第5話 予兆

 白魔術の本を読み漁っていると、背後に誰かが立っているのに気付いた。


 神官服に身を包む茶髪の女性だ。ギルドでは見たことが無いから、おそらく教会から来たのだろう。

 彼女は眼鏡越しに俺の本を覗き込んでいたが、俺の視線に気付くと表情を取り繕う。

 その長い髪を後ろで留める琥珀色のバレッタが目に付いた。


「ふふっ、冒険者さんですか。こんにちは」

「…こんにちは」


 思いの外気安い態度に、返事がワンテンポ遅れる。


「勉強熱心なのですね」

「えぇ、まあ。使えるに越したことはないですから」

「…」


 突如彼女が黙り込む。彼女の青眼が俺を射抜く。


 何かまずい事でも言っただろうか。


「ん〜……無理ですね」

「どういう意味ですか?」

「あなたは法術を習得することはできないですね」

「そういうことって、分かるものなんですか?」

「神官ですからね。ただ、普通は魔力不足の方が多いんですが……貴方は神を信じますか?」


 あなたは神を信じますか


 突然宗教勧誘のような質問をされて普通にNoと言おうとしたが、よくよく考えるとここは宗教国家である。言動次第では罰せられるのかもしれない。


「…えっと、は」「嘘、ですね」


 被せるように看破されてしまう。


「ふふ、心配しなくても大丈夫ですよ。…でも、珍しいですね。主の恩恵が私達の目の前にあるのにその御力を疑うなんて」

「そうですかね」


 照れ隠しのように頭を掻きながら答える。


 別に白魔術その他を与え得る超越存在の実在を疑っている訳ではない。

 それらが人間の味方として君臨している事を疑っているのだ。


「ところで、神官さまは何をしに来たんですか。ギルドの施設で神官さまを見るのは珍しい事なので」

「ふふ、そうかもしれないですね?少し記録を見せていただきに来ただけですよ」


 そう言うと手元の冊子を翻す。

 並ぶ文字列の中に『レトナーク東の森の魔物分布』という言葉が見える。


 思わず疑問が膨らむ。


「神官さまが魔物の事を調べているのですか」


「あ!勝手に見ましたね。でも、私もあなたの読んでる本を覗いていたのでお互い様、ですね。……これは、そうですねぇ…説明が難しいですね。敢えて言うなら、…運命、ですかね?ふふ」


「はあ、そうですか」


「あぁ、そんな目で見ないでください!」



 随分お茶目な神官だ。


「神官さまなら外部の人間に言えないこともあると思いますので、大丈夫ですよ」

「別に言えない訳では無いのですが、この地域でスタンピードの予兆が有りまして、調査しているんですよ」


 スタンピードとは魔物が大量発生する災害だ。

 もし、彼女の言うことが本当ならば近くの街や村に大きな被害が出ることだろう。


「そう言えば、最近ローチを森で見かけることが増えましたね」

「!まさしくそれです。ローチが大量発生する…前兆が発見されたので、その中心を探ろうとしているんですよ」


 冒険者である俺たちが何となく増えたな、と思う程度なのに教会の方がスタンピードを確信するのが早いのは不思議だな。周期的に発生しているのか、気候などにより予測できる物なのかもしれない。


