第10話 その拳が砕くのは

「俺を舐めるのも大概にしろよ、フィーネぇ!」


 足に武技の魔力を纏わせて水面に体重をかけた踏み込み、震脚を放つ。

 洞窟の天井に届く程に高く飛沫が上がりフィーネの姿が隠れる。


 スゥ


 フィーネの息遣いが僅かに耳に届くと同時に波が縦に2つに裂かれる。散った飛沫がフィーネの服を泥色に濡らして行く。

 震脚によって得た勢いを利用して、俺は側面からフィーネに迫る。


「っち」


 舌打ちと共に振り上げたサーベルを横に構えるフィーネ。


「はぁっ!」


 このまま踏み込めば間違いなく真っ二つになる俺は、壁面の岩を指で削り取り走る速度も乗せて投げ付ける。


 俺の攻撃が予想外だったのか、フィーネは目を見開くと刃を身体の前に掲げて、礫を受け流す。

 それに数瞬遅れてフィーネの間合いに踏み込むと、身体の前を左腕で隠す様に構えながらフィーネに突進する。


 このまま吹き飛ばして壁に叩きつけようとしたが、衝突の瞬間にフィーネの体が沈む。


 速度を乗せるために前傾姿勢になっていた俺はそのままフィーネが再び立ち上がる勢いによって背中で投げられる。


「がっ、ぁあ!」


 背中が壁面にぶつかり肺の空気を押し出され、眼前がチカチカと明滅する。思わず地面に手を付いてしまうが、視界の隅に壁面を蹴ってこちらへ迫るフィーネが映る。


 時間稼ぎがわりに水面に手刀を繰り出し先程と同じく飛沫を上げる。


「うざったい!」


 濡れることを嫌ったフィーネは直前で壁面を蹴る角度変えると飛び退いて一度距離を取る。


 彼我の距離を把握した俺は腹の底で魔力を回した。


「!させないっ」


 以前フィーネと戦った時に見せた『赫怒イラ』を彼女は警戒していた。そしてその発動が隙になり得ると勘づいていたのだろう。


 俺は呪術を比較的素早く発動出来るとはいえ、身体を変化させるこの呪術は少しのタメが必要となる。


 レトナークにて大量の冒険者の力を呑んだ事で俺とフィーネの実力差は以前よりは埋まっていた。

 ならばこの喧嘩は、俺が『赫怒イラ』を発動出来れば勝ち、そうでなければフィーネが勝てるものだ。




 そう、


 鼻の先までフィーネのサーベルが迫る。


「——『忘却オブリビオン』」


「!?な、ん」


 先ほどまで魔力が渦巻いていた部位、丹田のところを中心に発光し忘却の波動が広がる。光がフィーネの思考に空白を挟み込む。

 剣士であるため、魔術の制御を手放すことは無いが、それでも敵の眼前で大きな隙を晒す事がどれだけ危険かは明らかだろう。


 フィーネの紅の瞳が光を取り戻したと同時に、彼女の鳩尾に俺の肘鉄が入る。

 半分意識を失っていた上に、俺に一撃を入れるために踏み込んでいた勢いを利用したので大きなカウンターを喰らった形になる。


「おっ、ぐ、ぅ」



 フィーネの攻撃力を削ぐために、サーベルの柄を握り、もう一度鳩尾に、今度は膝蹴りを叩き込む。これで武器を奪う…!


 フィーネは膝と鳩尾の間に左手を差し込むことで衝撃を殺し、流れに逆らわずに後ろへ飛び壁に着地する。

 奪ったと思ったサーベルは彼女の手元にあった。


 驚いて、自身の左手を見下ろすと、指の何本かが逆向きに折り曲がっていた。

 遅れて鈍い痛みを訴える。曲げられたのは小指と薬指。これで握力を奪ったのだろうが、本当に意味が分からない。


「…!、ふざけた手癖してるな」


 もうこれで掴んだり、投げたりすることはできないだろう。


「もうやめたら。謝ったら許してあげる」


 フィーネが頭を傾けて、嘲笑うように告げる。


 どこかのタイミングで、落とした灯りが水の中から洞窟内を照らしていた。

 松明や燃料を使用するタイプのランタンだったら今頃真っ暗だっただろう。


 曲がった左の指を顎で抑えて正しい方向に曲げ直す。

 バキリと重い音がして、今度は握った状態のまま動かなくなる。


 これで少なくとも拳は作れる。


「…、はぁ、ゴトーこそ、ふざけた体してる」


 フィーネは顎を引くと、サーベルを握り直した。

 水面で屈折した光が、その金の髪を薄く照らす。



 二人は同時に踏み込んだ。





 ——フィーネは何かを俺に隠している。



 フィーネが放つ銀閃を、泥で塗れた体を無理やり動かして避ける。

 避ける時の回転を使って同時に放った裏拳を、フィーネは柄から離した左手で柔らかく受け止めると俺の体が宙を舞う。



 ——フィーネの秘密は進化に関わることだ。



 鳩尾への攻撃によって足の動きが鈍ったフィーネはこれまでの壁を使用した速攻ができず、俺への追撃を諦める。

 加えてこれまでの水を利用した妨害によってフィーネの体には泥を含んだ水で濡れている。軽装を好むフィーネだがここまで水を吸ったことで、その服の重さは鎧と変わらない程となり、確実にフィーネの剣から速度を奪っていた。


