった筈だ。それにも関わらず、その中には漏れが存在し、しかも銀の騎士の近くに置いていた。
これまで感じていた聖女の慎重さと、その迂闊な行動があまりにもチグハグだった。
だからこそ、俺はこれまで抱いていた違和感の正体に気付いた。
「聖女の力は未来を見る能力じゃ、ない」
◆
「ミブサカ、やりなさい」
「かしこまりました」
帝国軍と聖国軍の狭間に降り立ったミブサカは
そして、はち切れそうな程に筋肉を膨張させると、斧を交差させて振り下ろした。
「『ツインクラッシュ』」
その衝撃で、帝国軍の布陣に穴が開く。
それを幸いと聖国軍が出来上がった空間に攻め入る。が、
「『一刀』」
聖国軍の騎士達は意識があるまま、自分の臓腑に塗れた地面を舐める事になった。
「成程、聖女に守護騎士か。これは自分が出ねばなるまい」
帝国軍から、軍服に身を包んだ老年の男が進み出てくる。
ミブサカもルオラもこれまで感じたことの無いその圧力に、息を呑む。
「ミブサカ、この男が」
「間違いなく。『
「ええ、それではウルル様の指示通りに」
「畏まりました」
「もう、作戦会議は終いか?それでは」
二人が会話する僅か数秒の間にゼタはエンジンの温度を上げていた。
「『刀術・漆』」
「!?」
一度に七段階も武器スキルの位階を上げられるのは帝国には彼しか居なかった。
そして、これまで感じていたプレッシャーすら児戯に感じるほどに圧力が増す。
「『弓術・漆』」
更に
「『鎧術・漆』
「……っなんて、力」
更に膨れ上がった力に最早笑い出しそうだった。だが、『希望』の聖女が勝てると言ったのならば、其処には勝機があるのだ。
「…いくわよ、ミブサカ」
「ええ、ルオラ様」
ルオラ・ルクス。『悔恨』の名を冠す聖女の力は他の聖女の持つ権能に比べて、戦闘向きのものだった。
だからこそ、敵の最高戦力にぶつけることが出来る。
彼女の持つ錫杖が光り輝いた。
「『信じる者こそ…』」
杖を両手で握りしめて、呪文を呟く。
青色の魔力が渦巻き、彼女の紫色の髪を巻き上げる。
ルオラがその瞳を開き、杖を天に掲げれば、ミブサカは輝く蒼に包まれた。
第七天白魔術。
「『
「さぁ、帝国よ。悔い改めなさい!!」
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