「冒険者を雇って森を調査したりはしないんですか?」

「森全体を探索するのは徒労ですからね。それに、スタンピードを止められなくても問題は無いので」


 どういう事だ。スタンピードは災害だ。つまり地震や噴火といった物と並べられる程には危険な筈である。起きて困ることはあっても喜ぶことはない筈。


「あぁ、聖女様達が来ているからですね」

「…そうですね。それもあります」


 それ?と疑問に思ったが、彼女の態度が少し硬くなったのに気付いた。

 あと一つは俺には言えないことなのだろう。気にはなるがこれ以上聞いても意味は無さそうだ。


 俺は断りを入れると、机に座った。


『ゴブリンでも分かる!初級法術』を含む白魔術について触れている書物を机の上に積み上げて、その一つを開いて読み進める。

 同じように目の前に神官が座り、机に資料を広げる。


「…」

「…」


「…」

「…」


「先程、あなたに法術は習得できないと言ったのですが…」


 沈黙に耐えかねたのか茶髪の神官が声を掛けてくる。


「自分は使えなくとも、知ってれば役には立つと思ったので」


 …神官への対策としてだが。


「確かに!私も考えが足りませんでしたね。ああ、お邪魔してしまってすみません。黙りますね」


 そういうと資料の精査を再開する。

 俺も同様に読書を再開する。


「…」

「…」


 ふむ、神官は信仰する神によって四つのタイプに分かれているのか。

 地神は防御系、月神は回復系、天神は能力の向上、法神は破邪系を得意としている、と。


「…う〜ん」


 破邪系とは何だ。

 なるほど、対アンデッドの攻撃魔術、白魔術にも攻撃が存在するのか。

 もしかすると神官が死体に対して行うアンチアンデッド化処理というのもこれに含まれそうだ。


「…う〜ん」


 神官によって術の習得に偏りがあるとしても、第一天程度ならば大抵の神官は行使できるだろうし、回復も可能だろう。油断はできないな。


「…う〜ん」


 お、第五天以降の白魔術であれば四肢の欠損も治療可能みたいだ。

 こういうのって傷が塞がっても治療出来るのか?


 実際の治療記録を見る。ギルドに訪れた高位の神官がA級冒険者を治療した際の記録だ。

 迷宮での戦闘で腕を喰われた冒険者が帰還した際に治療を受けた。

 その際に追加で隻眼の仲間の失って一年以上経つ瞳を復元したらしい。


 それなら、俺の傷も問題無さそうだ。


「…う〜ん」

「あの」

「え、なんでしょうか」


 うんうんと唸る神官に声を掛ける。自分が声を上げていることに気付いていなかったらしい。


「順調、ですか?」

「実は私地図を読むのは不得意なんですよ」

「見せてもらえますか」

「?えぇ、はい。構わないですよ」


 そう言って俺に譲るように机の前から退く。


 机には地図と、討伐記録が残っている。

 討伐記録は日付と討伐した魔物とその位置が端的に示されている。もちろん討伐者もだ。


 例えば直近のものだと、1週間前の日付で、ローチ一体、浅層西部河流近辺、D級冒険者ゴトー、とある。以前に俺が討伐した物だ。ギルドでその時の事を端的に聞かれた覚えがある。

 なるほど、あれは討伐の真偽を確かめていた訳ではなく、こうやって記録をとるためだったのか。


「…この地図、もう一枚有りますか」

「探してきますね」


 彼女が持ってきたものを、机の上に広げる。

 俺は、記録にあるローチの討伐一体毎に、地図の対応する位置に銅貨を置いていく。

 一枚目の地図にはここ1年間の討伐記録、二枚目の地図にはそれより以前の1年の討伐記録を反映させる。


 そうすると、


「魔物の数は少し増えています、が」


 地図上に置かれた銅貨の枚数はここ1年の方が若干多い程度だ。

 ただその偏りが大きい。


「これを見ると、森の南部は3から4倍近くローチの発見が増えています。逆に北部から西部にかけては寧ろ減っているようです。おそらく、発生の中心は南部の方で間違い無いでしょう」


 彼女は俺の言葉に感嘆したように声を発した。


「ふふふ、素晴らしいです!ご両親に良い教育を受けていたのですね」


 少し出しゃばり過ぎたのかも知れない。

 が、俺としてもスタンピードは望んではいない。

 人が死ぬのはありがたいが、ローチの吸収効率はとんでもなく低いし死体を食い荒らされると人間の死体を吸収出来なくなるだろう。


 十数人死ぬ位に収まってくれるのが俺としてはベストだ。


「御蔭で調査を早く始められそうです。えっと、そう言えばお名前をお聞きしていませんでしたね」

「ゴトーです。姓はありません」

「ゴトーくんですね。覚えておきます」


 それでは、と神官は図書館から去って行った。

 机に広げられた資料はそのままで。


「…」


 老年の司書に目を向けると、お前が片付けろと顎で指図される。



「はぁ〜」


 俺はまず地図の上の銅貨をかき集めた。

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