第105話【指定封印/閲覧不可】№06-07

『ヴァイス・ベアライツ』が『黒猫の陰影』達に向けて歩いていくのを、サロタープはただ見ていた。


 そこに、感情はない。正確には、感情を持てなかった。

 どうせ、『黒猫の陰影』が殺された後は、自分の番だ。


 熊型の魔獣は、獲物をなぶる習性があるという。


 犬型の魔獣や猫型の魔獣のように首にかみつき殺してから食べるのではなく、腹部など即死しない場所に噛みついて、じわじわ喰いと殺すのだ。


(痛いのは……イヤですわね)


 自害用の毒物は、一応サロタープも持っている。


 冒険者として『魔境』に行く以上、死にたくても死ねないような状況に陥ることは、考えられるからだ。


 しかし、その毒物も、手元にない。


 サロタープの荷物も、すべてアライアス達が持って行ってしまったのだ。


(このまま、惨めに死ぬのですね。まぁ、それもしょうがないのかもしれません。私は……弱いですから)


 じくじくと、アライアス達が言った言葉が、サロタープの心を傷つけている。


(……ショーンタプも、サスケア様も……喜ぶのでしょうね。私が惨めに喰殺されたと知ったら)


 継母のサスケアも、腹違いの弟であるショーンタプとも、何度も食事をしたことがあるし、お茶会や懇談会などで会話することも多かった。


 そのときは、サロタープは親しくしていたし、仲がいいと思っていたのだが……


(でも、そうですわね。十二神式が終わってから……私の『神財』がわかってから、サスケア様も、ショーンタプも、どこか距離がありましたわね。ああ、そうでした。その距離を感じたから……私は『魔聖石』を得ようとしたのでした。少しでも、自分に意味があると思いたかったから。弱い『神財』持ちでも、役に立つのだと、思ってもらいたくて……)


 じっくりと自分を反省し、理解したところでサロタープは泣きたくなった。


(浅ましい、ですわ。こんな、自分は、死んでも、当然)


 目は開いているはずなのに、何も見えなくなった。


 ただ、自己を否定する言葉だけが、サロタープの意識を埋めていく。


 ずぶずぶと、暗い泥に。


 自己否定という生温かい沼に、身を任せて沈んでいく。


 このまま何も見えず、聞こえず、臭わず、味あわず、感じることがなければ、『ヴァイス・ベアライツ』に生きながら食われても、苦しまずにすむだろう。


 それだけが唯一の救い。


 しかし、そうはならなかった。


(……なんですの?)


 ふと、サロタープの意識が浮上した。


 何かが、サロタープの意識を揺らしたのだ。


(……何かが……聞こえる……?)


 それを、しっかりと聞かなくてはいけないモノだと、サロタープはなんとなく思った。


 だから、意識を向ける。







「たす……けて……」





 それは、声だった。


「いやだ……死にたく……ない」


「来るな……来るな……」


 救いを求める、声だった。


「助けてくれ……お願いだから」


 声の主は、『黒猫の陰影』の冒険者たちだ。


 サロタープを取り囲み、誘拐してどこかの誰かに売ろうとした者達。


(ああ……)


 彼らの声を聞いて、サロタープは自然と拳を握っていた。


(なんてこと……)


 サロタープの意識が戻ってくる。


 自己否定の言葉に塗られていた感情が、はっきりと現れてくる。


(許されることでは、ありませんわ)


 その感情は、怒り。


 怒りが、サロタープの体を動かす。


(私を騙した者達。私を陥れた者達)


『ヴァイス・ベアライツ』が、『黒猫の陰影』の一人を、ゆっくりと爪で動かして、仰向けにする。


 そのお腹に食らいついて、食べるつもりだろう。

 じっくりと、ゆっくりと。


『ヴェイス・ベアライツ』の狙いがわかった冒険者は、恐怖でふるえ、何とか逃げ出そうとするが、毒で体が動かない。


「や、めてくれ。いやだ、いやだ。そんな死に方したくはない。お願いだ。誰か……助けてくれ!」


 冒険者が、力を振り絞って叫ぶ。


 なんの意味もなく、叫ぶ。


 この状況で、誰かが助けてくれるなど、彼も思っていないのだ。


「グゥゥ……」


『ヴァイス・ベアライツ』は冒険者の悲鳴さえもスパイスだというように、ゆっくりと口を開けて、彼の腹に食らいついた。


「……グゥ?」


 はずだった。


 食らいつこうとした『ヴァイス・ベアライツ』の歯は、何か小さな金属の盾のようなモノで防がれている。


「騙した者。陥れた者……」


 声が聞こえて、そちらに『ヴァイス・ベアライツ』は目を向ける。


 そこには、立ち上がったサロタープがいた。


「ムカつきましたわ……悲しくもありましたわ。でも……彼らが『平民』であるのならば! 私は助けなくてはいけません! なぜなら……私は、『貴族』なのですわ!!」


 サロタープは、両手を『ヴァイス・ベアライツ』に向けた。


「大きくおなりなさいな!!『金渦・豊食』!」


 サロタープの叫びに呼応するように、『ヴァイス・ベアライツ』と冒険者の間にあった小さな盾のようなモノが巨大化する。


「グゥア!?」


 盾のようなモノが巨大化した反動で、『ヴァイス・ベアライツ』が弾き飛ばされた。


「さぁ、いきますわよ。強き魔獣との戦いは貴族の誉れ。サロタープ・バーケットの生き様、見せてさしあげますわ!」


 サロタープは、堂々と『ヴァイス・ベアライツ』に対峙した。


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