第49話 旅立ち
「これでよし……と」
空っぽになった自室を見て、ビジイクレイトは少しだけ湿っぽい息を吐いた。
『ケモノ』と呼ばれるような環境で育ったのだ。
ビジイクレイトの私物は、とても少ない。
小さな背嚢に全て入ってしまうくらいだ。
「……お世話になりました」
返事をする者がいない部屋に、ビジイクレイトは一人、頭を下げて出て行った。
「……もう行かれるのですか」
「待っていたのか」
道が見えないほどに暗く、草木さえ眠っているような時間なのに、ロウトとブラウ、ゲルベの三人が立っていた。
「……朝に出るって言ったのにな」
「やはり、あのつぶやきは嘘でしたか。本当に、嘘の多い御方だ」
『剣の間』から帰るときに、ビジイクレイトはわざわざ「朝には出ないとな」とつぶやいていた。
そうすれば、ロウト達が待っていても、朝からだろうと思っていたのだ。
「ビジイクレイト様。その格好は……」
ゲルベが、ビジイクレイトが着ている服について質問してきた。
「平民の移動用の服ですね。いつか、こうなるだろうと思っていたので、念のために準備していたのですよ、ゲルベ様」
「ビジイクレイト様……」
平民の服を用意していたこと。
ビジイクレイトから敬称付きで呼ばれることに、ゲルベが悲しそうに声を出す。
「それにしても、よく、ここから出るって分かりましたね」
ビジイクレイト達が立っているのは、アイギンマンの屋敷の裏口だ。
主に、屋敷の使用人など、貴族以外が使う通路である。
「ビジイクレイト様なら、正面から出て行くことはないだろうと」
自分のことを理解してくれている、優秀な従者に、ビジイクレイトは一度目を閉じる。
「そうですか。それで、ロウト様達は、なぜこちらに?」
「……ご一緒させてください」
ロウトが、代表して願い出てきた。
「お断りいたします」
その申し出を、ビジイクレイトは間髪入れずに断る。
「……私たちに、至らない点がございましたか?」
「いいえ。あなた達ではなく、私が至らないのです。正確に言えば……雇うお金がありません」
ビジイクレイトが断った理由に、ブラウが反論する。
「お金など……私どもが稼いできます。この体を使ってでも……」
「ブラウ様がそのようなことを言うといかがわしい意味に聞こえますので自重してください」
ブラウとしては、普通に出稼ぎや魔境で狩りなどをするつもりなのかもしれないが、ブラウの容姿で言われると勘違いしてしまう。
「どうしても、お一人でいかれるのですか?」
ブラウが念を押すように聞いてくる。
「ええ」
「ビジイクレイト様はまだ十二歳です。一人では……」
「平民は十二歳までには働いていると聞きます。私も大丈夫でしょう」
「でも、ビジイクレイト様はお屋敷の外に出たことがないはずですよね? 何も分からないのでは?」
ゲルベの質問に、ビジイクレイトは苦笑する。
「ええ。ですが、旅立ちとはそういうものでしょう」
ビジイクレイトの答えを聞いて、諦めたように息を吐いたのは、ロウトだった。
「虚勢でもなく、不安もない。ですか。どうやらお引き留めすることも、ついて行くこともできそうにないですね」
「ロウト……」
ロウトの言葉に、ブラウは反対しようとするが、ロウトは首を振る。
「ビジイクレイト様の意志は強い。ならば、我々にできることは、これくらいでしょう」
そういうと、ロウトはビジイクレイトに袋を差し出した。
「餞別です。旅立つ主へ。これくらいは……受け取っていただけないでしょうか?」
「……わかりました」
ロウトから受け取った袋は、ずしりと重たかった。
「……あなた達がいたことで、私は何不自由なく暮らすことができました。本当に、ありがとうございました」
礼をいい、ビジイクレイトは屋敷を去っていく。
アイギンマンの屋敷は遠ざかっていくのに、ロウト達のすすり泣く声が、どこまでも聞こえてくる気がした。
