第10話 葬魔の聖女
雲を衝く鋭いアヴォイド山脈、その頂上には龍が棲むという伝説があった。
伝説と言っても、実際に龍が存在するこの世界においてそれはほとんど事実と相違なかった。
旅人がその頂上へ向かって行く龍の姿を見た、や、遥か上空を影が通り過ぎるのを見た、などの情報が積み重なってそう言った噂が民衆の間に広まったのだ。
しかし、それを確かめた者は居ない。
なぜならそこは強力な魔物が溢れるほどに棲む危険地帯だったからだ。
だからこその噂の真偽を自身の瞳で確かめた者は居ない。
——彼女一人を除いて。
「『
一呼吸で第六天の白魔術を発動させる。
簡易蘇生と同等の奇跡を片手間に起こしながらも彼女の集中が乱れることはない。
ヴェア”ア”ア”ア”ア”ア”’ア”ア”ア”ア” ア” ア” ア” ア” ア”!!!!!
肌で感じられるほどに空気を揺らす轟音を、彼女は無表情で受け流す。
大樹のような太く、長い胴体。
そして白く、神聖な気配すら感じさせる鱗。
魔物でありながら、知性を宿した瞳。
彼女が相対するのは自然の化身とも言われる、天龍である。
そして、龍は口を開き、魔力を眼前で収束させる。
#######!!
龍の眼前から極光が放たれる。
その延長線上にある全てを一瞬で蒸発させる程の熱量が彼女を包む。
山肌を丸くくり抜いたような跡は、この周囲の山々が鋭く尖っている理由を如実にしめしていた。
彼らのブレスによって削られるからだ。
自重によって山が崩れ落ちる。
そして静寂が周辺を包んだ。
しかし、天龍が油断する様子は無い。
「…『
現在では使われる事の減った古代語の名を冠する武技を発動する。
崩れ落ちた岩の一つが、弾け飛ぶ。
飛んできた石轢に構わず、天龍は再び魔力を収束させる。
「…図体だけの化生め」
###########!!!!
首をもたげた龍は、怒るような声色で彼らの魔法を紡ぐ。
「…」
彼女の立つ地面が浮き上がる。
いや、彼女の見渡す限りの大地全てが、浮き上がる。
そして、浮き上がった大地はまるで粘土のように彼女を中心に、折り畳まれる。
大地そのものを動かすという予測可能でありながら不可避の大規模魔法に、彼女は為すすべなく包まれる。
大きな球体となった大地は更に圧縮されていく。巻き込まれた魔物はその尽くが挽肉へと変えられていく。
「…それはもう見飽いた」
##!!!
酷く無感情な、それでいて透き通るような声は岩石に厚く覆われた中からも不思議と鮮明に響いた。
同時に、魔力によって杖の延長に、刃を形成する。
「『
数キロに及ぶ岩石の星が二つに割れる。
中からは少し土でよごれた妙齢の女の姿。
背中に届くほどの赤い髪は逆立ち、少し黄色みがかった橙色の瞳は怒りを帯びる。
「矮小な獣の身で、妾を汚すとは、己の分際も弁えぬようじゃの」
女の魔力が『神』とつながる。
天龍も対抗するように再び眼前に魔力を収束させる。
今度は先程よりも密度が高く、空間が歪んで見えるほどに力を絞り出す。
「『信ずるものこそ…」
ヴェア#ア”ア”ア”#”ア”’ア”#”ア”ア”#” ア” ア” ア” ア”!!!!!
天龍の放った旭光は彼女の眼前で途切れる。
第六天の白魔術、『
空間を隔離する事で影響をほぼ全て断つことができる。
「…れる』」
彼女が司るのは葬魔。『神』の純粋な攻撃性の象徴。
故に、その一撃に慈悲は無い。
「疾く、失せよ」
「『
彼女を中心に透明な波動が広がる。
彼女を包んでいた岩石に波動の淵が触れると、まるで存在しなかったかのように空気に溶けていく。
それは天龍の極光のように、熱量によって物質を蒸発させるのとは異なり、ただ物質の消滅だけを引き起こす。
この世界にある全ての物体は鉄も水も空気も、その影響から逃れることは出来ない。
######!!
彼女の周囲の岩が次々と消えて行く様子に本能的な恐怖を覚えた天龍は収束させた魔力を解放しようとするが、既に波動は龍の鱗に触れていた。
ゥヴォア"ア"ァ"ア"ァ"ア"ァ"ァ"!!!!
