第5話 ぶーと


 ダンッ、と強く壁に押し付けられる。

 体は丈夫なので痛みは感じない。


「ぁ、ごめんね…でも」


 フィーネ自身も力が抑えられない事に戸惑っている様だったが、興奮を抑え切れずに体を押し付けて密着する。両足の間に膝を入れられ、左手首を押さえつけられる。

 左手は俺の頰を撫でる。


 鼻同士が触れそうな距離で見つめ合う。

 彼女の紅い瞳に外から入る色街の光が反射して怪しい光を放つ。

 床に伸びる影には当たり前の様に翼が揺れていた。


 彼女は俺の顎を優しく持ち上げる。ゆっくりと顔が近づいて…


「ん…、…はぁ」


 思い出した様に、手首を押さえつけていた手をスルリと移動させ指を絡める。

 手持ち無沙汰になった彼女の左手が俺の肩を掴むがそこに右腕が無いことを思い出して、首元に移動する。


 その時の指の動きがくすぐったくて身動ぎすると、


「だめ。『逃げないで』っ、よし…。ん…ちゅ……そう、『そのまま』。ん」


 また唇を触れる様に落とす。

 柔らかい感触と度重なる『お願い』により、感情が暴走して涙が零れ落ちる。


 呼応する様に彼女も涙を流した。

 くそ。


 自己嫌悪に苛まれながらも彼女を突き放す素振りすらせずに彼女から与えられる快感を貪る。

 けど、代わりに絡み付かせた手を解くと、彼女の頭を撫でる。その行為は彼女の欲求を掻き立ててしまった様で息が更に荒くなる。


 俺の顔を両手で包むと、涙を親指で拭う。


「ふ、ぅ……『口開けて』、それで、『舌出して』、『怖がらないでね』……ん、はぁ…」


 甘いものが舌に触れる。

 体全体が快感に浸食されて腰が抜けるが、彼女の膝で支えられて辛うじて立っている。


 彼女から与えられるものを嚥下するたびに脳が溶けて感覚が曖昧になる代わりに、一部分の神経が過敏になっていく。



 同時に粘膜の接触によって何かを吸い取られる感覚があった。あぁ、これが彼女の力なのかと思った。多分肌で触れ合うだけでも体力を吸い取られていたのだろう。



「…む……んは、ぁ……ごとー、『ベッド、行こっか』」



 俺が仰向けに寝転がり、その上からフィーネが跨る。俺は間抜けの様に彼女にされるがまま上半身裸になる。太ももの上に乗る柔らかい重さすら甘い。


 この時になると、俺は彼女と一つになる事しか頭に無かった。それでも彼女からの『お願い』は忠実に守り襲い掛かる事はしない。


「ふぅ……ごめんね。我慢して……はぁ……死なない様にするから、ね?……ふぅ…わたしのこと『嫌わないで』、……ん……『受け入れて』。……お願い」


 指を絡ませながらそうやって優しい言葉で言い聞かせてくる。


「いっぱいシてあげるから『我慢しないで』、『いっぱい気持ちよくなって』……いたっ」


 思わず絡めた手を強く握ってしまい、彼女が痛みを訴える。


「ぇあ、ごめ。ふぃいね」


 思わず身体を突き動かす衝動を捩じ伏せて、浮かんだ罪悪感を言葉にしようとしたが、呂律が回らない。酒のせいかそれ以外のせいかも分からなかった。

 だが、俺の声を聞いた彼女は俯いて何かを堪える表情を見せる。


『お願い』によって触れる感触全てが快感に変わっている俺にはそれがどのような意味なのか分からない。


「〜〜っ、き、気にしないで」





 少し上がっていた呼吸が落ち着いたフィーネが控え目に提案をする。


「…………ねぇ、ゴトー。最期に、ね………目、閉じて…………ん……」


 今までで最も優しく唇を合わせる。

 絡めた指に少しだけ力を込めてより深く繋がろうとする。

 二人の間にある距離すらもどかしく感じる。



 あぁ、もうどうでもいい。

 快楽に溺れて、全部捨てて、ゴブリンもニンゲンもこの世界も全部溶けて、溶けて。

 死んでも、良いや。



「ごとー。じゃあ、触るね」

 彼女の手が触れた。


 俺の意識は唐突に闇に落ちた。




 ———————————————


 覚醒した意識が予め決められた命令通りに自己の情報を思考領域内に複製し、基幹プログラムの実行を開始した。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 カーネルモード:擬似人格


