第109話 『最奥』の主 3
「よっと。戻りました、ジスプレッサ様」
通路にいるジスプレッサの元に戻ったビジイクレイトは、ほっと息をついた。
ビジイクレイトたちがいる通路から、『ヴァイス・ベアライツ』がいる広場まで20メートルほどの高さがあるが、ここまで『ヴァイス・ベアライツ』の攻撃が届かないとは限らない。
ドラゴンのようにブレスなどは吐かないと思われるが、レベル8になると、どのような攻撃をしてくるのか正直予想出来ないのだ。
なので、『暁木の縄』で上ってくるまでの間に、背後から『ヴァイス・ベアライツ』に攻撃されなくて、本当によかったとビジイクレイトは安堵していた。
「……………………お帰り、少年」
そんな命がけの帰還を果たしたのに、ジスプレッサは不機嫌そうにビジイクレイトを見ている。
「どうかしましたか、ジスプレッサ様。なにやらご機嫌がよろしくないようですが」
「別に。ただ、助けるのにそこまでひっつく必要があるのか疑問に思っただけだ」
「え?」
ジスプレッサの視線が、ビジイクレイトの腕に向けられている。
そこには、さきほど助けたサロタープがいた。
「あっと。申し訳ございません。大丈夫ですか?」
よく考えると、助け出してから一言もサロタープは言葉を発していない。
ビジイクレイトは慌ててサロタープを放して様子を確認する。
「あ、ああ。大丈夫ですわ……いえ、大丈夫ではないですわ……正直、死ぬかと思いましたわ。息が出来なくて」
「……本当に申し訳ない」
落とさないようにしっかりと抱きしめていたのだが、そのせいでサロタープはまともに呼吸出来なかったようだ。
「……まぁ、殿方にあそこまで強く抱きしめられた事がなかったので、その点は正直に御馳走様でしたわという感じなのですが……」
「っち」
ジスプレッサのかなり大きめの舌打ちが聞こえてきた。
何がなんだか、よくわからないが、彼女のいらだちだけははっきりとわかる。
「本当に、物語に書かれているような抱擁で……あら、思い返すと恥ずかしいですわ。うふふ……」
「……そうですか」
なにやら、徐々に目が爛々と輝きはじめて、怪しい雰囲気になってきたサロタープに、ビジイクレイトは若干距離をとる。
あまり深く触れてはないと、本能的に理解した。
「……そうですわね。これも運命の出会いというもの。あなたのお名前をお聞かせくださいな。確か、ジスプレッサ様のそばにいた方ですわよね? 私はサロタープ・バーケット。南西の領地、バーケット家の娘ですの。もしよろしければ、あなた、私に仕えて……わぷ!?」
興奮気味に放していたサロタープに、緑色の液体がかけられる。
かけたのは、ジスプレッサだ。
「……ヒドい怪我だったからな。錯乱しているようだし、回復薬を使った」
淡々と、ジスプレッサが求めてもいない説明をしてくれる。
「えーっと……まぁ、ジスプレッサ様のいうとおり、お元気そうでしたが、至る所に怪我をしていたのは事実ですので、怒らないでいただけるとありがたいです」
「……わかっていますわ。私こそ申し訳ございません。少々、興奮していたようですし、ちょうどよく頭も冷えましたので……うん。ありがとうございますわ」
サロタープは目をさまよわせながらお礼を言う。
言葉に感謝の気持ちではなく、謝罪と恐怖の感情が多く感じたのは、きっと気のせいではないだろう。
「……改めて。私、サロタープ・バーケットと申します。この度は、危ないところを助けていただきありがとうございます。ジスプレッサ様は、以前お名前をお聞かせいただきましたが、そちらの方のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
チラチラと、なぜかジスプレッサの様子を伺いながら、サロタープはビジイクレイトの名前を聞いてくる。
別に、自己紹介にジスプレッサの許可はいらないだろうと、ビジイクレイトは普通に名乗る。
「僕の名前は、ビィー・ジイクと申します」
もちろん、名乗るのは偽名だ。
「ビィー・ジイク、ですか? どこかで、聞いたような……」
「以前は、貴族の影武者をしていました。アイギンマン家の3男のビジイクレイトは、ご存じですか?」
「え、ええ。確か、アイギンマン家から追放されて、懸賞金までかけられていたような……」
「そのせいで、僕も影武者の仕事がなくなりましてね。こうして、今はジスプレッサ様に雇われているんですよ」
ジスプレッサにも話した嘘の設定を、サロタープにも話しておく。
ビジイクレイトが本当にアイギンマンの出来損ないの三男であると知られない方がいいだろう。
「……影武者、ですか。アイギンマンの家は、そのような方を用意するのですね」
「王航四貴族の一つですからね。追放するようなダメな子供にも、一応用意はしたのでしょう。そんなことよりも、これからの話をしましょうか」
