第19話 血煙


 酒場で闇に飲み込まれた俺は、薄暗い室内の天井にできた穴から地面へと突き落とされる。その瞬間男の手が緩み、拘束から逃れた俺は、地面に受け身を取りながら男から離れた地面へと着地する。


 そこは、石壁に周囲を覆われた空間だった。まるで古い遺跡の中にでもいる気分だった。長い間換気をしていないのか、空気がひどく淀んで、かび臭い。


 俺は正面に降り立った男の姿を見て目を見開く。



「まさか、こんなところで計画の足止めを食らうとは思わなかったよ。ようやく人数を揃えた所だったというのにな……それが子供一人によって為されていたというなら、尚更だ」


 ——そう語る男の右腕は、すでに元に戻っていた。


 白魔術か、いや魔術を使っている様子は無かった。


「ああ、これ・・か。ククク、私は少し他とは違うからなぁ」


 男は、誇るように、自己に酔いしれるようにそう溢した。

 暗に『お前らとは違う』とでも言うようだ。気色が悪い。


 だが、状況が悪いのは確かだ。初見の敵、初見のフィールド、初見の力、逆に相手はこちらを知っている。『赫怒イラ』によって加速した思考の中で相手の力量を推し量ろうとする。


 唯一アドバンテージがあるとすれば、俺が呪術を使用することをこいつは知らなかったと言うこと。

 男が言った事から推測すると、俺が誓約の首飾りによって従属させた人間の中にこいつの部下がいたと言う事だ。


「どうした、少年。来ないのか?」


 逃げられないなら、前に出るしかない、か。


「ふぅ……『呪恨リゼント』」

「っ……呪術か、本当に小賢しい」


 男が懐から、柄から剣先まで赤銅色の直剣を取り出す。

 先程まで帯剣している様子は無かったので、おそらく『空間収納ストレージ』から取り出したものだろう。


 ビキビキと床を軋ませて前に踏み込んで来る。

 全身の速度を乗せて振るわれる切り払いを、硬化した左手で受け止める。


 しかし、人間が振るったものとは思えないほどに重みを感じる。


「ぐぅっ…」


 爪先で石畳の表面を削りながら衝撃を受け止める。


「大した馬鹿力だ、だが私ほどでは無いな」


 だが、武器は奪ったぞ。



 そう思った瞬間、赤銅色の刀身がグニャリと歪み俺の手から逃れる。

 液体のように形を変えた剣先が球状に集まり、表面に棘が生える。


 モーニングスターと呼ばれる形になったそれを、男が力のままに振るう。


「ッガァッ!!」


 一時的に『赫怒イラ』へ注ぐ魔力を増やし、モーニングスターの表面を叩いて速度を殺す。

 同時に、モーニングスターを握る右腕を左膝で蹴り砕き、曲げた膝に力を溜めて男の鳩尾へと前蹴りを繰り出す。


 尋常では無い速度で打ち出された男の体は石壁と激しい抱擁を交わす。

 男の体は投身自殺でもしたかのように全身から血を流しながら潰れていた。


 その傷は明らかに致命傷。


「ふぅ」


 蹴り出した足を戻して直立すると周囲に…




「ククク」

「なっ!?」


 驚いて視線を戻すと、男が立ち上がっていた。

 血だらけの男は、皮膚一枚でかろうじて繋がって右手を左手で引きちぎると、後に投げ捨てる。べチャリと湿った音を立てる。



「ははは、ハハハハハ!!痛い、痛いなあ少年」

「お前、魔物か」

「外れだ、私は正真正銘、人間だよ」


 そう言う男の腕からは血が溢れ出る。

 しかし、吹き出した血はいきなりその動きを停止して逆再生でもするかのようにその傷口へと戻ってくる。

 血が戻ると、今度は傷口の肉が盛り上がり、肉と骨が伸びる。

 肉の塊が手の形を作ると、今度は表面を皮膚が侵食するように覆い、完全に元どおりとなった。


 男が手首をプラプラと揺らして、その調子を確認する。

 余りにもその再生速度は異常だった。


「ただ、私が人と違う点を挙げるとするなら、クラスが『吸血鬼』ということだろうか」

「吸血鬼、だと」

「そう、知らなかったか?吸血鬼は魔物では無く人間という事だ、少年」


 アンデッドに分類されると思っていた吸血鬼だが、男の言うことが本当なら、人間に分類されるという事。

 もしかすると、フィーネも人間に分類されるかも知れない。


「これまで、少し手を抜いていたが、ここから、出し惜しみはしない」


 暗に『だから負けてない』とでも言いたげな様子は、見た目以上に幼稚だった。


「では、本当の死合いをはじめよう」


 その再生が無限に続くとするならば、こちらに勝ち目は無い。

 きっと限りがあるはず。そう思わないとやってられない。

 幸い攻撃は通る、不可能じゃない。その筈だ。


「『刀血』」


 男の左手から血が噴き出し、瞬く間に刀を形成する。

 彼はそれを左手に、そしていつの間にか彼の元に戻っていた赤銅色の剣を右手に構える。


 そのまま踏み込んで来ると予想したが、次の行動はそれを裏切った。


「『影渡』」


 トン、と床を蹴り後へ跳ぶ。

 彼の背後には石壁があった。そして当たり前のようにぶつかり、そして壁の中に消えた。


「酒場のあれか」


 俺はここまで運ばれたときの闇を思い浮かべ呟いた。

 どこだ、何処に消えた。……ッ



「正解だ、少年」

「……カハッ」


 上半身だけを背後の地面から生やした男が突き出した赤刀、その鋒が、俺の腹部を貫いた。


 男の口が弧を描く。




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