第8話 剣の休日

 此処は冒険者の都市。


 迷宮とそこから溢れる財宝と名声を求めて海を越え山を越え冒険者が訪れる。

 この世界の子供は迷宮を冒険する話を聞いて育つ。


 それ程に迷宮という存在は謎と憧れに満ちているのだ。



 あらゆる人種がごった返すこの都市に、一匹、魔物が紛れ込んでいた。


 剣士と言うには鎧もなく、街人のように涼しげな衣装だけを身に纏い、唯一腰に佩びる使い古された剣だけが彼女が戦う者であることを示していた。


 背中まである金髪と鮮烈な赤い瞳は、少女と女性の境といった風貌も相まって怪しげな魅力を周囲に放っていた。今もすれ違う男が思わず視線を吸い寄せられる。


 彼女は憂いを感じる表情でそれ・・を見詰めていた。


「それ、一つ頂戴」

「あいよ、銅貨2枚」

「はい」


 半球状のパンのような物を店主が渡す。

 フィーネはそれを受け取ると、歩きながらそれにかぶり付く。中から肉汁が溢れ出て彼女の口の端から少し垂れる。それを親指で掬い取り舐めると、彼女の機嫌は上向きになる。


 露店の商人の呼び込みの声、道端を走る子供の歓声、昼間から酔った冒険者が発する怒声、道を急ぐ人間の足音、すれ違う時の服が擦れる僅かな音。

 思わず耳を塞いでしまいそうな程に、音が溢れているがフィーネはそれを不快とは思わなかった。

 フィーネは人混みの中を泳ぐようにスイスイと進んで行く。



 ゴトーが見れば『肉まん』を思い浮かべるだろうそれを食べ終わる頃にはフィーネは既に目的地に着いていた。



 カン…カン…カン…カン


 金属で金属を叩く甲高い音が聞こえる。

 彼女が訪れたのは鍛冶屋だった。

 大抵の鍛冶屋は温度管理のためと特に技術の秘匿のために工房は外からは見えないようになっていることが殆どだが、ここは都市が提供している貸し工房のような物なので、作業している者の多くが駆け出しなどの金の無い者か、逆に技術を盗みに来るものしか居ないので特に問題は無かった。


 もちろんそんなことを知らないフィーネからすれば、ここで作業している者は自身が中を覗いても怒らないということさえわかれば十分だった。


 ただ、全く気にしないというのは無理なようで、作業している者は食い入るように見詰めるフィーネの方をチラチラと見る程度には集中力を削がれていた。


 その中で、一人の男が作業に没頭していた。


 その頭髪には白いものが混じり、老年とは行かないまでも盛りを過ぎた齢であるのは確かだった。しかし、年齢に似合わないほどにその腕は太く、はち切れんばかりに密度があった。

 炉の火で日焼けした顔に刻まれた皺が男の積み上げた経験の重さを物語っていた。


 周囲の人間が魔術具による加熱を利用した新しい炉を使っているのにも関わらず、男は魔術式の刻まれていないシンプルな炉の前に居た。


 この世界での鍛治における加熱には空気と燃料では無く基本的に魔力を使用する。

 鍛治を行うものが炉に魔力を注ぐことで魔術式が起動し炉内部の温度を上げる。

 大昔は木や炭を燃やしてそれをしていたが現在では魔術式を使用するものが主だ。


 では、それ以外の方式には何があるのか。


 それが男の前に据えられた火竜炉だった。

 これは火竜と言われるサラマンダーが持つ発熱器官を炉心に、その骨を混ぜ込んだ煉瓦によって組み上げられた贅沢な品だ。


 通常の炉では魔術式を刻印した天板が溶けてしまう程の高温を扱う時に使用する。


 男は慣れた手つきで自身の目を手拭いで覆う。

 すぐ側の台に用意された水桶を掴み頭から水を被る。

 最後に人差し指ほどの大きさの鉄の棒を口に咥えると長い鉄製の器具を用いて炉の取手に掛ける。


 男が火竜炉の口を開くと工房内部の温度が一段階上がったのが分かった。


 フィーネからは方向の関係から炉の口は見えなかったが男の顔が煌々と照らされる様子から内部の温度が途轍もない物である事は分かった。もし内部を肉眼で見れば一眼で失明してしまうだろう。

 だからこそ男は稼働している炉の中を見た事がない。彼は自身の肌を灼く感覚と火箸を通した指先の感覚でしかその中を知らなかった。


 炉の中を覗き込む様に屈んで、動きを止める。


 肌と口に挟んだ鉄棒から伝わる熱でもう少しで目的の温度になると感じ取った漢は炉に立てかけられたスコップを手に取ると炉の中に燃料を放り込むと扉を閉める。


 燃料と言っても投げ込まれたのは石炭や木炭ではなく魔力が結晶化した鉱石だ。

 一粒で1ヶ月は夜を照らす明かりとなるそれを、少しの躊躇いもなく消費していく。


 ドクドクと鼓動を打つように一定のリズムで炉心が熱を発生させる。不思議なことに火竜炉は温度が上がれば上がる程熱量に対して必要となる燃料は減っていく。まるで、火竜が餌を食べて喜んでいる様だった。


