第9話 龍
パラパラと砂礫が降り注ぐ。
ここから中心地点までの距離は目測で1キロはある。
それだけで先程の隕石がどれほどの影響を与えたかが伺える。
地面との衝突で巻き上がった砂埃が未だに落下点を中心として立ち昇っている。
まるで爆撃でもあったかの様だが、先ほどの威力を考えるとその光景すらも控えめに思えて来る。
「人間だけじゃないのか、俺の敵は…」
そう嘆かずにはいられなかった。
存在そのものが核の様な生き物がいるなど、どうして考えが及ぶだろうか。
災害と言われていた、スタンピード。
俺たちはおそらくそれを退けることが出来た。
そんな俺たちをそれこそ羽虫の様に地形ごと吹き飛ばすなど。
「っははは……。くそっ」
笑い飛ばしてしまおうとしたが、思いもよらぬ理不尽に怒りが抑えられなかった。
近くに転がった木の幹を力の限り殴りつけると、幹の表面が破裂した様に砕ける。
一方の俺の拳には傷一つ付かない。
俺がこの世界で生まれた直後であれば、むしろ俺の掌の方が割れていただろう。
それに比べれば今の自分がどれほど強くなったのかは理解できた。
だが、
ムニィ
フィーネに頰を抓られた。
彼女の顔は不機嫌そうに歪んでいる。おそらく俺の気持ちが下向きになったのを察したのだろうが、別に絶望したわけでは無い。
「分かってる」
俺の頰が解放される。顔を摩りながら、彼女に非難の目を向けるがフィーネは既に地龍のいるであろう方角の方を向く。
爆発の寸前の光景が目に浮かぶ。
聖女は地龍が現れてもなお、慌てる事なく光の旗を維持し続けていた。
そして、このタイミングで聖女が街に来た事と言いあまりにもタイミングが良過ぎて引っ掛かるのだ。
まるで、地龍の討伐を目的として聖女が現れたかの様だ。
もしそうなら…、
「戻る必要がある」
そして、あわよくば、相打ちになった所を掠め取る。
「街まで戻るぞ、フィーネ」
「ん」こくこく
俺たちは、周りを囲む茶黒い蟲を対して背中合わせに構えた。
どうやらローチの巣と思われる場所がここから近いらしい。どうせなら隕石で潰れてしまえば良かったのだがな。
瓦礫の隙間から湧き出すローチ達の中にはチラホラと上位種であるポーンローチの姿が見える。
流石に無強化のまま挑むのは危険か。
「『
俺の体を赤色の魔力が覆う。
俺の戦い方には中間が無いと、常々思っていた。
苦戦しない相手には無強化で、苦戦する相手には『
格上相手でも通用するといえば聞こえは良いが、『
だから、俺は『
この呪術の作用は主に三つ。
一つ目は体を戦闘用に変化させる効果。これによって身体能力は倍増し、俺の認識する時間が引き伸ばされている。最も重要で最も反動の大きい部分だ。反動によって使用後に血が足りなくなり、体が動かなくなる。
二つ目は赤いオーラを発生させる効果。どうやらこれは少しの身体能力強化と、攻撃から体を守る鎧の役割をしている。反動は倦怠感と、思いの外軽い。
三つ目はおそらく理性の枷を外す効果だ。多分『
そして、俺は一つ目の効果を『
簡単に言えば、『
ここで俺が『
俺の持つ呪術の中でこれが最も反動が小さく、防御を上げることができるのだ。
赤い魔力を纏っている部分はローチの攻撃を弾き、逆に俺の攻撃は上位種の甲殻でも簡単に貫く事ができる。
隕石の爆発の際に棍棒を失った俺だが、この呪術の影響で適当に腕や足を振り回すだけでローチをすり潰すことが出来ていた。
ただ、予期していたよりもローチの手応えが軽く、もしかすると赤い魔力には相手の防御を弱める効果もあるかも知れない。
普通のローチもポーンローチも同じ様に地面の染みへと帰す作業を続けていると、背後で風を着る音が響く。
体を逸らすと背後の岩に切り傷が刻まれる。
これを喰らうとまずいな。
攻撃された方向を見ると、人間大はある大きなローチが木の影からのそりと現れた。
ポーンローチはローチをそのまま大きくした感じだが、これは触覚が異様に長く左右二本ずつに増えて、体高が高くなりバッタに近い見た目になっている。
そいつ、ナイトローチは顔を洗う様に前足で拭うと、無機質な瞳でフィーネを写す。
同時に合計四本の触覚でフィーネが狙われる。
彼女はゆらりと幽鬼の様な動きで触覚を避けてその軌道上にサーベルを置くと、攻撃の勢いで触覚が半分に切り裂かれる。
「ギュgyyyyィ」
なんとも表現の難しい声でナイトローチは喚くと、後ろ足に力を込める。外骨格が軋む。
フィーネは目を見開いてナイトローチの正面から横にステップを踏むが、ナイトローチの突進の方が速かった。
彼女は剣で突進を受けようとするが、フィーネの体格でナイトローチの体重を受け止めるのは難しいだろう。
衝突の寸前にナイトローチの横っ面に俺の膝が入った。念のために赤い魔力を右膝に纏っている。
顔面がひしゃげて、ピクピクと足が跳ねる。これで戦うことは出来なくなっただろう。
「……ありが、と」
「気にするな、戦えるか?」
「…ん」こく
彼女はそう言っていたが、明らかに様子がおかしかった。
先程現れたナイトローチは確かに弱くはないが、それでもオークウォリアーなどのオークの上位種よりは弱い程度の魔物だ。
普段俺を圧倒するフィーネが負ける魔物の様には思えなかった。
そして、俺の心配が的中する様にだんだんとフィーネの動きが精彩を欠いていく。
攻撃から攻撃に移るときに時間がかかり、時々ローチの攻撃を受けている。
明らかに体力が尽きてきている。
おそらくフィーネはこれまで、一瞬で勝負が着く様な戦いしかした事が無い。
一対一や一対数人であればそれでも問題は無いが、ここでは一対数百が求められている。
対して俺は無手で戦っているので武器を振り回すのに比べて負担が小さい。
彼女がガス欠になるのも頷ける。
「逃げるぞ!フィーネ」
だが目を向けた先のフィーネの息は上がっていて足は小鹿の様に震えていた。
ヘロヘロになったフィーネを肩に担ぐと、ローチの包囲の薄い方から抜けるべく倒れていない樹木の枝に飛び移り、地面を避けてできるだけ遠くに逃げる。
彼女は疲労に喘ぎながらも悔しそうに眉を寄せる。
途中、強い寒気を感じて背後に目を向けると、蟲の波の奥に巨大なローチがこちらを注目しているのに気づいた。
「クイーンローチか。目を付けられたな」
ローチ種の最上位種、クイーンローチ。
巨大な体をその体から繰り出される攻撃も脅威だが、それよりも恐れられているのは異常な程の産卵速度。
この個体が産み落とす卵の孵化は通常よりも遥かに早く、そして上位種として生まれる割合が多い。
間違い無くスタンピードの原因はコイツだった。
そして最悪な事にクイーンが俺に狙いを定めている事に気づいて、鳥肌が立った。
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