 物理デバイスにくたいのステータスチェック。前回と同じく右肩部から先の欠損を確認……差分チェックを終了。


 外部デバイスアーティファクトの確認。書き込みデバイスくびかざり自己修復装置うでわ、確認。……対応アプリケーションを有効化。


 起動時の身体モニタ情報から、対応するタスク「淫魔・無力化」の処理を開始。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 その瞬間フィーネはゴトーの気配が変わったのを感じた。すっと上半身を持ち上げる。


「え、何?あっ」

「…」



 無駄の無い動きでフィーネをうつ伏せで取り押さえると、両手を左手と膝で拘束する。

 普段であればこのような拘束はフィーネ相手では抜け出されてしまう。


 しかし、今のフィーネは本能に理性の殆どを押し潰されている事で、技術を伴う動きは出来なくなってしまっていた。


 だから今のフィーネにできることと言えばゴトーの下で身を捩りながら懇願するしか無い。


「お願いだから『離して』!うぅ、痛い、痛いからやめて!」


 バタバタとベッドを蹴って、『お願い』をしても聞こえていないかの様に無反応だ。


 そんなゴトーに対してフィーネは、



「酷いよ。『辞めて』、『どいて』!『手を離して』!ねぇ、なんで!?」


 初めは怒鳴り付ける様に命令をしていたが、やがて今のゴトーには命令は効かないのだと考え、



「ねぇ、ごとー。もう治ったから離して」


 小賢しく普段のフィーネを真似て窘める様に声を掛ける。流石にバレバレだと気付いたのか別の方向で誘惑を始める。


「分かった!痛くしても良いから、イジメテも良いからちょうだい、欲しいよぉ」


 そして謎の譲歩を始め出す。


「たくさん痛くしても良いから、お願い。うぅ、じゃあ、首とか絞めても良いからぁ。切ないよぉ。お願いだから、ね?ダメ?少しだけ、少しだけだよ?先っぽだけ、ねぇ?」



 最後には唸るだけになった。


「うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」




 ◆




 自分の意識が浮上した時、目の前にはうつ伏せになったフィーネの姿があった。

 拘束しているのは自分。

 俺の記憶は酒によって具合が悪くなった所で怪しくなっていて、店から出たあたりで記憶がすっぱりと消えてしまっている。


「……大丈夫か?」

「……」ピク



 余りにも動かないものだから寝ていたのかと思ったがそうでは無いらしい。


「ん」コク


 テンションが低く口数が少ない。

 どうやらかなりの痴態を晒した様だ。


 そして、おそらく俺も…。



「はぁ」

「ゴトー、ごめ…」

「謝るな!」


 俺が溜め息を吐いたのは彼女に対してでは無い。それに今のフィーネに謝罪などして欲しくは無い。


「フィーネとはサキュバスであると承知して組んでいる。その為に対策も打ったし、きちんと効果はあったはずだ……だから、こんな事で謝らないでくれ」


 擬似人格のログには正常終了とあるから、どんな成り行きでかは知らないが、一線は守った事は確かだ。



 俺とは違って彼女に記憶が残るのもまた最悪だ。後で首飾りを用いた記憶の封印を行うかを提案する事に決めた。



 彼女の進化の秘密を知ったその日には首飾りを使った対策は考えた。しかしそれには幾つかの障害があった。


 まず、自由意志を伴う操作では催淫で突破される事だ。例えば俺自身に対して『発情するとフィーネを無力化するべきだと思う』暗示をかける。

 すると催淫効果によって与えられた獣欲をなんとかして発散しようとした結果、俺は自分で誓約の首飾りを使って暗示の上書きをするだろう。


 人間がロボットだとして自由意志がパイロットだとすれば暗示はプログラムだ。

 催淫はパイロットへのハッキングだ。

 操られたパイロットはプログラムを催淫者の都合の良い物に変更するだろう。

 だからこそその対策には、自我パイロットを操縦席から叩き出し、オート操縦プログラムに切り替える必要があった。


 それが擬似人格だ。

 膨大な量の暗示によって、自由意志ほどでは無いが柔軟な行動が可能となっている。



 まぁ、そんな虎の子の擬似人格なのだが、どの様な脆弱性が有るか判断できないので、擬似人格がどんな物なのかはフィーネには知られないようにしている。




 ◆




 俺は一人、迷宮都市の外縁部の誰も居ない廃屋の一つに入る。

 フィーネを一人にするのは心配だったが昨日の記憶を確認するためだ。


「『ユーザモード:擬似人格』」


 俺の意識が二つに乖離する。

 新しく発生した意識が、起動プロセスを終えて待機状態に移行する。

 俺の頭の中で擬似人格とそれをパソコンみたく操作する俺自身の人格が同居している状態となっている。ただ同時に動かすと脳の容量が圧迫されるのか頭が回らなくなる。


「『記憶操作』」


 擬似人格の基幹となる機能を起動する。これは擬似人格によって俺にとって問題があると判断された記憶が隔離されている。擬似人格の起動タイミングと俺の記憶が途切れたタイミングがズレているのは記憶が後で封印されたからだろう。



