第10話 滝

 森の深層、であった筈の所に滝があった。元々渓流だったものが隕石の爆発で飛来した岩によって堰き止められているらしい。岩の上からカーテンのように滝となって水が流れている。4、5メートルほどの小さな滝だ。


 そしてその裏に小さな空間がある事に気づいたため、ローチの大群を振り切った俺たちはそこに隠れる事にした。


 じっとしていれば、いずれ俺たちの元へとローチは集まって来るだろうが、一時の休憩ならば十分だろう。水で囲まれているだけあって俺たちの存在を感知することも難しいだろうし、蟲相手なら滝が障害となって侵入を防ぐことも期待できる。


 背後では滝壺に水が叩きつけられる音が響いているのにも関わらず、不思議な静寂がこの空間を支配していた。


 フィーネを湿った岸壁に寄りかからせる。

 彼女はサーベルを肩に抱え込む様に座ると、休憩を始めた。

 先ほどまで息が上がるほどに疲労していたが、今は少し肩が上下している程度だ。

 所々彼女の体にはローチの物と思われる噛み傷が見られた。


「…ごめん」

「気にするな。俺だってフィーネに頼ったことは有る」

「……そう」


 呪術師と戦った後に動けなくなった俺を運んだのはフィーネだと聞いている。

 独学に頼っていた鍛錬だってフィーネと手合わせをするようになってから自身の技術が急速に磨かれているのが実感出来ている。


 それでもフィーネの顔が晴れないのは彼女が万全では無いためだろうか。

 普段はもう少し小憎たらしい表情を浮かべているものだが、いつになく後ろ向きだ。


「…」


 沈黙に堪え兼ねて視線を逸らした。

 瀑布を透かしてその奥にある暗い森が目に入る。幸いな事に、六足の茶黒い節足動物は見当たらない。この分ではもうしばらく大丈夫か。


「フィーネ。体の痺れは無いか?」

「…ん」こく


 ポーンローチの持っていた麻痺毒を食らっていたら不味いと思ったが…。



「嘘だな」

「!…ちがう」


 彼女の返答には間があった。

 戦闘では彼女には及ばないが、人の心を察する術では俺の方に一日の長があるらしい。自分の疲労によって離脱を選択した上に毒でこの後も足手まといとなる事が怖いのだろう。

 感情の薄い彼女の年相応?な態度に俺は怒るよりも先に少し安心した。


「少し、外に出る」

「…」こく



 俺は森に出ると適当な薬草を素早くいくつか摘んでいく。

 必要量はそこまで無いはずだから採集も直ぐに終わった。

 途中森を見渡すが、やはり生物の気配はしない。地龍とクイーンローチの影響だろうとは思うが、それでも酷く不気味だった。

 以前街に出て来る前に立ち寄った洋館の周りの森もこんな感じだったが、こちらは嵐の前の静けさというか不安にさせられるような感覚がある。


 フィーネの目の前で、薬草の成分の強い部分を千切り取ると、


「よく噛んで飲み込め、多分効果はあるはずだ」


 受け取ったフィーネは薬草を小さい口に放り込む。

 しばらく咀嚼した後飲み込むと顔を顰める。


「にが」

「薬草はそういう物だろ」


 彼女に渡したのは代謝を促進させる物だ。痺れは一時的な物と聞いているし、血の巡りを早くすれば痺れが抜けるのも早くはなるだろう。

 毒の種類によってはこういう処方は逆に悪化させる事となるので、使用の際にはある程度使い分けに気を付ける必要はあるが風邪にも効果があると言われるので大変便利だ。

 本来なら煎じて飲む方が良いが、そんな道具は持ってきてはいないのでこれで我慢してもらおう。


「ここに来る前に奥の方にいたでかい奴、覚えてるか」

「……ん」こく

「多分そいつを倒さないと俺たちは逃げられない。ここもローチ達に囲まれているだろうし、ここに居てもいずれ見つかるだろう」

「…そう、ね」

「フィーネから見て、クイーンは殺れそうか」

「…わからない。…むし、は、むずかしい」


 動きが読めないという事だろうか。確かに、虫の複眼はどこを見つめてるのかわかりずらく予測が出来ないところはあるかも知れない。


「くいーんだけ、なら、だいじょうぶ、かも」



 フィーネはその特徴から短期決戦を得意としている。

 クイーンとフィーネが一対一で戦う舞台を整えれば可能性は高いだろう。


