第二話 探偵社バウンダリー
2 『探偵事務所・バウンダリー』
はてさて、此処で場面転換で御座います。
向かう先は公園のある山の麓。
その辺りには市街がありましてな。その奥の方にある、火災が発生していた方を新市街地、こちら側を旧市街と区分されております。
舞台はその新市街の方。
火事の興奮冷めやらぬ場所です。
さて、そんな県庁やら県警本部といった県の中枢機構のある『街』においての唯一の探偵社。
名をバウンダリー。
この探偵社というのは、四階建てのビルの二階にあるのですが、此処の古びた様子と言ったら。
新市街地というだけありまして、周りは新築であったり、リフォームしてあったり。
面する大通りにしましても、天窓のついたアーケードですよ。
なにやら街自体にもテーマがあったそうで、清潔感と温もりの調和の取れた見事な街並なのです。
ですが、このビルだけはいただけない。
再三の立ち退き要請にもへこたれず、周りの白い目も何のその。
飴も鞭も効果は無く、結局はそこを避けるように街は造られたという。
そういう、謂れのあるビルでして。
ですので、二階に探偵社があるとは言いましても、他にテナントも入っておりません。
県や地域の有力者と一戦やらかした先代から探偵社を引き継いだ男、名を柳(やなぎ)和馬(かずま)と申します。
そんな彼は、通りに面した四枚の大きな窓硝子の一つを開き、そこに腰掛けながら煙草を吹かしております。
闇夜に響くサイレンは既にありませんが、微かに喧噪の気配が。揺らめく黒煙も外灯に照らされ見えるようで。
その黒煙さえも消え去り、ようやく和馬氏は室内に視線を戻します。
視線の先は薄汚れたソファー。その上にはこれまた薄汚れた男が寝そべっております。
嘆息し、和馬氏は口を開きます。
「結構な騒ぎですが、貴方はこんなところで時間を潰していて良いので?」
「火事は消防の仕事。火災現場の捜査は俺の管轄外…」
そう言いますと、のそりと男は身を起こします。
「燃えているのは車らしいんだがなァ。飛び火もしているし、死人も出ている。そうなれば余計に俺には声は掛からん…」
そう言いますと、やれやれと呟きながらまたバタリとソファーに身を落としました。
「寝るのなら帰って下さい。疾うの昔に店仕舞いなんですよ」
「そうもいかん。今、お前が何に首を突っ込んでいるのか知るまで俺は…ああ、眠い…」
「だから帰れよー面倒くせぇなぁー」
ため息を零し、和馬氏は窓を閉じました。
このソファーで半ば眠っている人物は、名を鮎川泰三。県警捜査二課の刑事さんです。
ちなみに階級は警部補です。
「良いんですかね、警部補殿が如何わしい探偵風情とつるんでいて」
「友達じゃあないか」
あっけらかんと鮎川警部補は答えました。
この2人、友人関係と言えば友人関係にあります。
高等学校からの幼なじみなのですな。
当時、鮎川警部補は柔道部のエースであり、男女を問わず人気のある御仁でした。
対する和馬氏は、こう地味と言いますか、暗いといいますか。
恐らく、当時、和馬氏を友人と呼ぶ人間は、鮎川警部補だけだったのでしょう。
しかしながら友人だと思っていたのは鮎川警部補だけだったのですが。
何かした気に入るところがあったのでしょうね。
それまで友人というものに縁がなかった和馬氏は、鮎川警部補のそんな態度に困惑する学生生活を送りました。
人気者の彼の光を浴びて、新たな価値観を和馬氏は遠巻きに見ていたような感じです。
そんな人気者は警察官に。
捻くれ者は探偵に。
両極のような道を歩みながらも未だに2人の道は交わっているようで。
さて、高校卒業後に数年を経て探偵稼業に身を投じて今に至るのですが、この鮎川警部補の場合は、警察学校卒業後に、派出後勤務、組織犯罪対策部、警備部を経て今は刑事部に在籍しております。
最も長くいたのは警備部。
その次が現在の刑事部捜査二課。
此処は知能犯や商法違反などの捜査を扱うところですね。
「正直なところ居心地がわるくてねぇ。あまりどちらが、とかは言いたくないが、昔の方が水にあっていたねぇ」
聞きもしないのにしみじみとそういう鮎川警部補の言う昔とは、警備部時代、つまりは公安時代です。
その際に纏ってしまった匂いや雰囲気、人脈の印象が強すぎ、二課では腫れ物扱いをされているようで。
「向き不向きの問題でしょうね。こちらとしちゃ、あの頃来られるより、今来られる方が気持ちの上では楽ですが」
印象悪いねぇ、と鮎川警部補はため息を零します。
「そこまで皆様に嫌われる人たちでもないんだけどねぇ」
「その『皆様』は兎も角、此処の公安は嫌われていますからねぇ」
そう言って和馬氏は鮎川警部を見ます。
高校卒業後、再開したとき、和馬氏は探偵で、鮎川警部補は公安の人間でした。
その時に見た、学生時代とは真逆の。
人を、もしかすれば己すらも偽るような笑顔を貼り付けた顔を和馬氏は忘れられません。
公安を離れ、昔に戻りつつある旧友から視線を逸らし、和馬氏は珈琲マシンから冷め切った珈琲をとり、カップに注ぎます。
「そんな嫌われ者が何のようですか。幾ら村八分を食らっているにしても、こんな時間に出歩いているんだ、何かしらの情報を取りにきたのでしょう?」
聞こえが悪いな、と言って鮎川警部補は身を起こしました。
「苦労して入手したであろう情報を、国家権力を盾に搾取したりしませんよ。特に和馬、お前には。ただねぇ、そろそろ情報の一つでも持って帰らんと立つ瀬がなくてねぇ」
カップを片手に、和馬氏は小さな棚に背を預けます。
「…別に世話にもなってますし、出し惜しむ程のものもありませんしね。どんなのが良いんです?」
「収賄とか?」
鮎川警部補の言葉に、和馬氏は自嘲気味に嗤いました。
「んなネタ、場末の探偵が持ってるわけがないでしょう。政治屋センセイの依頼は受けていませんしね」
和馬氏の言葉に、あからさまに鮎川警部補は肩を落としました。
「そうだよなぁ…こんなとこに持ち込まんよなぁ…」
何気に失礼な発言ですが、和馬氏にしてみれば反論する気にもなりません。
「先代ならその手の情報は持っていらしたと思いますがね」
先代。
先ほど簡単に説明しました、この事務所の前所長ですな。
「自分で言ってはなんですが、今のウチが行う仕事はもっと…下世話だ」
「卑下した言い方だな。それにしても先代か。話には聞くが、お会いする機会には恵まれなかったな」
鮎川警部補の言葉に、和馬氏は驚きました。
「そう…でしたね。こうやって事務所に来るのも俺が事務所を引き継いでからですし…」
言われてみれば、と和馬氏は心の中で頷きます。
そんな和馬氏を横目に、鮎川警部補の顔に影が差しました。
「正確には、訪ねることも出来なかった、だがな。なにせ、先代殿はその筋では有名な御仁だった。おいそれと新米が首を突っ込める人ではなかった。確か名前はー」
―浮雲。
鮎川警部補は零すようにその名前を呟きました。
「大分、気にしていますね」
ぽつりと和馬氏が一言。
ふわりと嗤い、
「そうか?」
と鮎川警部補。
怪しげな笑みで隠す本心を見据え、和馬氏は先ほどまで腰掛けていた窓に眼をやります。
既に黒煙は立ち消え、その向こうには黒い山が見えます。
件の公園があります、あの山です
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