5歳 間章「何気ない日々の色」

第1話 鵺


気付くと黄昏の世界に立っていた。


上に目を向けると、空を覆う天蓋。

遠くに目をやれば、天蓋と地平線の間から沈みかけの太陽がこちらを覗いている。

下を見ると、黒ずんだ生物のパーツが地面を覆い尽くしていた。


ただ俺の思考は眼下のおぞましい光景よりも疑問で埋まっていた。


「依代を使った覚えはないぞ」


普通に迷宮に潜り、普通に帰ってきて、夕食を食べて、ベッドで寝たところまではっきりと記憶が残っている。


前にここを見たのは確か、俺の腕が切られた時だ。

鵺モドキが俺に何かをしようとして……光に弾かれて、それで鵺モドキが地面から引っこ抜いた腕を俺に食わせたのだ。


あの時は意識が朦朧としていたから無意識に呪文を唱えていたのだろうと思っていたが、今回は明らかに違う。

呪文を唱えないと鵺モドキは俺に干渉出来ないと思っていたがそれが覆ってしまった。




シャランシャランと鉄製の鎖を引き摺る音が聴こえる。そう遠くは無いはずなのに霧の中にある様にその姿が見えないのはこの場所の性質故だろうか。


太陽はあれ程ハッキリと見えるのに。



しばらく待っていると、いつの間にか俺の横に鵺モドキは立っていた。

40メートルはある巨大な体とそれを支えるには不釣り合いなほどに細い手足。

身体中の筋が緑色に発光して、拍動するかのようにその光が明滅している。


気味の悪いニヤケ顔を浮かべて俺を見下ろしていた。


「・—■——・■□—・・」

「ん?」


鵺モドキが発したのは以前のようなノイズが重なった声とは違って、何らかの意味をを持った記号であると察せられる程度には規則性があった。


「—◆◆■—・—・◆□——・□————□・」


先程よりも長く声を発すると、俺の体に腕の一つを突き込む。


「うっ」


痛みは無いと分かっていても思わず呻いた。

鵺モドキは体の中を掻き回した後、何かを捕まえて引っ張り上げる。


依代の条件からするとここで鵺モドキが取り出すことのできるのは、俺が依代で吸収できる者、つまり俺が知っている者のはずだった。


「何だ、それ」


鵺モドキの手から垂れ下がるのは赤色の不定形のジェル状の塊、スライムだった。

迷宮の第一層にはスライムがいたが、吸収し忘れたのか。

でも通常スライムに色は付いていない。

それも、あんな、血みたいな赤色の……。


「あ!吸血鬼の血の代わりをしていた魔物か」


どうやら吸血鬼、レオパルドを吸収した後に宿主が死んでしまった事で生存できなくなったようだ。時間差があったために俺が吸収しそびれたのだろう。


鵺モドキはそこから3分の1をちぎり取り、残りを口に放り込む。

残った部分を捏ねると、掌サイズに小さくなった赤色の肉塊が残った。


そして前と同じく体を押さえつけられて口に押し込まれる。


「———こころ」



もう一度体の中に手を突っ込み弄ってくる。

今度は迷いなく一点を掴むと先程よりも短い時間で何かを引っ張り出した。


それは真っ黒な人型のシルエットだった。心なしかそのシルエットは男性の形をしているように見える。


「影……さっきのスライムと同じか」


影という単語に結びついたのは吸血鬼の使用した『影渡』と言われる術だ。

男が体内で飼っていた魔物は一種類ではなかったという事か。


同じように口に黒い肉塊を放り込まれる。


「———こころ」


こっちも『こころ』か。二体とも魔法を所持していたから魔力関係に優れていたのだろう。



そしてどうやら俺の中身はこれで空っぽらしい。


早く元の場所に戻してくれと思ったが、鵺モドキは俺など知らんとばかりに歩いていく。以前なら意識が失われていつの間にか戻っていたが、今回はそうはならなかった。


そこで俺は鵺モドキに付いていき、この世界を探索することにした。


グズグズになった肉を踏みしめながら鵺モドキの後を追う。

前回は確かめる事が出来なかったが、鵺モドキの鎖の先が何処に繋がっているのかも気になっている。


この空間が広いためか、それともどこかでループしているのかは分からないが、一向に景色が変わる気配がしない。鵺モドキはどこに向かって歩いているのだろう。


「足場が悪いな」


このままでは鵺モドキに置いて行かれると思った俺は、鵺モドキの足の一つにつかまる。


「!」


それを見た瞬間、背筋に寒気が走る。


鵺モドキの足には、哺乳類のように毛が生えていると思っていた。

確かに細く、振動で揺れている様は遠目から見れば毛に違いなかった。


がその全てが5本に分かれて、その5本の全てに爪が生えているとなれば話は別だ。


赤ん坊の手よりも小さな無数の腕が鵺モドキの体からは生えていた。



ただ、しばらく観察してそれらの腕が骨が入っていない、本当に形だけ腕の見た目をした毛だと気づいてからは、時々振動で手の平が俺の頬をさわさわと撫でる事以外は気にならなくなった。



俺は振り落とされないようにゆっくりと足をよじ登り、背中に降り立った。

背中も毛で覆われていたが、その下の皮膚は緑色に明滅していて非常に目に悪そうだった。

そして、肝心の景色は。


「たっか」


前世で飛行機に乗った記憶もあるので、高さ自体は大した物では無いが、この光景が生き物?の視界であることを意識すると、その異様さを実感する。


思わず手を伸ばしてしまうほどに天蓋が近い。



それでも、周囲には特別なものがある訳でも無く。


「やっぱり、何も無いな」


見渡す限り黒色の不毛の大地。鵺モドキはここで何をしているのだろう。

明らかに俺とは違う次元で生きる生物。以前に見かけた龍よりも、この鵺モドキは上位の存在のように感じる。




景色に飽きた俺は鵺モドキの背中の後ろの方へと手のような毛を掻き分けて進む。


すると、鵺モドキの後ろ足、その足首に嵌められた足枷が目に入った。

足枷からは鎖が伸びており、その先は鵺モドキ以外の何処かへと続いていた。



俺は足を滑り降りて、地面に立つとその鎖の先を辿っていく。見たところ鉄のように見えるがどの様な質感なのだろうと、それを拾い上げようとした手がすり抜ける。


俺では触れることが出来ないのか。


そうやって四苦八苦している俺の様子が煩わしかったのかいつの間にか鵺モドキがこちらを向いていた。



俺が鎖の先を辿ろうとしていることに気付いた鵺モドキはニタリと笑った。


そう、確実に笑ったのだ。


そうして細長い手を身体から俺に向かって伸ばすと、そのまま指先で額に触れる。


「・—◆■くさび—◆」


くさび、楔って何のことだ?どういう意味なんだ。


そう問い掛けようとして踏み出した時に金属が擦れるシャランという音を捉える。


鵺モドキの足から伸びる鎖の先が俺の足首へと続いていた。



「楔、俺が?」


視界が霧に隠れるように白く塗り潰すされていく中で、鵺モドキの嘲笑する顔が脳裏に灼きついて離れなかった。

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