 しかし周りには多くのローチが群がっている筈だ。

 俺は赤魔力にある防御があるので問題ないが、フィーネはそれを無視できない。


 俺の役目は雑魚の排除とクイーンの護衛の足止めと割り切る事にする。

 どちらにせよクイーンは見た感じ俺では勝てそうにない。デカいし硬そうだし。


 問題は俺がフィーネを信じ切れるかどうか。


 …はぁ。



「フィーネ、俺がクイーン以外をどうにかする。まずは…」




 ◆




 夜明け前の薄暗い森の中をローチの大群が北方に向けて移動を始める。

 その中には当然黒光りする巨体があった。その全長は数十メートルはあるがそのほとんどが産卵器官であり、移動している現在もその腹部では人間大はある卵が産み落とされる。

 地面に落ちた卵を覆う薄皮が破れると中から大量のローチが溢れ出て来る。


 ギチギチと甲殻同士が擦れる音を響かせながらクイーンの周囲をさらに黒く染め上げていく。


 クイーンの目の前を丸々と太ったポーンローチの1匹が通る。

 途端にクイーンの触腕がそれを捕まえる。


「キジィィッ」


 体に爪が減り込み、軋むような声を上げる。

 ひしゃげて動かなくなったポーンローチを口元まで持って来ると、口から飛び出した牙によってクワガタの様にその体を挟み潰すと、その体液を啜りとった。


 ローチが集めた栄養をクイーンはその身体ごと回収しているのだ。


 潰されて中身の無くなった食べ残りにクイーンの隣を固めるナイトローチが群がって甲殻の中身を舐めとっていく。おこぼれをもらおうとローチも寄って来るがナイトローチがその触覚で邪魔なローチを叩き潰し、ついでに胃袋へと放り込まれる。


 後には消化の出来ない甲殻と少しの羽だけが残された。




 クイーン含むローチの大群が暫く進むと、渓流を堰き止める大岩の前に一人の人間が陣取っているのが見えた。



「ジュチィィィ!!」


 久々の獲物にローチ達は喜びの音を上げる。

 特に知能の低いローチを先頭として川を挟みこむようにして人間へと近寄って行く。


 それを確認した人間の様子が変わる。

 クイーンローチに僅かに存在する思考が、その変化が魔力による物だと判断する。


「『怒気アングリィアウラ』」


 人間の周囲に赤色の蒸気が立ち込める。


「『憤怒ラース』」


 空気が切り詰める。まるで飛びかかる寸前の肉食動物を目の前にした時のようだ。


 人間が拳を構える。体を覆って居た赤いオーラが左腕に収束して行く。


「……『赫腕レッドフィスト過呪オーバードライブ』」


 過剰に供給された魔力によって呪術が多大な副作用と引き換えにその働きを増大させる。

 ボコボコと、体の中が歪に膨らんでいく。

 特に構えらえた腕の筋肉が肥大化して、胴回りとほとんど変わらない太さまで変形した。


 その姿は片腕だけが大きく進化した蟹を想起させるが、実際はもっと急激で不自然な変化であり、その代償が要求されるだろうことは明らかだった。



「ハァァァァァアッ!!」



 肥大化した拳がぶつけられた先は、渓流を堰き止め滝を形作っていた大岩だった。


 込められた全ての力を吐き出し、その内部を爆発させる。

 岩の表面に罅が入り、隙間から水が漏れ出す。

 直ぐに水の勢いが強くなって行き、それが止めとなったのか完全に岩が割れて崩れ落ちる。


 その後に来るのは大量の水流。


 クイーンも完全には受け止めきれず、少し流される。

 それよりも影響を受けるのがローチやポーンローチだった。

 空を飛ぶことを得意として居ないローチは地を這って移動する。

 そのため、足元5センチ程度の水で溺死するか、そうでなくとも自由に移動はできなくなる。


 後に残ったのはクイーンのみ。

 ナイトローチ達も初めの濁流によってクイーンよりも遠くに押し流されていた。


 気づけば初めに大岩の前に立っていた人間も居なくなり、一匹の虫と一人の剣士だけが残った。




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 水攻めは戦いの基本

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