「ビジイクレイト様ぁああああ」
「どこまでついてくるつもりだよ!」
嘘……というか、訂正である。
ロウト達がついてきていた。
「せめて……この町を出て行かれるまでは……」
ブラウが、申し訳なさそうにいう。
「すでに町の門は越えたよ」
「では、お宿を決めるまでは」
「そのままズルズル行く気だな! さては!」
アイギンマンの城下町を越えて、ビジイクレイト達は街道を歩く。
すでに空から闇は落ち、光が満ち始めていた。
「はぁ……どういうつもりだ? ついてきても良いことなんてないぞ? 絶対に」
「ビジイクレイト様のお世話をするのが、私たちにとって良いことですから」
くすりとロウトが笑う。
「それに、私たちがいて良かったでしょう? ビジイクレイト様一人では、門を越えることはできなかったと思いますよ?」
ロウトに指摘され、ビジイクレイトは思い返す。
アイギンマンの城下町……というか、この世界では基本的に町はすべて壁と門で覆われ、守られている。
魔境と呼ばれる、人を害することのできる強靱な魔物が発生する場所が点在する世界だ。
魔物の驚異から町を守るために当然の処置だ。
そして、町から出るための門だが、簡単に出られるモノでもない。
特に、領主のお膝元であるアイギンマンの城下町は警備が厳重で、子供一人だけで門を通るなど言語道断だ。
「……確かにな。まだ朝の鐘も鳴っていないのに、門番が対応してくれたのは、ロウトのおかげだ」
「私は正式な身分証を持っていますからね。この身分証を見て動かない兵士はいませんよ」
ロウトが自慢げに金属で出来た身分証を見せてくる。
この身分証をみた門番の兵士の慌てようは、少し面白かった。
「それで、ビジイクレイト様。城下町を出ましたが、これからどちらに行かれるのですか?」
ゲルベが、にこにこ笑いながら聞いてくる。
「どちらにって……特には決めていないけど」
「まさか……本当に無計画だったのですか?」
ゲルベの問いに、ビジイクレイトはうなづく。
「アイツ等が俺を追い出すと言ったのは昨日だぞ? なのに計画なんてあるわけないだろ?」
「それはそうかもしれませんが……」
ゲルベとロウトが、頭を抱えている。
「では、やはりこのままお供させてください。せめて生活が安定するまでは、一緒にいないと安心できません」
ロウトが、神妙な顔つきで言う。
「でも……」
「定住先を決めて、安定した収入を得て、子供を授かり、子供が成人して独り立ちをし、孫を見せに来るくらい、生活が安定しないといけませんね」
ブラウが、そう言いながらそっと後ろからビジイクレイトに抱きついてくる。
「それは俺の一生だろ? 最後までいるつもりじゃねーか!」
ビジイクレイトがツッコむと、ブラウは嬉しそうにほほえんだ。
「ふふ……俺、ですか。言葉づかいが丁寧ではなくなって、嬉しいです」
「あ……」
ブラウの指摘に、ビジイクレイトは口に手を当てた。
「ビジイクレイト様は、幼少のころから言葉遣いが乱れていなかったですからね。いつも笑顔で……キーフェの子息としては正しいですが、少々寂しい気持ちもあったのですよ」
ロウトが、苦笑している。
「それで、計画はなくても、予定はあるんですよね?」
ゲルベも、上機嫌に聞いてくる。
「いや、だから、昨日の今日で予定なんて……」
「それにしては、迷いなく西門から出ましたよね?町を離れるだけなら、魔聖車に乗ってもよかったのに……行きたい場所はあるのではないですか?」
妙に鋭いところがあるゲルベからの指摘に、ビジイクレイトは言葉を詰まらせる。
「あー……まぁ、そうだな。行きたい場所は、ある」
「それは、どちらでしょう?」
ビジイクレイトは、一度息を吐くと、ぎゅっと拳を握る。
「母上が……亡くなった場所だ」
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