第24話 ネズミ狩り

 聖国からの援軍を避けるために移動を決めた俺は一人になると、森を南に下る。


 森の枝を飛び移りながら進んでいると、少しずつ視界に映る黒点の数が増えていく。


 それだけでなく、飛んできた黒点、ローチが顔にへばり付くとガジガジと顔に噛み付いてくる。


 依代のどの補正が効いたのかは知らないが、以前戦った時と比べると羽虫程度にしか感じない。


 俺は掌の大きさもあるローチを握り潰して、地面に捨てる。



 更に進むと視界が真っ黒に染まる。

 進めば進むほどその密度は増していき、最後には足元すら見えなくなった。



 虫が身体中を這い回る感触に耐え切れなくなった所で、赤魔力を展開する。



 ローチが赤魔力に触れた端から崩れ落ちて塵へと還る。



 それを見たローチは赤魔力が危険だと察知して、俺を避ける様に飛ぶ。

 ローチが離れた事で少しだけ俺の周りの空間に余裕が出来る。


 台風の目になった気分でローチの群れをかき分けていると、その中に目立つ気配を感じ取る。



「そろそろか」



 そう呟いた瞬間、風を切る音がした。


 丸太ほどもある触腕が頭から叩き付けられる。



「ギュギュギュチュイ!!」



 衝撃で俺の足が土に沈むが、俺自身は無傷だった。

 むしろ赤魔力のせいで向こうのほうが傷ついてすらいる。



「久しぶりだな、クイーンローチ」



 威圧するように頬を上げる。


「ギュチュゥィィィ」


 クイーンローチは臆したように体を縮こませる。

 俺はゆっくりクイーンローチに近づくと、その側面を蹴り付ける。


「ギュチイイイイ!!!」


 体液が地面にこぼれ落ちる。

 少し強くし過ぎたようだ。


 今度は体重を乗せないようにした雑な蹴りを叩き込む。


「ギュ!!」


 痛そうだが、身体のダメージは少なそうだ。


「このくらいか……」



 力加減を学習した後は、ゲシゲシとクイーンローチに蹴りを叩き込んでひたすらに虐め抜く。

 触腕や触角の攻撃を全て叩き落とし、ナイトローチを地面のシミに変えていると俺との実力の差を完全に悟ったのか、俺に背を向けて逃げて行く。


 しかし、その速度は遅く、早歩きで追いつける程だった。


 俺はクイーンローチの後ろを付いていき、時折その尻を叩いて急かしたり、進路を誘導したりして進んでいく。



「この調子だとウェイリル高原まで4、5日ぐらいか。少し掛かるな…」



 俺はローチを払い除けながらうんざりしたように声を上げた。




 ◆




 聖女達がヨビウの街へと辿り着いたのはウェイリル高原を出てから一週間経った時のことだった。



「うーん、肩が凝りましたわ」


 馬車から降りた『悔恨』の聖女、ルオラは伸びをして身体をほぐす。


 初めは馬車の中の剣呑な空気にストレスを感じていたが、いつの間にかコウキの雰囲気が柔らかくなっていて安心した。


 馬車も流石は聖女が乗る物とあって、揺れは殆ど無かった。


 到着したヨビウの街には奇妙な事に人が居なかった。恐らく聖国軍の移動に気付いた人々が避難したのだろう。



 戦闘なしで街を手に入れた事は喜ばしい事だが、街の荒れ果てた様相にルオラは少し気落ちした。


 物が無いだけでなく無事な建物が殆ど無かった。


「火事場泥棒、ではなく意図的に施設を破壊しているようですな」


 後ろに控えるミブサカの呟きに頷く。

 通常であれば悪足掻きに過ぎない焦土作戦は、補給が届かない現状と併せて聖国軍に打撃を与えた。


「ミブサカ、『空間収納ストレージ』の食糧はどれ程残っているの?」

「……そうですね。この人数ですと、一食分と言った所でしょうか」


 1人の『空間収納ストレージ』に一食とは言え、万人を賄う事が出来るのは驚くべき事だが、十分とは言えなかった。


「ウルル様は後少しで補給と援軍が届くと仰ってるけど、限界だと思ったら躊躇なく使うわよ」

「畏まりました」


 ミブサカは恭しく頭を下げる。

 街に金目の物がないお陰でミブサカが正気を失う事が無くて、ルオラは少し嬉しいような調子が乱されるような、そんな心地だった。




 ◆




「ウルル様、ルオラ・ルクスです。ただいま戻りましたわ」

『…どうぞ、入ってください』


 ミブサカを伴ったルオラはウルルの許可を得て、仮設の執務室へと入る。

 これはウルルの作業を助ける為に、彼女の騎士達がヨビウの街に到着すると同時に整えた物だ。


 街の中心近くで比較的損壊の少なかったものを再利用している。



 彼女は手元の紙に何かを書き込んでいる。

 いつもの余裕のある表情と異なり、鬼気迫る様子にルオラは恐怖を覚えたが、固唾を飲み込んで踏み出す。



「ウルル様、一通り巡回しましたが、食糧は得られませんでした。辛うじて鍛冶屋から武具を手に入れる事はできましたが……ウルル様?」

「…え?」



 ウルルは自分の名を呼ぶ声に気づいて顔を上げる。

 そこで初めてルオラの存在に気づいたようだった。

 どうやら入室の際の返事は無意識に返していた様だった。


 チラリと見えた手元には、夥しい数の名前が綴られていた。



「ウルル様、具合が悪ければ休んだ方が」

「ええ、これが終われば仮眠を取るつもりです」


 本当であれば今すぐ休憩をとって欲しいが、彼女の頑なな表情を見るに、そう出来ない事情があるという事だとルオラは思った。



ルオラの言葉を聞き逃していたウルルにもう一度先程の報告をし終わった頃に重い足音が近づいてくる。


聖女の許可を得て入室したのは銀の騎士。



「聖女様、失礼します。……を受け取りに来ました」


彼はルオラ達の姿を見つけると、少し躊躇いがちにウルルに申し出る。


「ああ、こちらに用意しています。あと少しで書き終わるので待って頂けますか?」

「勿論です」



その会話には違和感が有ったが、静かになった室内に居心地が悪くなったルオラは退出する事にした。







「ミブサカ、見た?」

「何を、でしょうか?」


「指示書って言ってたけど、名前しか書いて無かった」

「そうですか」


興味無さげにミブサカが返す。


「そうですか、って気にならないの?」

「ルオラ様も知らされていないという事は知るべきで無いという事でしょう?無理に知ろうとすれば例え聖女同士でも亀裂になり得るのですよ」


そう諭すミブサカの表情はいつもより苦しそうだった。恐らく『前』の失敗に関わる事なのだろう。



「……分かりましたわ。悪戯に調べたりするのは辞めるわ。……はいこれ、お詫びよ」


そう言ってルオラは金貨を弾く。


「これもお嬢様のた、ウヒョーー!!!金貨ゲットおおお!!!!」



道の隅で金貨に頬擦りするミブサカを置いてルオラは歩いて行った。







「ふぅ、終わりました。これで全てです」

「承りました」



聖女は椅子の上で背伸びした後、眉間を揉みほぐす。いつもはしない仕草に彼女の疲労を感じ取った。


騎士は手元の紙を捲る。

そこには合計で千人近くの名前が綴られていた。捲るごとに彼の皺が深くなる。



「聖女様。……あの、ここに載る者全て、ですか?」




「全て処分して下さい。そこに書いてあるのは一人残らず『敵』の傀儡ですから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る