 俺がフィーネに向かって飛び込むと、身動きの出来ない空中での隙を見つけてフィーネが居合を放つ。

 俺はフィーネの動きを真似て壁を蹴って自身のベクトルを無理やり曲げ、剣閃よりも低く、水面に顔を擦るようにして躱す。


 フィーネの背後に抜けた俺は、そのまま鉄山靠を繰り出すが、居合で振り抜いた剣でその勢いのまま背後まで薙ぎ払ってくる。


 サーベルの鍔が俺の背中を叩き、思わず呻いた。



 ——フィーネは何かを我慢している。



 代わりに背後へ向かって肘を突き出すが、フィーネは俺の背中に張り付いたままクルリと避け、俺たち二人が背中合わせに半回転しただけで終わった。

 フィーネはサーベルを逆手に持ち替え、背後へ突き出して来たので俺は再び壁を蹴って三角跳びで後退する。



 ——フィーネの理性を打ち破って決壊した何かを俺では止められない

 ——そう、フィーネは思っている。


 フィーネは斬り、極め、投げる。

 俺は避けて、殴り、蹴る。

 泥に含まれる砂で皮膚が擦れて血が滲む。

 掠めた剣先によって額が切れる。

 壁面からせり出た岩に叩きつけられて衝撃で意識が飛びかける。


 二人の息は上がり、その動きも精彩を欠きつつあった。


「あれだけ、大口、叩いていた割に…っはぁ、まだ、仕留め切れないのか?大したものだなァ!」

「…っハ、う、るさい。ボロボロの、癖に」


 疲労で速度の落ちた袈裟斬りを裏拳で弾く。


 繰り出した蹴りを掴まれ、捻り上げられる。


 無理矢理引き戻し、壊れた拳を突き出す。


 拳が空を切ったかと思えば手首を掴まれ、背負い投げをされてしまう。投げる途中で掴んでいた手が滑って俺は少し離れた位置に着水した。


「……プハッ、…お前には…おれが今にも…倒れてしまいそうなほど…頼りなく…見えて…いるか」

「——ぃ——」


 途切れ途切れになりながら言葉を紡ぐ。

 フィーネの返事は聞こえなかった、どうせ『倒れそうにしか見えない』とでも言っているのだろう。


 実際そうだ、『赫怒イラ』を使えば彼女の速度と技術に対して力で対抗することが出来たのかもしれない。

 まともに一撃が入ったのは初見の『忘却オブリビオン』による一発のみ。


 迷宮に入ってからの戦闘で疲労が溜まっていなかったら、既におれの意識は刈り取られて居ただろう。


 震える膝を気持ちで支える。精一杯の虚勢だ。それだけでおれは立っている。




「すぅ……俺を舐めるなよ、フィーネ」




「何度も挫けて、敗れて、倒れて。その度に立ち上がって来た。俺は、そういう






 ——ゴブリンだ」



 フィーネの影が前傾姿勢に倒れ込む。

 来る。

 最早飛び込む力も惜しい俺は迎え撃つしか無い。

 肩は脱力し、深く踏み込む。

 地面から受け取った力を膝を通して、太腿で増幅する。

 腰を捻り回転の力を更に加算する。

 斜め下から加速させた左拳にその力を乗せて、理想的な角度と速度、タイミングで拳を解き放った。


 最後はサーベルを使うと思っていた。

 剣は彼女の根幹を成す物だと思っていたから。


 だが、無手ではきっと届かない。


 だから疲労によって速度が落ち、予測が簡単になったフィーネの居合い、それを放つ"右手"を狙ったのだ。


 無理をさせた代償として今度こそ壊れた拳だが、それと引き換えにフィーネも同等以上の怪我を負った。

 同時にこれまで離さなかった剣が手からこぼれ落ちる。


 フィーネの左手がサーベルの柄へと伸びる。



「ぐ、ぁあ"あ"あ"あ"!!」


 この機を逃すまいと思った俺は肘でも蹴りでもなく、咄嗟に頭突きを繰り出した。


 視線がサーベルを向いていたフィーネは急に近づく俺の顔に驚いたが、避ける事は叶わずフィーネの額に激突する。


 ビリヤードの様に弾かれて、ばしゃりと水飛沫を上げてフィーネが後ろに倒れる。




 倒れたフィーネの目は回っていた。


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