「これから、ですか」
「ええ……これから、逃げる。ということでよろしいですか?」
ビジイクレイトは、通路の先。
真下に広がる広場にいる『ヴァイス・ベアライツ』に目を向ける。
なぜか、『ヴァイス・ベアライツ』はビジイクレイトたちの方を見上げたまま、動く様子を見せない。
「……やけにおとなしいですね。このまま逃げれば見逃してくれそうですが、どうしますか?」
ビジイクレイトは、サロタープとジスプレッサそれぞれ見る。
ジスプレッサは口を閉じて黙ったままだ。
一方サロタープは、何度か息を呑んだあとに、ビジイクレイトに答える。
「……あなた達は、逃げてくださいませ」
その予想していた答えを聞いて、ビジイクレイトは特に反応せず、ジスプレッサはわずかに動いた。
「……理由を聞いても?」
「……私の従者が、『魔境』の要である『魔聖石』を持っていってしまいましたわ。『魔境』の主はおそらくあの『ヴァイス・ベアライツ』。主を倒さずに『魔聖石』を持ち出すと、どうなるかお分かりでしょう?」
「主が生きたまま、この『魔境』が消滅する。つまり、強大な魔獣が外に出ることになりますね」
レベル1や2の弱い魔獣なら、『魔聖石』がなくなるとそのまま『魔境』ごと消えてしまうのだが、強い魔獣は消えずに残ることがある。
「……『魔境』の最奥にある要の『魔聖石』を持ち出す前に、主の魔獣を倒しておく決まりがあるのは存じています。しかし、今回は貴方は騙された側。被害者です。ならば……」
「それで許されるほど、貴族というのは優しい方々ではないのです。そもそも……従者の罪の責任は、主にあります」
サロタープの言うとおり、ではあるだろう。
下の者の行いは、そのまま主に対する評価になる。
たとえ、サロタープがまだ12歳の少女でも、だ。
「それに、あそこには、まだ『黒猫の陰影』の方々がいます。私が『神財』を使うまえに毒を受けていたので、動ける状態ではないでしょう。彼らを見捨てるわけにはいきません」
「どうやって、助けるおつもりで?」
ビジイクレイトの質問には、サロタープは答えなかった。
「私は、貴族ですから。戦えない平民を見捨てるわけにはいかないのです」
ただ、返ってきたのは、彼女の心意気だけ。
「私はなるべく時間を稼ぐので、その間にお二人は受付に戻ってこの状況をお知らせください。アライアスもイライアも、おそらくは逃走用の『魔聖具』を持っているでしょうが、それでもこの『魔境』を抜け出すのに時間はかかるはずです。お二人の装備を見るに、この通路から受付まで時間はかからないのでしょう? アライアスたちよりも、もしかしたら早く戻れるかもしれません」
どうやって助けるつもりなのか。
どうやって助かるつもりなのか。
サロタープは一つも話さなかった。
助かると、思っていないのだろう。
ただ、心意気だけで、彼女は動こうとしている。
その心意気に、ジスプレッサが口を開く。
「私も、貴族を目指しているんだ。弱き者を見捨てない、強い貴族だ。だから、サロタープが彼らを助けるなら、私も助ける」
ジスプレッサの返事に、サロタープは慌てる。
「そんな! そんな必要はありません。これは私の意地のようなもの。それに、あなたのような方を巻き込むわけにはいきません」
「意地というなら、これも私の意地だ。ここで逃げたら、きっと私は立派な貴族になれない」
ジスプレッサの目を見て、その意志の強さを感じ取ったサロタープは、ビジイクレイトに対象を変える。
「……ビィー様は、何もおっしゃられないのですか? あなたの主が危険を冒そうと……いえ、危険ではありません。死地に残るとおっしゃっているのですよ?」
「……そうですね。では、私から一つ。ジスプレッサ様。この場に留まる以上は彼らを助けないと意味がないのですか、何か策はあるんですか?」
その質問は、暗にサロタープにも向けられていたのだが、ジスプレッサはしっかりと答えを用意していた。
「策は少年が用意しているのではないか? さっきから、どうも逃げるという選択はしなくても良さそうにしているのが気になっているのだが」
「……思ったよりも洞察力が高くなっていますね」
「出会ってから結構経つからな」
『……まさか、ジスプレッサに見抜かれるとは思わなかったな』
『女のカンってやつだね』
ただのマメ本が何か言っている。
「まぁ、策はあります。彼らを助ける策は」
「本当ですか!?」
サロタープが、うれしそうに目を輝かせる。
「といっても、この策で頑張るのは僕ではなくて、ジスプレッサ様と、サロタープ様なのですがね。では、とりあえず……あの『ヴァイス・ベアライツ』を倒しましょうか」
ビジイクレイトが笑うと、それに呼応するように『ヴァイス・ベアライツ』が大きく咆哮した。
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