極光を周囲に撒き散らしながら天龍は自身に纏わり付いたそれを振り払おうと必死でもがくが遂には全身が消滅の波へと取り込まれてしまう。
全身を酸で溶かされるような痛みと急激に体が失われる喪失感に、天龍は断末魔を上げながら空気に溶けて消えた。
後には砂山を掬い取った様な形の地面だけが残った。
そして、さらの遠くの景色を見回すと、同じ様に不自然に抉れた山が霞の向こうに幾つもあった。
天龍の巣の駆除を終えた聖女は神官服に付いた汚れを軽く払い落とす。
しかし、それだけでは落ちない程に強く泥が染み付いていた。
彼女はその汚れを冷たく見下ろす。
「羽虫め」
そう吐き捨てると、彼女は服の中からロケットを取り出して、開く。それは教会が彼女へ指示を出す時に使用する術具だ。
伝えられる情報は非常に少ない代わりに鳩よりも確実に、早く、どんな場所でも情報を伝えることができる。
危険地帯に出向くことが多い彼女には必要なものだった。
「西、とな」
彼女は空を見上げた。
———————————————
「ふわぁ。こういう時のくじ運はなんで悪いんだか」
オクシタ砦を占領した聖国軍の騎士の一人が、砦と森の間で監視を行って居た。通常時なら砦の上から監視する程度で済むが、丁度、監視塔となる所が略奪の際に壊れてしまって、そこから魔物が侵入しないように歩哨を配置することとなった。
男は、くじ引きで負けたため、深夜帯の担当となってしまったのだ。
「態々、軍がいるところを襲ってくるほどに、魔物も馬鹿じゃないだろうに」
ぶつぶつと愚痴を呟きながら騎士は周囲を見回す。
魔物が侵入すれば兵站に手を付けられる可能性も、魔物の種類によっては中毒を引き起こすために、歩哨が必要な事は分かっていたが自分を慰めるためにもこうやって独り言を吐いているのだ。
昔から腕っ節が強かったのと成り行きで騎士となったのだが、騎士という戦うことが仕事の集団の中では良くて中の下。それが彼の実力だった。
革鎧の固定のための金具を爪で弄りながら暇を潰していると、森の中に光るものが見えた。
「ん?」
森の木の枝に引っかかった、煌びやかな金のアクセサリーらしきものが、松明の光に反射したようだ。
もしかすると、逃亡兵が持ち去ろうとしたものが引っかかったのか、はたまた冒険者が見逃したのか。
少し不気味なようにも感じたが金の光が男の警戒を鈍らせる。
「俺にも回ってきたのか、ツキって奴がねぇ」
騎士は周囲を見渡し、誰も見ていないのを確認すると忍び足で森の中へと分け入って行く。
目的の木に近づいた男は、その金のチェーンに手を伸ばす。
「結構高いところに引っかかってるな、これ」
男は気づかない。
持ち去ろうとして引っかかったにしては高い位置にあることも、このような目立つ所にあった装飾品がこれまで冒険者に持ち去られなかったことにも。
そんな意識の隙に、小鬼は付け入るのだ。
林の影から緑の手が伸びる。
「は、グっ」
男の顔面を強く握り、ゴブリンが男の頭を地面に叩きつける。
「何処にも…馬鹿は居るものだな」
ゴブリンの体内で魔力が回る。
やっと状況に気付いた男は声を上げる。
「ゴブ…だれっ、か!」
しかし、ゴブリン相手に助けを呼ぶことに一瞬の迷いが有ったせいで、その声は少しだけ小さかった。
そして、ゴブリンはある呪術を発動する。
「『
それは自身の記憶を相手に送るだけの呪術だ。
記憶が人に及ぼす影響力は人の行動を少し変える程度の些細な物だ。
それにこの呪術は相手の記憶を操作するようなことは出来ず、ただ追加するだけだ。
もし人格を破壊するほどの記憶を持っているとしたら、そもそも呪術を使用することすらできないだろう。
しかし、そのゴブリン、ゴトーはアーティファクトを使用して自身の記憶の一部を封印、隔離しておく事ができる。
その中で最も危険なフィーネによる催淫時の記憶を送り込んだ。
「あ、ゴ、あ?…」
焦点が定まらなくなった男は意味の無い呻き声を上げる。
ゴトーは男に黒い鎖の首飾りを掛けた。
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