「『封印記憶を閲覧』、『聴覚のみ』」


 五感全てだと間違いなく何かが起きるので、一先ずは状況を判断できる様に音声の情報の封印を外す。


 昨日の記憶が蘇る。ただし、聴覚記憶だけ。



 ——ごとー、『もっとくっ付いて』。あと『何も考えないでいい』から

 ——『大丈夫』、『抵抗しないで』。『わたしの言うとおりにして』

 ——少し『急ごう』、ほらあそこが『いつもの宿』だから

 ——ぁ……ごとー、『ベッド、行こっか』

 ——ごとー



 あ、マズい。

 音声だけのはずなのに、脳が甘いと認識してしまう。頭が蕩けて、胸が締め付ける感覚と興奮に襲われる。


 麻薬の毒に冒された様に快楽が脳を埋め尽くして、禁断症状に襲われた様に震えが止まらなくなって、地面に崩れ落ちて、あのこえがほしくてほしくてたまらなくて、がまんできなくて、もっとばかになりたくて……。




 ◆




 意識が復活する。

 俺は地面に横たわっていた。口から垂れていた涎を拭き取ると、すでに起動していた擬似人格のログを確認する。


 意識隔離と直近の記憶に封印が行われた形跡がある。そして『記憶操作』によって封印した記憶を再生した事も分かった。


「声だけでもダメなのか」


 なんとも扱いの難しい。

 この感じだと五感のどれでも同じ事になるだろう。

 まあ、昨日の記憶を見る方法は一応考えてあるが、催淫時の影響を確認しておきたいので、先程の記憶を対象にして封印解除を行う。


「『封印記憶を閲覧』、『全て』」


 短い記憶が再生される。

 流石に昨日の記憶に直接触れなければ影響は無いようだ。


「ただ、凄く気持ち悪いな」


 何故このように思考し、このように行動しているかが分からないので、自分という感覚が薄い。他人の記憶を追体験しているような感覚だ。


 半分麻薬みたいな感じだ。思考が正常に出来なくなっている。こんな状態が四六時中続けば馬鹿になってもおかしくない。

 人格が変わる程の声とはどんな物か気にはなるが、それを俺が知る事は無いだろう。


「『封印記憶を閲覧』、『動作記憶のみ』」


 昨日の記憶、それも俺自身の状態に限定して再生する。


 ——まず店を出た後、ふらつく。


 ——何かに寄りかかりながら歩く。


 ——時々言葉を発して、頷く。


 ——階段を登る。

 あ、宿に入ったな。


 ——壁に背中を押し付けられて、なすがままとなる。

 ……。


 ——寝転がり。何かを期待するように見上げる。


 ——擬似人格が起動して、何かを取り押さえる。


 記憶の再生が終わる。


「とりあえず、擬似人格の起動ラインを少し下げておくか」


 起動フラグが局部への接触だったのを、粘膜接触全般と、一定時間以上の皮膚接触、時間は……五分以上にしておくか。


 あまり下げすぎると手が触れるだけで起動したりするので程々に。

 そういう行為を嫌悪しているであろう彼女のトラウマを、これ以上刺激してしまわない為に。




「はぁ」


 やるべき作業を終えて、瓦礫の一つに腰を下ろす。


 フィーネによる催淫が効くようになったという事は、俺にそういう機能が備わったという事だろう。


 俺がこの世界に生まれて五年は経っている。もう直ぐだろうとは思っていたが…。



 フィーネの進化を急ぐか。

 それにアーティファクトも手に入れたい。

 情報も欲しい。高ランクの冒険者になれば権力の中枢へと近づく機会はあるだろう。その時に権力者の一人でも洗脳することができれば更に良い。


 俺は次の遠征の計画を立て始めた。



 ———————————————

 セーフ?セーフだよね。R15には収まってるよね?

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