 数十秒程の作業で男が被った筈の水は既に蒸発してしまっていた。


 しばらくしてまた男が目を覆い、水を被り、鉄棒を咥え、炉を開く。

 今度は納得行ったようで火箸を炉に突き込むと中身を取り出す。


 高い温度のために赤を通り越して青白くすら見える金属の塊が現れた。


 男は炉と同じく使い古した槌を握ると、筋肉を膨張させて真っ直ぐ振り下ろす。

 動きの荒々しさに反して振るわれる槌の先は全くブレない。

 その為、金属同士がぶつかり合う甲高い音も一切の濁りを感じさせなかった。


 だが、それは単調という訳ではない。

 叩く場所や広がり具合によって音の高さや響き方は変わるし叩く強さによってその大きさは変わる。

 叩く事で元の形に戻っていくように淀みなく槌が振るわれる。


 フィーネはそれがどういった意図を持って振るわれているのかは分からない。

 しかし、男が作り出す心地良い音が、どれほどの技術を持って成されているのかは剣士として察する事ができた。


 時々こうやって工房を覗くのが最近のフィーネの過ごし方だった。彼女にとって未だに人間は嫌悪の対象であったが彼らの振るう技の中には自身では想像も付かないほど緻密なものもある事を、少し癪ではあるが、認めるしか無かった。

 それに、ここで静かに音に浸る事は彼女の乱れた心を鎮めるためにも必要な事だった。



 結局フィーネが満足する頃にはここへやってくる時に胃袋へ納めた筈の物が消化され、次の食事を求める程の時間が経っていた。

 端的に言えば小腹が空いた。


 彼女は鍛冶屋での光景を脳裏に思い浮かべながら露店を冷やかす。

 今回は瑞々しい果実を中心に目に付いたものから購入していく。


 左手で抱えながら右手で口に放り込む。

 時々熟していない物に当たると一瞬口の動きが止まって目を細める。酸味ごと飲み込むと口直しをするように直ぐに次の果実を掴んだ。



 そうやって今度は細工か彫刻でも冷やかそうかと思案していると一人の男とすれ違う。


 フィーネはその男を剣士だと認識した。

 剣を使う冒険者では無く、剣を操るつわものであると。


 剣を使用する人間には剣術スキルが発生する。それが影響を与えるのは、剣速、腕力、技の選択、反射速度、身のこなしなど多岐に渡る。

 ではそれらの効果が常に100%働いているかと言うとそれは違う。


 当たり前のことだが剣術スキルが最も効果を発揮するのは剣を使う時。

 つまり剣を握っていない時はゼロでは無いが極一部しか作用していないのだ。



 だからフィーネは少し警戒した。これまで態々スキルとしてでは無く自身の中に根付く技術として剣術を修める人間は居なかったから。


 男は少しフィーネの顔を見ると喜色を浮かべ、彼女の正面に立つ。


「君がフィーネさんで合ってるかな?俺はレイン、迷宮の最奥を目指している冒険者だ」

「そう」


 フィーネはナンパを受けた女性のように淡白な相槌を返して男の横を抜けようとするが男が進路を塞ぐ。


「急いでいるようだから、端的に言うと、君を俺の所属するパーティに迎え入れたいと思っている。直接見て確信した。君は素晴らしい力を持っている」


 肯定にしろ否定にしろ、言葉を貰わない限りは引かないという表情にフィーネは溜息を吐いた。

 文字通りこの状況を一刻も早く切り抜けたいフィーネはサーベルを抜くか悩んだが、こんな往来で暴れたらどうなるか位は流石にフィーネも分かっていた。

 鞘に添えた左手を静かに下ろすとフィーネは勧誘に対する返信を口にした。


「そういうのはゴトーに言って」


 否定しても肯定しても話が長引きそうだと感じたフィーネは彼の矛先を別のところに向けた。


 煩わしげに放たれたフィーネのその言葉から彼女の気持ちを感じ取ったレインは潔く引くことにした。


「そうか。なら今度君の相棒に会いに行くと、伝言をお願いするよ。それじゃあ、これで」


 最後に手を軽く振って断りを入れると、レインはフィーネの脇を抜けて人混みの中に消えていった。


 フィーネはというと、数瞬前に頼まれた伝言の事を忘れて、露店巡りを再開していた。




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 職人ってカッコいいですよね。自分は不器用なので憧れます。

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